第二十話『宇宙との交信―2』

 街灯が無い真っ暗な墓地。唯一の光は月の輝きで、仄音は瞑想の如く、ただジッと念を送っていた。


(こ、怖い……なんか視線を感じる気がするし、妙に寒気が……もう一時間くらい経ったんじゃ……)


 実際は十五分程度なのだが、辛い時間はゆっくりと感じられるものだ。

 人気はない筈なのに誰かに見られているような、背中に誰かがぴったりとくっついているような、そんな気持ち悪い感覚に苛まれる二人。いつも以上に冷え込み、偶に聞こえる草が靡く音に過剰反応してしまうのは仕方ないだろう。


「ろ、ロトちゃん……大丈――夫じゃなかったね!?」


 仄音の対面にいる筈のロトは手を上げたまま、ぐったりと項垂れていた。仮面の所為で表情は見えないが、器用に気絶している。


「ほら、しっかりしてロトちゃん。私を一人にしないで!」


 一人になりたくない仄音はロトの肩を持って上下に揺らした。


「うっ……? はっ! ……なんだかミカエルにファントムスラッシュを打っていた気がするわ」


「夢の中でもそれなの!? もう物凄くハマっているよね!?」


 激しく身体を揺らされて意識の戻ったロトの一言に、仄音は場違いな声を上げてしまった。


 ――ガンッ!


 夜中の霊園に響いた仄音とロトのやり取り。それを嘲笑うかのように近くにあったゲートが不自然な音を立てた。


「ひっ! ……ってなんだ猫かぁ」


 音の原因は野良猫で、仄音とロトの存在に気づくと脱兎の如く逃げてしまった。


「兎に角、やっぱり聖菜ちゃんが心配だよ。早く見つけ出して帰ろう?」


「そ、そうね……」


 何度も情けない天使の姿を見せる訳にはいかず、ロトとしてもさっさとこんな落ち着かない場所からおさらばしたかった。

 二人は一緒に縮こまって、互いの存在を確かめ合いながら墓場を歩き出す。


 ――神仮面ファントムセイバー! 悪を蹴散らすため、神の名を元に剣を振るうぜ!


 不意に場違いな明るい曲が鳴った。

 スマホの着信音で、それはロトの物だった。


「な、なに? また緊急の仕事?」


「い、いや……」


 挙動不審気味なロトは恐る恐るスマホの画面を仄音に見せる。


「え、ひ、非通知?」


「普段は上司か、同僚の天使だけど、非通知は初めてよ」


 こんな状況で非通知電話は不吉だろう。

 仄音は気持ち悪さから息を呑み、ロトは卒倒しそうなほど震えていた。


「ま、まあ無視しよう。早く聖菜ちゃんを探さないと……」


「待ちなさい。ここは電話に応じるわ」


「えぇ、態々出なくても……それにしては震えすぎだよ? もうスマホのバイブレーション並みだよ」


 恐怖のあまり仄音に抱き着いているにも関わらず、それに立ち向かおうとするロト。スマホを操作する手は小刻みに震えている。


「大丈夫……幽霊は存在しないのよ。それを証明してあげるわ」


 ロトはそう言い放つと思い切って電話に出た。


『……ッ…………! ッ……!』


 スマホからは何か発せられているが上手く聴き取れない。しかし、何かしら禍々しいものはヒシヒシと伝わってくる。

 思わず仄音は電話を切ろうとしたが、震えのあまり間違ってスピーカーモードに触れてしまった。


『呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる――』


 仄音たちの耳朶を打ったのは延々と続く『呪ってやる』という端的な言葉。だが、シンプルだからこそ深い恨みが伝わりやすい。


「きゃあっ!」


 ロトは柄にもなく女性らしい悲鳴を上げ、その場に蹲った。あまりの恐怖から目に涙を溜めていたが、仮面のお陰で仄音に気づかれていない。


「だ、大丈夫? ロトちゃん?」


「ほ、仄音は大丈夫なの? 怖くないの?」


「いや、怖いけどさ……この声ってアリアさんでしょ?」


「へ?」


 仄音の言葉に心を落ち着かせ、冷静になったロトは改めて聴いてみる。

 その声は如何にも怨念が籠ってそうだが、確かにアリアの声だった。

正体が判明し、拍子抜けしたロトはふつふつと心の奥底から怒りが湧くのを感じ、電話に応じた。


「アリア? なにしてるの?」


「あ、ロト! やっと出たわね! アンタの所為で知恵に怒られたのよ! この恨みはちゃんとロトナンバーに刻んだんだからね! アンタがブロックしてるから! これから毎日、公衆電話から掛けて――」


 会話にならないと判断したロトは電話を切った。背中からは怒りのオーラが醸し出されて、とても喋りかけられる雰囲気ではないだろう。


「……そうだわ。態々探しに行くより、仄音が聖菜に電話を掛ければいいじゃない」


「え? あ、そうだね。うっかりしてたよ」


 ロトの変わりように仄音は呆気に取られたが、確かにその方が効率良いだろう。

 早速、聖菜に電話を掛け、スマホから聞こえるのはプルルという電子音。数秒後、ブツッというノイズと共に無事に繋がった。


「もしもし聖菜ちゃん? 此処は危ないからやっぱり帰ろう? ね?」


『えー――じゃな――す――』


「物凄く電波が悪いわね。嫌な感じ……」


 ロトの感想通り、聖菜の言葉は途切れ途切れで不吉だった。これではまともに話せない。

 しかし、電波を強化するなんて所業は人間にできず、兎に角この場から立ち去りたかった仄音は気持ちを大きな声で紡いだ。


「聖菜ちゃん! こっちに戻ってきて! 本当に危ないから! ね!」


 率直で伝わりやすいだろう。これで聖菜に自分の意志が伝わった、と仄音は胸を撫で下ろした。

 しかし、未だに続くノイズの中、明らかに聖菜ではないであろう誰かの返事が呟かれる。


『殺してやる……』


 スマホから発せられたのはたった一言だった。太く、それでいて低く、声質的に男性なのだろう。

 繋がっているのは聖菜のスマホであり、聖菜は一人で霊園を探索している。ノイズが酷いため偶然そう聴こえたかもしれないが、それでも墓場というマイナスイメージの場所で、聴こえた。

 精神という蝋燭の火が揺らされたのは必然であり、背筋が凍りついた仄音とロトは互いに抱き締め合った。


「い、今の声ってゆゆ、幽霊なんじゃ……」


「も、もう無理よ……帰りましょう」


「せ、聖菜ちゃんを置いて帰れないよ……ま、魔法で何とかできないの?」


「幽霊に魔法が効くか分からないわ――ひっ!」


 突如、背後の草むらから物音。ただならぬ気配から思わずロトと仄音は抱き締め合って、目をぎゅっと瞑った。

 そして、聞こえてきたのは明るい笑い声で、二人にとっては聞き覚えのある声だ。


「あはは! どうですか? びっくりしました?」


「え? せ、聖菜ちゃん? ど、どういうこと?」


「はい、実はちょっとした悪戯を……」


 お茶目な笑みを浮かべた聖菜の手にはよくある赤い蝶ネクタイ。それに声を当てると野太い男性の声になった。どうやら某推理アニメの子供が使っているような変声機らしい。


「聖菜ちゃん! 悪戯にも限度があるよ!」


「ご、ごめんなさい……こういう憧れていたんです」


 咎められた聖菜は一本調子な声で謝った。

 殺してやるという男性の声は聖菜の悪戯で、つまり幽霊はいなかった。

 仄音は安堵の息を吐き、ロトは今すぐに聖菜を叱責したかったが小学生の愛嬌ある悪戯だと、自分に言い聞かせてはバレないように地団太を踏む。


「と、兎に角、もう帰ろう? これ以上、此処に居たらロトちゃんが死んじゃうから」


「そうですね。私もちょっと怖くなってきました……」


「あ、怖いっていう感情はあるんだね」


 聖菜の言う怖いとは幽霊的な非科学的ものではなく、不審者とかそう言ったものなのだが、仄音はそれに気づかない。


「心霊写真も、宇宙との交信も出来ませんでしたが次があります。また一緒にやりますよね?」


「うん、勿論……あっ……」


 また承諾してしまった、と仄音は失態を自覚した。

 咄嗟に訂正しようにも満足そうに片付けをしている聖菜を見ていると切り出せない。ただ傍にいたロトからの厳しい視線に耐えるしかなかった。


「さて、片付けは終わりました」


「じゃあ早く此処から出ようね……あ、もし良かったら私の家で晩御飯を食べていかない?」


「いいんですか? なら親に連絡しておきます」


 二人が談笑を楽しむのを横目に、ロトは聖菜が撮った写真を手に取る。

 ポラロイドカメラは撮影したらその場で現像できる物で、心霊写真を撮るのに適していると噂されていた。


「これは……いいわね」


 その出来たてホヤホヤの束になった写真に目を通し、ロトは気色の違った写真を気に入った。

 抱き締め合ったロトと仄音が写っている写真で、悪戯をした聖菜が隠れた撮ったものだ。


(貰っておきましょう……)


 微笑ましい写真をロトはこっそりと抜き取ってポケットに仕舞う。

 残った写真の束に一枚だけ、黒い男性が写り込んだ不可解な写真があったのだが、誰も気がつかなかった。

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