第十一話『ヒキニートと小学生―1』
アサガオが咲き、小鳥のさえずりが聞こえ、天候は快晴。なんという清々しい朝だろう。
近所の人たちに「おはようございます」と元気よく声を掛けながら
本来、彼女は小学生なので学業が仕事なのだが、今日は日曜日なので休みだった。それも宿題は先に終わらせるタイプなので、今日という一日を軽い気持ちで過ごすことが出来る。
「えーっとショッピングモールはこっちだったはず……」
三つ編みにした二つのお下げを揺らしながら走っていると曲がり角付近で事件が起きた。
「きゃっ!」
「いたっ!」
死角になっていたにも関わらず、注意しなかったため誰かにぶつかってしまった。これが車だったら大惨事である。
「いたた……ごめんなさい」
聖菜は尻もちを突いて、歪んだ眼鏡を掛け直す。
食パンは咥えていないが曲がり角で衝突するなんて少女漫画みたいだろう。少しだけ乙女チックな期待を胸に顔を上げた。
「ひっ……」
ぶつかった相手は女性で、とても特徴的だった。猫耳のように頭上に二つの癖毛があり、着ている服は物凄く俗っぽいもの。例えるならロック系のバンドマンが着ていそうな服で、黒や紫を基調として鎖がジャラジャラと鳴っていた。
見るからに不良らしく、聖菜は見るからに色を失っていった。
「えっと……本当にごめんなさい。許してください」
このままでは暴力を振るわれるかもしれないと不安に思い、聖菜は立ち上がるともう一度謝った。きちんと頭も下げている。
一方で、不良は何も言わず、ただ俯いている。心なしか、わなわなと震えており、傍から見れば怒りから苛立っているように見えるだろう。
しかし、それは飽くまで他人の感想で、当の本人である不良、いや猫水仄音はただ人見知りを発揮しているだけだった。
(えっ! なになに!? 小学生!? やばいよ!? 完全に私が悪者だよ!? 近くに保護者がいたら何を言われるか!?)
マイナス思考が脳内に駆け巡り、この場にいない聖菜の保護者に怯える。
そもそもこの場合は注意せずに走っていた聖菜の方が悪く、普通は仄音が聖菜を嗜めるのだが、仄音は全面的に自分が悪いと思い込んでいた。
「あの――えぇ!?」
何も言わない仄音に、不思議に思った聖菜は顔を上げると吃驚した。
何故なら、仄音は頭を下げて綺麗な直角九十度を披露し、小学生である聖菜にお金を差し出したのだ。不良にあるまじき行為だろう。
「これで勘弁してください!」
仄音が出した金額は千円という一万円と比べたら見劣りする額で、社会人であれば一食分浮くくらいの価値だ。しかし、それは飽くまで大人の感覚であり、小学生の聖菜から見た千円はそれなりの大金だった。
「え、えぇ! ど、どういうことですか!?」
聖菜は混乱して仄音に訊いた。これでは聖菜が仄音にカツアゲしているようなものだろう。一体、どちらが不良だ。いや、仄音は精神が未熟なのである意味不良で間違いないのだが……
兎に角、仄音は仄音で混乱しており小学生未満の知力に成り下がっていたので、一向に頭を上げようとはしない。寧ろ、どんどん下がっていき土下座を披露する勢いだ。
「あ、あの! お、落ち着いて――はっ!」
そこで聖菜は気が付いた。
此処は住宅街であるが日曜の朝である。それなりに人が通り過ぎ、全員がこちらを見つめてはまるで漫才を見ているかのように笑い、白い目を向けている人もいた。
「あ、あわわ……」
聖菜は仄音ほどの人見知りではないが内気で大人しい性格である。学校では友達と言える友達はおらず、休み時間はいつも本を読んでいる。そんな彼女が多数の人に悪い意味で注目されるのは途轍もなくストレスだった。
「そ、その、お金は受け取れません!」
一刻も早くこの場から離れたい聖菜は胸辺りで掌を振って、仄音を拒絶した。
それもそうだろう。普通に考えて見ず知らずの人からお金を貰うなんて怖い。何か裏があるのでは、と考え込んでしまうのが人間だ。
(えぇ!? お金は受け取れないって金額の問題じゃない!? なんて子なんだ……周りの視線が痛い……早くこの場から離れたいし、何とかしないと!)
更に周りの人に注目されて、仄音の混乱に拍車がかかった。
お互いにさっさと終わらせたいのに終わらない。気持ちがすれ違い、どんどん沼へ嵌まっていく。
「あの、私は別に怒ってないですから!」
「許して! お願い! 千円あげるから!」
「いや、お金はいらないです!」
また拒否された仄音は諦めて財布を鞄に仕舞うと、入れ替わりで未開封の菓子袋を取り出した。
「ほ、ほらグミあげるから許して!」
「グミなんていらな――それグミじゃなくて氷砂糖ですよね!?」
パッケージの文字は氷の冷たさを彷彿とさせる寒色で氷砂糖と書かれているので氷砂糖で間違いない。仄音が出したのは柔らかいグミではなく、その反対である硬い氷砂糖だったのだ。気分転換用にとロトに持たされた物である。
「何もしなくてもゆ、許します! だから落ち着いてください!」
「ほんと!? それじゃあさようなら! そのグミはあげるから!」
「え? だからいらないです! って、行っちゃった……」
許しを貰えた仄音は脱兎の如く逃げて、直ぐに見えなくなった。それほどまでに注目されることが大嫌いなのだ。
残された聖菜は嵐が過ぎ去った後のような静けさに感慨深くなり、彼女が置いていったグミこと、氷砂糖を見つめる。
未開封のそれは何やら細工をしているように見えず、ただのお菓子だ。捨てるのは勿体ない気がして、思い切って封を解いてみる。
「甘い……」
氷砂糖はその名の通り甘く、氷のように固かった。だから飴のように舌の上で転がしてゆっくりと味わう。
そうしながらショッピングモールを目指していると聖菜は何だか悲しくなってきた。不良のような変人に絡まれて流れされた挙句、色んな人に冷たい視線を向けられ笑われた。氷砂糖の優しい甘さが、まるで頑張った自分を慰めているように感じたのだ。
「よし、気分を切り替えて頑張ろう。折角の休みだし……」
一粒の氷砂糖を舐め終え、聖菜は静かにガッツポーズを決めて気を取り直した。仄音との奇妙な出会いは綺麗さっぱり忘れようと思った。
しかし、それを神は望んでいなかったようで現実は厳しい。
聖菜の跡をつけるように、仄音がひっそりと歩いていた。
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