第十話『天使のセンス―1』
時刻は朝の七時。現役の天使という事もあり、朝に強いロトはすっかり頭が冴えていた。いつもの私服を着込み、昨日に取った天使の輪を頭に付けている。
それに比べて仄音は未だに睡魔に打ち勝つことが出来ず、だらしないパジャマの格好で大きな欠伸をしていた。
「うぅんねむい……あ、ロトちゃん醤油とってくれる?」
「はい、どうぞ」
二人は炬燵で暖を取りながら、仲良く朝食を摂っていた。
暫くして、仄音は目が冴えると同時に落ち着きが消えていく。それは身体に表れ、貧乏揺すりが激しさを増した。
これには普段仄音に優しいロトも寝起きということもあって苛立ってしまった。
「少しは落ち着いて食べられないの?」
「えっ? あ、ごめんね」
指摘されて気が付いた仄音はしまったと思い、しょんぼりと項垂れて正座した。表情が曇り、食が進んでいるようには見えない。
ロトはリモコンを使ってテレビの音量を下げた。因みに朝に天使の番組を視聴するのは日課になっている。
「それでどうしたの?」
「え?」
「いや、さっきから様子がおかしいでしょ? 言ってみなさい」
「あ、えっとね、昨日にギターの弦を買い忘れたから……一日中ギターを弾いていなくて落ち着かないの……」
もじもじとして答える仄音に、ロトは呆れた。
弾いていないと言ってもたった一日の話である。それくらいで精神が乱れるとは、どれだけギターが好きなのだ。音楽家を目指すなら、その感性は好ましいだろうが、そうではないロトには到底理解できない。
「今日買いに行くのでしょう?」
「そのつもりだけど楽器屋さんの開店時間が十一時なの……」
「ならその時まで我慢するのね」
「えー……」
ロトに言われて、不満げな仄音は味噌汁を口に含む。
昨日の買い物で、十分な食料を購入したので家の冷蔵庫は潤沢。朝食はインスタント食品から白飯に味噌汁、鮭と豪華になった。如何にも日本人らしい朝食だろう。料理したのは仄音である。
本当はロトに任せるつもりだったのだが、昨日の夕飯の時にライスオーブというおにぎりを出され、仄音は嫌でもロトの料理の腕を思い知ってしまった。
(あれはもう一生食べたくないな……)
ライスオーブという天使に伝わるおにぎりは地獄のような味だった。天国ではなく、悪魔のイメージがある地獄だ。人間が知る甘味、辛味、苦味といった味覚全てに該当しないよううな不思議な味で、唯一は分かるのは死ぬほど不味いということ。
仄音は一口齧っただけで身体が爆発したかのように錯覚して、意識が闇に吞み込まれた。思い返しただけで吐きそうになった仄音は頭を軽く振って、何とか忘れようとする。
「そういえばロトちゃんは弦を出せないの? その修復魔法ってやつで……」
「だから魔法は私用できないのよ」
「でも窓は直したでしょ? 昨日だって自分で破壊したUFOキャッチャーを直していたし……」
「あれはいいのよ。そのままにしていたら仕事に支障が出るから」
窓を直さなかったら寒さで凍えていただろうし、UFOキャッチャーを直さなかったら今頃警察にお世話になっていただろう。
「むぅ……なんか釈然としないよ」
「何度でも言うけど魔法を頼りにするのは良くないわ。魔力だって限りがあるもの」
「そうなの?」
魔力という如何にもゲームにありそうな要素を耳にして、仄音は小首を傾げた。
「人間と違って天使は魔力を持っているの。早い話、体力よ。使い切っても寝れば回復するわ」
「そうなんだ。ロトちゃんは重力魔法と修復魔法だっけ? それ以外は使えないの?」
「そうね。基本的に、生まれた時に魔法が定められるわ。因みにアリアは水魔法よ」
「え? 天使って生まれるの? 魔法が決まるっていったい誰が?」
「……さあ?」
はぐらかしたロトは会話を切り上げて食事に集中する。
その意図が分からず、ただ訊いちゃいけないことだと思った仄音は大人しく引き下がった。
忘れてしまいがちだがロトは天使であり、仄音は人間。それも悪の欠片を宿した天使の駆除対象である。それなのに仄音が天使の内部を探るのは良いことではないだろう。そもそも、こうして一緒に暮らしていることが可笑しい。肉食動物であるライオンと草食動物であるシマウマが仲良く暮らすなんてあり得ないのだ。
「ロトちゃんはどうして私に尽くしてくれるの? アリアさんが言っていたけど本当は駄目なんだよね? 私を殺さないといけないのに……どうしてなの? 本当に自己満足なの?」
「……生に執着しない貴女を見ているとむかついたのよ。後は本当に自己満足で、天使の仕事よ。まあ、それでも時が来れば殺すのだけど」
「そう……なんだ……」
随分とあっさりした理由だろう。ここ数日の暮らしで仄音は随分とロトを気に入っていたため、浅い理由は寂しく感じられた。
そんな仄音をこっそりと見つめていたロトは真剣な表情で思考に耽り、箸を止める。
ロトの言葉は嘘ではなかったが、真実かと問われれば違った。
本来、ロトたち天使は悪の欠片を除去することが仕事であり、駆除対象に肩入れするなんてことはない。上司によって、そう定められていた。
それなのにただの気まぐれで仄音を生かすのか? いや、あり得ないだろう。例えば、目の前に害虫がいたとして、自分はそれを駆除する仕事をしている。そして、依頼も承っている。それなのに駆除対象を態と見逃す。否、何度でも言うがあり得ないのだ。
ではどういう意図があって、仄音を生かしているのか? それはロト自身にも分からなかった。最初こそ殺すつもりだったが、彼女を見ているといざ振り上げていたムラマサが震え、そこで自分が躊躇していることに気が付いた。殺そうと思っているのに、本能が否定しているのか胃がチクチクとし、胸に熱いものが込み上げてくる。
形容し難い感情だ。ロトは頭を悩ませた。苦悩を続け、気まぐれだろうと思い込んだ。勿論、深層では違うと分かっているため溜飲は下がらない。しかし、そうでも思わない限りロトは永久に考え込んでしまいそうだった。
そのうえで現在の倒錯的な生活があり、皮肉にもロトはとても満足していた。
(何なのかしらこの気持ち……仄音との生活は楽しいけど、本当はいけないのよね。でも仄音を殺すなんてできない……ああ、きっと師匠に怒られるわ)
先の未来を予測してロトは億劫とし、それは仮面越しでも分かるほどに顔に表れていた。
「ロトちゃん……あのね……」
「なにかしら?」
「え、えっとね、ロトちゃんは悩んでいるんだよね? よく分からないけど好きにすればいいと思う。自己満足でしょ? もし何かあったら私を殺してくれていいから……」
「仄音はそれでいいの?」
「うん。前に言ったけど、そこまで生きたいと思っていないし……優しいロトちゃんに殺されるなら本望だよ」
「貴女ねぇ……」
自分のことを心配してくれることは嬉しく、特に仄音だからか胸が高鳴った。
しかし、同時に生物としての本能である生きることに執着しない仄音に、不満を抱いてしまう。死んでもいいなんて今の生活は楽しくないのか、と非難したかった。
「……口元にご飯粒が付いてるわよ?」
「嘘!?」
仄音は咄嗟に手の甲を使って口元を拭う。
「嘘よ」
「え? ろ、ロトちゃん! 揶揄うのは止めて!」
嘘だと分かった仄音は騙されたことに悔しそうにしている。
これはロトなりの仕返しなのだ。生物の道理に反して生に執着を見せないのが気に食わないと言っているのに、簡単に死を口にする彼女への仕返し。
少しだけ気分が晴れたロトは茶を喫した。
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