第六話『元同級生との邂逅―2』
商店街を抜けても尚、全力疾走していた仄音は人気のない小さな公園へと駆け込んだ。
息切れを起こしながら振り返るとそこには知恵の姿はなく、振り切ったと確信してからベンチに座り込む。
「こぉ、ここ、こんなに走ったのはいつぶりだろう。ひ、久しぶりに体力を使ったよ……」
仄音は疲れからのぼせた様にぐったりとして、思考が纏まらない。ただ胸にあったのは知恵から逃がれたという安心感であり、息が整うに連れてそれは懸念へと変わった。
「知恵ちゃん……何か用があったのかな?」
ふと仄音の脳裏に浮かぶのは先程の、必死で引き止めてきた知恵の姿。何か用があったように思えたが、何の用だったかは見当がつかない。大した用事ではないのかもしれない。しかし、気になってしまい、元クラスメイトという事もあって後悔を積もらせる。
(まあ服装を見る限り、商店街の店、それもコンビニかな? バイトしているようだし、気が向いたら会いに行こうかな……)
果たして、それが何時になるかは分からない。仄音の気分は風見鶏であり、下手をすれば一生会わないかもしれず、そもそも仄音の余命は一年だとロトに宣告されている。
「それにしても寒い……」
今は十二月の一日なので真冬だ。冷気が肌をなぞり、身体が震えるほどに寒いだろう。なのに仄音は制服を着ているだけで、マフラー等の防寒対策は一切していない馬鹿だ。
凍てついた風がスカートの隙間から入り、その度に身体がゾクゾクとして一刻も早く家に帰りたくなる。
「あっ! そうだったショッピングモールで買い物しないと……」
そこで仄音は本来の目的を思い出した。元同級生に会った所為で忘れていたが、元々はショッピングモールに向かっていたのだ。
しかし、だ。今更頑張ろうとは思えず、だけど行かないとロトに顔向けできない。だけど――
「あー! どうしよう……うー……」
心の中で葛藤を繰り広げ、逡巡とした気持ちを抑えられない仄音は頭を掻いて唸った。
ただただ無駄な時間だけが過ぎていき、静寂としている公園がまるで時間が止まっているかのように錯覚させる。
「ん?」
足元に影が出来て、不思議に思った仄音は顔を上げた。
そこには『天使』がいた。二枚の翼を雄々しくはためかせ、神々しく舞い降りてくる天使だ。背景には太陽があり、逆光で良く見えないが美しい女性ということは分かり、まるで天国からの迎えのようだろう。
「あ、もしかして私はいつの間にか死んでいた? それで天使がお迎えに……って、て、天使!?」
天使という存在を再認識した仄音はベンチから転げ落ちた。ロトの時とは違って、舞い降りてきたのが天使だと分かったのは雰囲気からだった。
「ふーん……貴方が仄音さんね?」
「え、あ、ああ、はい……」
天使は如何にも威厳がある感じで、舐めるような目つきを仄音に向ける。じろじろと見るだけで、何もせずに喋りもしない。
(本当に天使なのかなぁ? まあロトちゃんよりは大人らしくて、神々しいけど、どうして服装はセーラー服? 歳は二十代前半くらいかな? そこそこ綺麗だしモテそう……)
天使の格好はよくあるセーラー服で、翼が生えていなかったらただの女子高生に見えるだろう。
天使はニコニコと仄音を見つめている。初心な男子なら一発で恋に落ちているところだ。
(あれ? もしかして?)
人見知りの仄音は戸惑いながらもじろじろと天使を観察し、ロトとの出会いを思い出した。その経験から急激な嫌な予感に襲われた。
「じゃあ死のっか!」
「だと思ったよ! だから無理だって!」
「あ、こら! 逃げないで! 痛くないように殺してあげるから! ね?」
そう言って天使が取り出したものは錆びが酷いチェーンソーという、如何にもホラー映画に出てきそうな物だ。斬られてしまうと良くて切断、悪くて致命傷。どちらにせよ衛生面が最悪で、生き残っても感染症で死んでしまうだろう。
(や、やばい! あれじゃ出逢った当初のロトちゃんだよ!)
もはや買い物どころではないので、仄音は家を目指して走る。同じ天使であるロトに助けてもらう魂胆だ。
しかし、不思議な魔法を扱う天使から逃げられるほど、人間の仄音は強くなかった。ゲーム的に言えば『しかし、まわりこまれてしまった』である。
「逃がさないよ! シャボンゲージ!」
「ふぁっ!? って、え? な、なんで私が浮いてるの!?」
「ふふん、私の得意魔法は水なんだ。それも泡が好きでね。凄いでしょ?」
「くっ! なんで天使はこうも魔法が使えるの!? 天使じゃなくて魔法使いの間違いでしょ!」
天使が手を翳した瞬間、仄音は泡のような丸い球体に包まれた。
ぷかぷかと空中を浮遊し、シャボン玉を彷彿とさせるが強度は段違いだ。仄音が大暴れしてもゴムのように伸びるだけであり、決して破れる事はない。
「さて、どう調理しようかな?」
「ま、待って! どうして私を殺すの? ロトちゃんは私の余命は一年だって……」
仄音は溢れそうな涙をぐっとこらえて、ロトが助けてくれると信じた。だから少しでも時間を稼ごうと、情報を引き出そうと、天使に質問を投げ掛ける。
すると天使は赤い瞳をパチパチとして、次の瞬間には腕を組んで顎を突き出した。大きな胸が強調され、仄音は少しだけイラっとする。
「ふーん……そこまで知っているなら分かるでしょ? 仄音さんの中には悪神ヒストリーの種、つまりは悪の欠片があるの。それなのに腑抜けたロトは見逃したんだよ……馬鹿らしいわ……」
天使は仲間であるロトの事を見下していた。闇の欠片を秘めた者は即刻処刑するのが決まりなのに、ロトは仄音に猶予を与えている。それは褒められた行為ではなく、タブーを犯しているのだ。
しかし、助けられた側である仄音は違う。真摯に接してくれたロトを愚弄され、頭に血が上っていた。
「ロトちゃんを馬鹿にしないで! ロトちゃんは良い子だよ! 私が知ってるもん!」
「あはははは! ロトがイイ子? そんなわけないじゃん! あいつはいつも私の邪魔ばっかり……ごほんっ!」
棘のある笑い声を上げた天使は咳払いをした。
「生かすという行為は見栄えが良いわよ。でも、それじゃあ天使は務まらない。いずれ悪になる者は刈り取らないと……それが理……」
そう言って天使はチェーンソーを起動させ、唸るようなモーター音と共に刃がぐるぐると回り始める。
(ああ、此処で死ぬのかな……)
痛いのは嫌なのに、死ぬのは怖いのに、妙に冷静でいられた仄音はゆっくりと目を瞑る。唯一心残りなのはロトに恩返し出来ていないことで、少しだけ生きたいという気持ちが芽生えていた。
(バイバイ……ロトちゃん……)
しかし、そんな小さな思いはすぐに枯れ、水を差すかの如く現れたのは――
「あ、仄音! やっと見つけた!」
ロトでも、神様でもなく、公園の外から指してくるのはただの人間である知恵だった。
「知恵ちゃん!? こっちに来ちゃダメ!」
「え? なんで? ってシャボン玉?」
知恵はバイトが終わると直ぐに仄音を探しに駆け出し、この公園で発見したのだ。
しかし、現場はピリピリとしていて、とても公園の雰囲気ではない。状況を理解できないが、仄音を包む泡の存在に気がついて言葉を失った。
それは超常現象を目の当たりにして驚いている訳ではなく、その泡自体に見覚えがあったのだ。
「あっ……もしかして……」
何かを察した知恵はゆっくりと身体を動かして辺りを見回す。
光合成を効率的にするために大きく成長した木が公園の真ん中に立派に生えており、その根元には落ち葉が詰まったゴミ箱。他には錆びた遊具に、塗装が剥げているベンチ。後は花壇などがあったが、知恵は木が怪しいと睨んだ。
「いるんでしょ? アリア。出来てきなさい」
「へ? アリアって……もしかして天使のこと?」
「え? 仄音さんも天使を知っているの? まあ、後でいいや……」
アリアとは木の陰に隠れた天使の事を指し、それはチェーンソーを使って仄音の事を追い詰めていた天使だ。
「ち、知恵……その、あのね……」
知恵を見かけた瞬間、アリアは木陰へ隠れていたのだがバレてしまった。観念して気まずそうに姿を現して、その表情は不安そうに眉を潜めている。
あの高圧的な態度を取っていたアリアが、ただの人間である知恵の顔色を窺っているのだ。まるで下っ端が上司の機嫌をとるような感じだろう。
仄音だけが状況を飲み込めず、呆気に取られていた。
「何? 私の友達に何してるの?」
「え、えっと……仄音さんには悪の欠片があって……知恵の友達とは知らなくて……」
「そうなの? でも、アリアが対処しなくても、他の天使がしているんじゃない?」
「ろ、ロトの奴が請け負っているけど、中々殺さないので私が「それはアリアも同じでしょ?」――ッ! は、はい!」
微笑んだ知恵だが、目だけ笑っていない。蔑むような冷たい眼差しで、戦慄したアリアは激しく頷いた。
「ほら、さっさと魔法を解いて」
「う、うん……」
言われるがままにアリアは水魔法を解いた。まるで調教を受けた犬のようだろう。
解放された仄音は助かったと静かに息を吐きだして胸を撫で下ろした。
「あの、二人の関係は? この天使……じゃなくてあ、アリアさんが天使だってこと、知恵ちゃんは知っているの?」
「まあ、そうなるね。仄音さんも天使のことを知っているんだね?」
「う、うん……ロトちゃんって言う天使が私を殺しに来たんだけど……今は何故か同棲しているよ」
「私と似たようなものかな。アリアは私の事を殺しに来たけど返り討ちにしちゃって……それからなんだかんだで、今では私の立場が上だね」
「ひっ……」
「ち、知恵ちゃん……一体アリアさんの何を握っているの……」
アリアの怯え方。まるで人間じゃない化け物を見て、怯えているようだろう。
魔法を使えて人間より強い天使を返り討ちにしたとは、その手段は見当もつかない。仄音は眉をひそめ、疑を含んだ視線を知恵に向ける。
「んー……まあ恥ずかしい写真とかいろいろかな? それよりも今はアリアにおしおきをしないと……ね?」
「や、やめて! も、もうしないから!」
懇願し、何度も許しを請うアリア。
優しい仄音は気の毒に思って止めようかと思った。しかし、あの天使が何をされ、何を恐れているのかを、非常に気になった。だから息を呑み、中々動けずにいる。
「じゃあ帰ろっか。此処では人目があるから、流石にできないからね」
「う、うん……」
自分の事を殺そうと、殺意Maxで襲い掛かってきた天使が、知恵の言う事を聞いている。
先ほどは知恵を恐れていたのに、今は恍惚とした表情で、まるでおしおきとやらを望んでいるようだろう。
仄音はとても気になった。一体、何をされてしまうのか? エッチな妄想をしてしまうのは仕方なく、我に返った頃にはアリアは知恵に連れられて公園の外にいた。
「仄音さん! また会って話そうね!」
振り返った知恵は笑顔で叫び、それはきちんと仄音の耳に届いた。
ああ、嵐が過ぎ去った。公園に残された仄音は疲れから溜息を吐いて肩を落とした。そして、どうしようかと悩んでいると不意に誰かに肩を叩かれた。
「えっロトちゃ――なにその格好は!?」
「ん? なにか変かしら?」
振り返って、仄音の視界にはロトが映った。
しかし、その服装はいつものフリフリとした魔法少女のようなドレスとは一風変わり、西洋の召使いが着込むメイド服。俗に言うコスプレというものだった。
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