第十三話『天使とプライバシー―1』

 電源が入って画面が明るくなった。特に壊れている様子もない。

 胡桃はあたかも当然といった風にとパソコンを操作したため、ロトは「待って」と短く言って止めた。


「どうやって起動させたの?」


「はぁ? そんなこともわからんの? このボタンやよ」


「そう……ありがとう」


「へ?」


 感謝されると思っていなかった胡桃は間抜けな顔を晒した。まるであり得ないといった風な態度だろう。

 癪に障ったロトは不機嫌そうに口角を下げた。


「なによ。この前の服のこともあるし、礼を言っただけよ?」


「……調子狂うなぁ」


 照れ隠しからそっぽを向いているが嘘を吐いているようには見えない。

 胡桃がロトという天使の評価を改めているとパソコンがログイン画面を映し出した。


「あーパスワードかぁ……用心深いなぁ」


 ノートパソコンというものは胡桃も持っていたがパスワードを設定していなかった。持ち運びする訳でもなく、家に親がいる訳でもない。尚且つ重要なデータはなく、自分以外に誰も使わないと確信があったからだ。

 それに比べてヒキニートだった仄音はきちんとパスワードを設定している。慎重な性格だと胡桃は感心したが、同時に生温い嫌な予感がして冷や汗をかいた。


「な、なあやっぱりやめへん?」


「今更何言っているの? 私はアニメが見たいの」


「な、ならうちのパソコン貸したるから……」


 中々食い下がらない胡桃に、ロトは無言でムラマサの刃先を向けた。


「ちょ、このヤクザ天使め。ことあるごとに脅すのはやめい」


「さっさと理由を言いなさい」


「分からへんの? 仄音のやつ、引きこもりやったから多分、いや絶対パソコンやりまくってたで」


「それが?」


「パソコン内は個人情報の塊なんや! 知られたくないことがあるだろうし、ロトもスマホを見られるのは嫌やろ?」


「そうね。仄音ならまだしも、貴女に見られるのは嫌よ」


 しかし、ロトは諦めきれない。他の人の秘密ならどうでもいいが、仄音の秘密なら知りたいと思った。


「仄音の秘密……何かしら? エッチな画像? それとも日記だったり……」


「あんた……まさかと思うけど……」


 そのまさかであり、ロトは何としても秘密を暴こうと先鋭的になっていた。その証拠に瞳は熱っぽく、獲物を狙う狼のようにぎらついている。


「渡しなさい!」


 仄音の秘密をロックオンして、胡桃からノートパソコンを奪い取った。


「あかんって! 仄音に悪いやろ? 見つかったらどうすんねん!」


「大丈夫。バレなきゃ犯罪ではないって私の師匠が言っていたわ」


「これだから天使ってやつは……!」


 静かに顔を顰めている胡桃を放置し、ロトはパスワードを入力する。

 しかし、次の瞬間には『パスワードが違います』と表示された。ロトは仄音の誕生日を入力したのだが、どうやら違ったようだ。仄音の個人情報を守る唯一の壁は一筋縄ではいかない。


「ほら無理やから諦めって。流石のロトもパスワードは分からんやろ?」


 いくら同棲相手だとしてもパスワードを予測するのは至難の業だろう。英数字、大文字小文字、記号、そもそも何桁かも分からない。当てずっぽうは現実的ではないだろう。

 だが、仄音のパスワードなら解けると自信があったロトは引き下がらない。何度間違えようと勇敢に挑むつもりだった。


「仄音のことだから四桁でしょう……なら0000? 違うわね。電話番号の下四桁は……違う」


「だから諦めって。いくら何でも無謀すぎ――は?」


 ロトが何も言わずに打ち始めたと思ったらパソコンには『ようこそ』と書かれている。つまり、パスワードが解けたという事であり、絶対に無理だと思っていた胡桃は唖然とした。


「なに? パスワード知ってたん? それとも魔法?」


「……いや、ただの偶然よ。何もしてないわ」


 打ったパスワードは『1009』だが、その文字列に見覚えはない。無意識の域であり、ロトは閃きの如く思い浮かんだこの数字を打っただけなのだ。

 しかし、いくら何でも適当に打った文字が正解だったなんてあり得ない。偶然という言葉で終わらせることも出来るが、それこそ確率にしたら天文学的だ。


(何かしら……この違和感は……)


 釈然としないロトは頭を鈍器で殴られたかのような強烈な違和感に襲われた。視界がチカチカとして、脳が麻酔を打たれたかのようにぼんやりとしている。


「ぼーっとしてどうしたん? やっぱり魔法か?」


「違うわよ。まあいいわ……」


 どうして『1009』という文字が頭の中が浮かんだのか? 何か大切な記憶が抜けている気がしたが、取り敢えずロトはパソコンを操作する。

 これで仄音の秘密が知れると思えば、胸がワクワクとした。最低な天使だろう。


「んー……この画像は……」


「それはカラハシさんやね。仄音はカラハシさんのファンやったなぁ……」


 デスクトップ画面はカラハシという仄音のお気に入りのヴァーチャル配信者の公式壁紙だった。屈託のない笑顔を浮かべたカラハシがロトたちを見つめている。八重歯がチャームポイントだろう。

 次にマウスを動かして『大事な物』フォルダーをクリックしてみるとそこには大量のカラハシの画像。主に二次創作で、グロテスクなものから萌え系のものまで。兎に角、カラハシの画像なら保存しているといった感じだった。


「此間引退したのによっぽど好きなんやな。この部屋にグッズは少ないけど、パソコン内には大量や」


「チッ……」


 関心している胡桃とは裏腹に、ロトは舌打ちをした。

 マウスをスクロールしても目に付くのはカラハシばかり。その状況に苛立ち、終いにはマウスに罅が入った。


「こんなものッ! こんな奴の何がいいのよッ!」


「ちょっ! あぶな!」


 遂に苛立ちが頂点に達したロトはノートパソコンを地面へ叩きつける。破壊する気満々で放り投げられたので当然潰れてしまった。液晶とキーボードが分離して、細かな部品が幾つか飛び散ってしまっている。


「あ、あんたなぁ……」


 胡桃は何も言えなかった。普段なら一つや二つ小言を言っているところだが、ロトの苛立ちの原因が嫉妬だと分かってしまったのだ。

 そう、嫉妬だ。人間の酷い感情とも言えるそれを、ロトは抱いてしまった。仄音がカラハシを慕っているのが気に食わなかった。


「はぁはぁ……ふぅ……」


 少しだけスッキリとしたロトは冷静になり、修復魔法でノートパソコンとマウスを元に戻して炬燵へと置いた。


「貴方が動かして。あまりぱそこんに詳しくないの」


「ま、まあそうやろうな。パソコンがぱそこんになってるし……このまま任したらパソコンだけじゃなく家まで潰れそうや……」


 胡桃はロトの豹変ぶりに引きつつ、ノートパソコンの前に座って内部のデータを弄り始めた。

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