第十話『天使のセンス―2』
朝食を食べ終えた仄音は手持ち無沙汰になり、退屈そうに炬燵に突っ伏していた。
ギターは弦がないので弾けず、ゲームは潰れている。やれることはノートパソコンを動かして暇を潰すか、よく分からない天使の番組を見るか。
どちらも気が進まないので、ベッドで布団に包まろうとしたらロトに止められた。
「大丈夫だよ。布団で休むだけだから」
「いや、貴女の場合は寝ちゃうでしょ? 二度寝したらまた生活リズムが狂うわよ?」
ご尤もである。仄音としても昼夜逆転は避けたい。寝過ごして結果的にギターが弾けなくなる可能性だってあるのだ。
「それじゃあ何しようかなぁ……溜まっていたアニメはこの前に消化したし……」
「なら私とお話しましょう? 嫌かしら?」
「え? そんなことないよ! いっぱい話そう!」
仄音とロトは炬燵で温もりながら談笑を楽しみ、空気は弛緩した。
話題は何気ない世間話だったり、将来のことだったり、特に仄音が興味を抱いたのはアリアという天使の話題だった。
「アリアは私と同期の天使でね。水魔法を使い、特に泡が気に入っているようね。よく私と業績を競い合っていたの」
「ぎょ、業績……」
「そうよ。まあ同期の中では私が一位で、彼女はいつも二位だったわ。それが悔しいのか、いつも私に突っかかってきて面倒くさい女性よ」
「確かにアリアさんはロトちゃんに執着していそうだったなぁ……」
仄音の記憶の中のアリアはロトを見下すような、何かしら特殊な感情を抱いていた。ロトの名前を口に出した彼女はとても恨めしそうに歯を食いしばっていた。
「知恵ちゃんとどういう関係なんだろう。知恵ちゃんはアリアさんが殺しに来たのを返り討ちにしたって言っていたけど……」
「さあ? どうせそのうち判明するだろうし、仄音は自分のことに集中しなさい」
「うん。また会えるよね」
知恵は去り際に「また会おう」と言っていたので近いうちに会えるだろう。
「ん?」
仄音は自分の発言を反芻し、とある事に気が付いた。
「アリアさんが殺しに来たってことは知恵ちゃんにも、私と同じように悪の欠片が宿っているんだ……」
つまり知恵にも、仄音と同じように寿命があるという事だった。
「そうね。悪の欠片が覚醒するのは仄音と同じ一年くらいかしら? 覚醒が近づいたら是が非でもアリアに殺されるだろうから、それが余命ね」
「そっかぁ……」
仄音は死んだとしても悲しむ人がいない。親だって厄介ごとが無くなったと喜ぶだろう。だけど知恵は違う。友達が多いだろうし、自分とは違って明るくて希望が似合う人間だ。彼女が死ぬと思うと胸が苦しくなった。
「あ、もう十時だ……そろそろ出ようかな……」
仄音はスマホに表示された時刻から既に三時間ほどが経ち、十時になっていることを知った。今から家を出れば十一時ぴったりに楽器屋に着けるだろう。
「一人で大丈夫? 本当に?」
「うーん……大丈夫だよ」
仄音は自分が買い物をしているところを想像して行けると判断した。
しかし、即答ではなかったので「着いていった方がいいかしら?」とロトは憂慮してしまう。が、直ぐに甘い考えは捨てて、仄音の意志を尊重しようと思った。獅子は我が子を千尋の谷に落とす、だ。
「制服はまだ洗ってないし、折角だから昨日買った服を着てみたらどう?」
「あー……そういえばロトちゃんが何着か選んで買っていたっけ? そうしようかな……」
朧気な記憶を思い出している仄音を横目に、ロトは昨日に買った服を炬燵の上で広げた。
全部で三着だ。全てロトが仄音のために選んだ服だったが、一着だけ異質を帯びていた。
「これは……なに?」
「何って? 貴方の服よ?」
当然と言った風に答えるロトだが、そうではないと仄音は憮然とした。
黒や紫が使われたロック風な服、その対を成すかのようにシンプルで真っ白なワンピース。そこまではいい。問題は最後の三着目にあった。
「この露出度の高いのは何なの!? どこの原住民族!?」
三着目は如何にも原住民のようだった。腰に巻くであろう毛皮に、胸を隠すであろう薄い布。所々に何かの骨のアクセサリーが付けられ、身体にペイントする用の塗料まである。
これを着て歩くなんてメイド服よりも恥ずかしいに決まっている。そもそもショッピングモールに売っていたことが驚きだ。
「私なりに仄音に似合いそうなのを選んだのだけど……」
「これは似合う似合わない以前の問題だよ! こんなの着て歩けないよ!」
「癖が強いとは思っていたけど……確かにこれを着ている人を見たことがないわね」
胡桃に教えられたように周りの人たちの格好を思い出し、ロトは面目なく俯いた。
「限定一着で二万円のレアものだったのに……」
「じ、地味に高いね。本物の原住民から剥ぎ取ったものだったりして」
「流石にそれはないわ……二着の中から選びましょう」
仄音は残った二着を比べる。
どちらもセット物のようで上下、アクセサリーまで揃っていた。
「こっちにしようかな」
「あら? 意外ね」
ロトはてっきり落ち着いたワンピースを選ぶと思っていたが、仄音が手に取ったのは闇が深そうな服だった。
「ワンピースの方が悪目立ちしないと思うけど、こういうロックンロールな服ってちょっと憧れていたんだ。……着替えるから覗かないでね?」
仄音は今まで大人しい服ばかりを着ていた故か、少しだけ退廃的で痛い服への憧れがあった。
ロトに此方を見ないように警告し、その間に仄音は素早く着替える。慣れない服に手を通し、初めてタイツを履いた。
一方、見るなと言われたら見たくなる。天の邪鬼な精神に陥ったロトはチラチラと一瞥するが、仄音は着替えに集中しているようで気づかない。
「これでよし! どう? 似合ってる?」
「えぇ、やっぱり似合っているわ」
漆黒のスカートに、少し弛んで皺のようになっているシャツ。腰辺りからはチェーンが乱雑に伸び、ヴィジュアル系バンドのような格好だろう。
ロトにとっては一度試着室で見た姿だったが、似合っていると再確認して親指を立てた。
似合っていると褒められた仄音は嬉しくなって、子供のようにその場ではしゃいだ。クルリと回り、遠心力によって膝辺りまで伸びた漆黒のスカートが膨らみ、次の瞬間には萎む。
「何だか生まれ変わった気分だよ! 気が強くなった気がする!」
「パンツが見えているわよ」
「ひゃっ! ろ、ロトちゃん!」
本当は見えていないのだが、騙された仄音はスカートを抑えてロトに抗議の視線を送る。
「嘘よ。見えていないわ……第一、見えていたとしても、そんなに恥ずかしがらなくてもいいでしょ。一緒に住んでいるんだし、このぐらいは慣れなさい」
「は、恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
いくら同居しているかと言っても下着を見られるのは誰でも恥ずかしい。それがお風呂とかではなく、ただの部屋の中なら猶更だろう。前者は必然的に裸になる場所だが、後者は基本的に服を着ている場所なのでギャップを感じてしまう。
ロトに揶揄され、不機嫌になった仄音は一人で黙々と準備を進めた。
持っていくものはスマホに財布だけで、それらを斜め掛けの小さな鞄、所謂ポシェットの中に詰め込んだ。
「待ちなさい。貴方のことだから人酔いしそうだし、気分転換用の飴でもどう?」
「わあ、ありがとう……って微妙なラインナップだね」
ロトが出したのは黒飴と干し梅と氷砂糖。てっきりフルーツ系の子供が好みそうな飴を想像していた仄音は顔を引きずらせた。
「どれも美味しいわよ? あ、干し梅はちょっと……」
「じゃあなんで買ったの!? はぁ……氷砂糖を貰うよ」
氷砂糖は飴なのか? 飴のように甘くて、舌の上で溶かして味わえるが、それは飴なのか? いや、そもそも干し梅は論外だ。仕様もないことを考えながら、取り敢えずお菓子だと捉えた仄音は氷砂糖を鞄に仕舞った。
そこでロトは思い出したかのように掌をポンと叩いた。
「あ、そうだわ。これも持っていきなさい」
「なにこれ……砂糖? 塩?」
「エンジェルパウダーよ。昨日食べたでしょう?」
「昨日って……まさかライスオーブの正体? こんなの持ちたくないよ!」
透明な袋に入っているエンジェルパウダーという謎の白い粉。ライスオーブに使われている物と知り、昨日の死ぬほど不味い味を思い出した仄音はロトに突き返した。
「これはお守りよ。いざという時に役に立つの」
「で、でも……」
「いいから持ちなさい。これを持っておけばアリアに襲われたとしても多分、いや、でも恐らくは生きられる筈よ」
随分と曖昧な言葉だろう。少なくとも天使に関係があるものだろうが、とても頼りなく聞こえてしまう。
しかし、気休めにはなりそうなので仄音は(これを使用する時がきませんように……)と祈りながら鞄の奥底へ封印した。
「それじゃあ行ってらっしゃい。私は休みだから何かあったり、無理だと思ったら遠慮なく連絡してちょうだい」
「え? う、うん。ありがとう。じゃあ私はもう行くね」
昨日から過保護気味になっているロトに困惑しつつ仄音は家を後にした。
家の前まで仄音を見送り、その姿が見えなくなるとロトは寒さから腕を擦った。いくら分厚いドレスのような服を着ていたとしても寒いものは寒い。
「仄音は平気なのかしら? やっぱり心配だわ」
あの格好は一応冬服とした扱われていたが、あまり防寒に適していないだろう。せめて手袋やマフラーなどを買っておけば良かったと後悔したが、今更どうにもならない。
ロトは炬燵へと舞い戻り、置かれた蜜柑を剥きながら考える。
「さて、何をしようかしら……」
天使というものは年中無休であり、休みというのは勝手にロトが決めたものだ。というのも天使にはノルマが課せられ、それさえクリアしておけば後は好きにしても許される。勿論、ノルマを達成しても働くことは可能だ。実際にロトはそうして生きてきた。
しかし、だからこそロトは暇だった。今まで仕事人間だったので趣味がなく、話し相手である仄音もいない。
暇すぎて暇すぎて、かといって寝る訳にも行かず、この状況が面白くないロトはムラマサを召喚し、徐に壁に斬りかかった。
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