第十三話『天使とプライバシー―2』
カーソルを動かし、タスクバーから検索エンジンを起動させて胡桃はロトを一瞥した。
「で、アニメが見たいんやんな? アニメやったら……」
「アニメ? 違うわよ。仄音の秘密が知りたいの」
「いつの間にか趣旨が変わってるやん。あと、それはあかんって言ったやろ」
「本当にいいの? 貴方だって本当は見たいんでしょう? 素直になりなさい」
引きずり込むかのようなねっとりとした言葉遣い。一瞬、胡桃は吞み込まれそうになったが何とか思い留まった。
「だ、だから――って、脅すのは反則やって……」
慣れた手つきムラマサを召喚するロトに、胡桃は自分に拒否権が無かった事を思い出して顔を顰める。
「くそっ……これは脅されて仕方なくやで! 悪いのはロトや!」
「それでいいから早く操作しなさい」
脅迫されて従っている。そういう雰囲気を醸し出しているが、実際の胡桃はロトの言う通り乗り気だった。その証拠に瞳が好奇心で揺らぎ、心地よくタイピングしている。
「検索履歴は無し……お気に入りは……まあ無難やね。強いて言うならゲーム系が多いかな。あとは音楽関連のサイトか」
仄音は常に検索履歴を消去する設定にしており、綺麗さっぱり消えている。せめてもの救いだろう。
お気に入りは見られてしまったが、よく耳にする動画サイトやSNSばかり。他はオンラインゲームと名前からして音楽関連のものなので特にダメージはない。
「何か、何かないの? このままじゃ終われないわ」
大して面白くなかった。黒歴史と呼ばれるものはなく、健全なオタクのお気に入りではないだろうか。
まるで命が掛かっているかのように必死な形相でパソコンを揺らすロト。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか? 分からない胡桃は変態を見るかのような蔑んだ目で、このままだと自分が被害に遭うと悟った。
「そんなに仄音の秘密が知りたいなら部屋の中でも漁ったらええんやない? その押入れとかやばいもん潜んでそうやけど?」
「……流石にそこまではしないわ」
「妙な間があったなぁ……」
ロトは拒否したが目が泳いでしまっている。
そもそもパソコンのデータを漁っているにも関わらず、部屋を漁るのを躊躇するなんて筋違いだろう。
その事について胡桃は心の中でツッコミを入れておく。関西人特有の「なんでやねん」である。
「兎に角、何とかしなさい。私は仄音の弱みを握りたいの」
「えぇ……本性がでたやん。握ってどうするんや?」
「それは勿論――ふ、ふふふふ……」
ロトは妄想の世界に入り込んだ。
気味の悪い間抜けな笑みを浮かべて妄想に耽るロトを見て、胡桃はその内容の気持ち悪さを察し、身震いして距離をとった。
「ほんと天使って変態や……ゴミ箱でも漁ってみるか」
藁にも縋る想いで胡桃はパソコン内のゴミ箱を開いた。
検索履歴を消しているほどなので、ゴミ箱も定期的に空にしていると思っていたが、その予想は良い意味で裏切られた。
「うわ、結構あるなぁ」
「ッ! 何か有ったの!」
しかし、仄音にとっては悪い意味だろう。
ゴミ箱には過去一か月分くらいのファイルが残っており、黒歴史と言えるほどの情報が幾つか埋もれていた。
胡桃の呟きに敏感な反応を示したロトはパソコンを奪い取る。
ネットで拾ってきたアニメの画像はえっちなものからネタ的な物まで。見慣れない拡張子のファイルに、ゲームのスクショ。表に出さない仄音の趣向が投影されているが、ロトの求めるものではなかった。
「奪い取らんでも言ってくれたら渡すのに……」
「これじゃあ拍子抜けだわ。あら?」
「何かあったん?」
ロトは目敏く、底の方に埋もれていたテキストファイルに目がいった。
「こ、これは……か、からはしとのドキドキデート!?」
そのテキスト名は『カラハシさんとドキドキデート!』と書かれている。
思わず、二人は息を呑んで顔を見合わせた。一目で分かったのだ。このファイルは断トツで黒歴史系だと――
「さ、流石に止めといた方が……」
「なら貴女は帰ってちょうだい。私は見るわよ」
「えぇ……帰れと言われても隣だし、部屋が繋がっちゃってるんやけど……」
「じゃあ此処にいなさい」
ファイル名からしてロトは気に食わなかった。仄音がカラハシに想い寄せていると思えば不愉快で、胃が締め付けられ、胸の奥から吐き気がする。
本当は見たくない。内容は大体想像でき、それは酷いもの。だけど、見たいという矛盾している気持ちもある。例え、望んでいないものだとしても現実から目を逸らしたくない。
冬だというのに汗を垂らすロトはカーソルをファイルと合わせる。その手は小刻みに震えていて、拒絶反応というものだ。
「お、押し……」
クリックしてしまった。仄音のプライバシーに無断で踏み込んだ。
刹那、ロトは画面に釘付けなった。何かに憑かれるかのように仄音が書いた幼稚な小説を読む。
「こ、これは……」
胡桃はプライバシーを尊重し、見たいとは思っていなかった。
しかし、傍でヤクザ天使であるロトが下唇を噛みながら、放心状態のようにじっと読んでいるのだ。気にならない方が可笑しく、少しだけ画面を覗いてしまった。
「て、典型的な二次小説やね……」
既存の作品や人物を使って小説を執筆するのは珍しくない。寧ろ、ネットが普及してオタクというサブカルチャーから範疇を超えた今、普通のことなのだろう。仄音は自分とカラハシが仲良くなれたらという願望を小説にぶつけているだけなのだ。
しかし、文章は巧みとは言い難く、小学生とまではいかないが、中学生並みの文章は余計に黒歴史さを引き立てている。内容も大して面白くない。普通に仄音とカラハシが遊園地で遊んでいるだけだった。
これをあの仄音が真面目に書いている。そう思うと胡桃は苦笑いを浮かべてしまう。
「くっ……」
「ちょ! どうどう……パソコンを潰しちゃあかんで。また直すのに手間かかるし……な?」
暴れ馬を宥めるように胡桃はロトを順々と諭す。
何とか正気を保ったロトは首を激しく横に振って、画面から視線を逸らした。むすっとした不機嫌そうな表情は嫉妬している子供のようだろう。
癇癪は起こらない。胡桃はほっと胸を撫で下ろした。が、次の瞬間には目に鋭い刺激が走った。
「ぐああああああッ! め、めめめ目が痛い!? 何したん!? また魔法か!?」
「いや、違うわよ」
まるで目に石鹼水を掛けられたかのような痛みで、胡桃は激痛から床を転げ回ってびくびくとエビ反りを披露する。そして、自分の部屋のキッチンへと走った。
目を洗うためだったが敵前逃亡に見えたロトは愉悦を覚え、狂気に満ちた三日月の笑みを浮かべた。片手には食べていた一房の蜜柑。凶器は魔法ではなく、人類が食べやすいように改良を重ねた蜜柑だったのだ。
なら、どうして胡桃の眼に蜜柑の液を掛けたのか? 深い意味はなく、強いて言うなら苛立っていたから。所謂ストレス解消の八つ当たりだった。
「あー痛かったわ。いったいなにをし――そうか、その蜜柑を使ったんやな」
相貌を水で濯いだ胡桃は目を赤くして帰ってきて、ロトが食べていた蜜柑を見た。
ああ、そういえば柑橘類が目に入ったような痛みだったなぁ……、と思考すると徐に炬燵に置かれた籠から蜜柑を手に持った。
「もう堪忍ならん! あんたも同じ目に遭ってもらうで!」
堪忍袋の緒が切れ、それは胡桃の反撃の合図だ。受けた攻撃が目だっただけに、同じ目に遭わそうとくすんだロトの瞳を狙う。
蜜柑を握り締めてロトへと手を伸ばした。不意打ち気味で格好のチャンスだが、一つだけミスがあった。
それはロトの仮面が盾になっているという事だ。これでは反撃できないだろう。
「その邪魔な仮面取ったるわ!」
頭に血が上っていた胡桃は仮面を剥ぎ取るという選択をした。とんだ愚行だ。冷静に考えれば黙々と蜜柑を頬張っているロトから余裕を感じられて、何かしら訝しく思う筈だが、怒り心頭故に俯瞰できていない。
もしも此処に仄音がいるなら全力で止めていただろう。ロトの仮面を取るということは閃光魔法の発動を意味するのだ。
「さあ! その仮面の下の瞳に怒りの鉄槌を受けて、うちにひれ伏し――へっ?」
刹那、辺りは強烈な輝きに襲われた。まるで星が爆発したかのように錯覚した胡桃はロトの素顔を見ることが出来ず、ただ意識を奪われた。
「またつまらぬものを気絶させてしまったわ……」
ロトは床に落ちた仮面を拾い上げると装着して、何食わぬ顔で胡桃を見下す。
数秒間、どうするか悩んだ挙句、放置と決め込んだ。これでバイトに遅れたとしても責任を取らない。全て胡桃の自業自得だ。
「さて、今度こそアニメを見ようかしらね」
ロトは再びパソコンを操作し始めた。
といっても先ほどの黒歴史系の小説で堪えたロトはこれ以上、仄音のプライバシーを侵害しようとは思っておらず、純粋にアニメを見ようと思っていたのだが――
「あ、どうすればいいのかしら……」
しかし、どこをどう操作すればいいのか分からないロトはあたふたとしてしまう。
結局、最初と同じ状況に陥ってしまい、今度こそ胡桃に訊こうにも彼女は白目を剥いて倒れている。口から魂のような白い靄が出ているが気のせいだろう。
――ピピピピピピンポーン!
そんな時、チャイムが鳴った。それも連打しているようだ。
「誰かしら? まさか仄音が帰ってきた?」
誰が訪れたのか? 軽く思考を走らせると仄音しか思い浮かばない。仄音が怖気づいて帰ってきたという可能性が高いだろう。
ロトは不味いと思い、顔色を悪くした。
部屋の中はカオスだ。胡桃の部屋とのトンネルを開通し、屍のように気絶している胡桃。辺りには蜜柑の汁や皮が散らばり、ノートパソコンを勝手に弄っている。
もしも仄音がこの光景を見たら驚きのあまり卒倒するか、失望から目を閉じて項垂れるだろう。 「ロトちゃんなんて大嫌い」と言われた暁には立ち直れない自信がロトにはあった。
「いや、そういえば仄音は鍵を持っていた筈よ……」
それならば仄音は既に部屋に入ってくると考えるのが道理だ。まさか鍵を失くしたなんて考え難い。
「入ってこないなんておかしいわね……やっぱり私の知らない人かしら?」
宅配便のような仕事をしに来ている人ではなく、まるで友人が訪れてきた時のような軽いチャイムの押し方だろう。
仄音という人物がヒキニートである以上、友人と呼べる存在はおらず、それを知っていたロトは不審に思って目を細めた。
「……まあ、放っておいていいでしょう」
結論、胡桃と同じ扱いである放置だ。ロトにとって来客は億劫で、居留守をする限り相手は何もしてこないと思ったのだ。
その考えは間違っていないだろう。誰しも他人の家を訪ね、家主が出てこない場合は何も出来ないので引き返す。またはその場で静かに待つだろう。正し、それは真っ当な人間であることが条件である。
元より家に侵入すると言った悪意がある人間、または特殊な力が扱える天使は例外だ。
「うるさいわね……いい加減諦めなさい」
一人愚痴を漏らし、ロトは訪問者が過ぎるのをじっと待つ。
やがてチャイムは聞こえなくなった。やっと帰った、とロトは安堵の息を吐いたが、それは束の間の気の緩みだ。
――ドンドンドンッ!
ドアを激しく叩かれ、次の瞬間には爆発したような轟音が部屋に響いた。
慌ててロトが駆けつけると、そこには吹き飛ばされて壁に突き刺さっている無様な金属製の壁。玄関だった場所に仁王立ちしている顔見知りの天使がいた。
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