第六話『元同級生との邂逅―1』
「あ、そうだわ。今日はショッピングモールで色々と買い物をしましょう」
「え……」
突然だった。穏やかな日常は終わりを告げて、ショックから仄音はフリーズして顔色を悪くする。描いたかのような絶望的表情に暗い雰囲気だ。ハイライトがない昏い目は底なし沼のようだろう。
ロトの言う予定は買い物、つまり外に出ないといけない。それもショッピングモールという人が密集する場所で、仄音にとって地獄極まりない場所だ。
昨日の不幸もあり、今日は一日ゆっくり過ごそうと心に決めていた矢先の出来事で、仄音は何としてでも阻止しようと奮い立った。
「きょ、今日はいいや……ま、また今度にしようよ! ね!」
「駄目よ」
「そんな! 後生だから! お願い!」
「昼夜逆転は直って、部屋も綺麗になった。次は食生活の改善と生活必需品の買い足し、つまりは買い物よ」
ロトはどこからか『仄音更生計画書』を取り出し、ステップⅡを指した。
「ここには必要な物が揃ってないわ。例を挙げればキリがないけれど仄音の服だってそうよ。流石にパジャマと制服だけはないわ」
仄音は引きこもりになってから、随分と腐ってしまった。自分自身のケアをせず、ゲームや音楽関連の機材に金を注いだ。新作のゲームを買うためにカップ麵ばかり食べ、ギターの機材を買うために洗髪剤を買わなくなった。
その結果、必要最低限の物しか買わず、残ったのは臆病な引きこもりニートだ。勿論、親の金が元手の話である。
「だ、大丈夫! 通販があるよ! 今までだってそうしてたし!」
「通販だと時間が掛かって、送料も掛かるわよ? それまで何も食べずにいられるかしら? 外に出れば美味しいご飯が食べれて、壊したゲーム機、ギターの弦もどうにかなるわよ?」
昨日の不幸の所為で、唯一の食料であるカップ麵は軒並み踏み潰され、他に食べる物は調味料くらい。それだけでなく趣味のゲーム機であるステッキは破壊、ギターも弦が切れているので弾けないだろう。
それらを思い出した仄音は更に絶望に染まった。現状が最悪であり、買い物に行けば解決すると悟ったのだ。
しかし、外に出る気が起きない。行けば朝食摂れ、ゲームを新調でき、弦を変えるにも関わらず、だ。
一方で、ロトは昨日の時点でこの状況に陥ると予想しており、ニヤリと笑みを浮かべている。仄音に外出する理由が出来た事が嬉しく、何なら昨日の不幸も好ましく思っていた。
「でもなぁ……」
「私だって色々と買い物がしたいのよ……そうね。今日、頑張って買い物に行くなら、全額私が負担してあげるわ。ゲームでもギターでも好きな物を買ってあげる」
逡巡としている仄音に、痺れを切らしたロトはそう宣言して拍車をかけた。
物で釣る、いや金で釣るとは嘗められたものだろう。仄音は心外だと思ったが、心の中の悪魔が『ここは甘えようぜ。ついでに高額なギターを買ってもらおうぜ』と囁き、同時に対の存在である天使は『いいえ、ここは自分に厳しくあるべきです。奢ってもらおうとは考えず、全て自分が負担するのです』と良心に訴えかける。
「うぅー! じゃあご飯だけ奢って!」
「分かった。行くのね。早く用意しましょう。お腹が空いたわ」
「あ……」
苦悩の挙句、仄音は絞り出したような声で答えたが、よく考えなかったのは失敗だろう。ショッピングモール行きが確定した。
ショックから泣きそうになっている仄音だが、引きこもりを改善するために出かけるは良い事だと分かっている。自分だけでなく、ロトの物も買い備えないといけないとも分かっている。だから発言を撤回しようにも、口を開けなかった。
仄音は朝八時に起床し、ロトと地獄の会話をしたのが九時くらい。そして、十時には家を飛び出した。目指すは近所のショッピングモールなのだが、朝食を摂っていないのでスタミナがなく、だらだらと一人で横断歩道を渡っていた。
ロトと仄音は一緒に買い物をする予定だったのに、どうして一人で歩いているのか? それはいざ出発の時に重大な事実が発覚したのが原因だった。
『ロトちゃん? もしかして、その格好で行くの?』
『……? 何か問題でもあるかしら?』
そう、それはロトの服装だ。普段からコスプレのような特徴的な服を着たロトとショッピングモールで、隣同士歩くなんて注目を集め、仄音にとっては拷問に近いだろう。
しかし、ロトは自分の服装がおかしいと思っていないので首を傾げて、不思議そうに戸惑う仄音を見つめている。天使はそこらの人間よりも聡明で特殊な力を持っているが、一般的な常識が欠けているようだった。
結果、注目を浴びるのが苦手な仄音は直前で「やっぱり一人で行く! 私は陽キャだもん!」などと虚勢を張って一人で飛び出してしまったのだ。
「それにしても久しぶりの外だけど……」
天候は晴れに近い曇り。雨が降る雰囲気はなく、周りは朗らかしている。
法律を守って車道を丁寧に走る車。すれ違う人々はスーツを着た社会人であったり、買い物をした主婦であったり、または友達とはしゃぐ幼い子供だったり。飼い主と楽しそうに散歩している犬がいれば、生き残るために餌を求めて彷徨う野良猫。優しそうな老人に餌付けされる鳩。ああ、この町は平和だろう。
仄音も、住民の一人だった。音楽という道を選び、ギターを弾いて夢を目指す。しかし、結果は出ておらず、胸を張ることができない。心にあるのは劣等感だけだ。
仄音の目には周りの人々が羨ましく映り、特に子供を見たら胸が苦しくなった。過去の楽しかった時期に戻りたいと願ってしまう。
「急ごう……」
嫌な気持ちから逃げるように仄音はスピードを上げた。周りが気になり、気配だけでなく風の音さえも恐怖を抱いてしまう。挙動不審気味に俯き、自分の足元と薄汚れたコンクリートが見えるだけの劣悪な視界の中、どんどん歩いていく。
やだ、あの子ってあのアパートに住んでいる引きこもりでしょう――
うわ、まだ制服を着ているとか貧乏なのか――
時折、すれ違った人の声が耳に入り、それら全てが自分を嘲笑っているように聞こえ、仄音は過呼吸になった。周りの人が自分に注目している。悪口を言っている。誹謗中傷だ。
冷静に考えればそんな筈はないだろう。仮に思っていたとしてもシャイな日本人は心に留めるのだが、ずっと引きこもっていた仄音は冷静になれない。悪い方向に思い込んでしまう。被害妄想という奴だろう。
「うぅ……無心無心……気にしない気にしない……」
それが分かっていても気分は悪くなる一方で、今はただ視線から逃れたい一心で歩を進めている。ショッピングモールへと向かっている筈だが、もはや盲目になっており道が分からない。
「あ、あれ?」
気づいた頃には全く知らない場所にいて、仄音は困った声を漏らした。
光景はがらりと変わって商店街。賑わう人々で溢れ、平日の午後という事もあって、主婦が多い。夕飯に向けて買い物をしているようだ。
(此処って……ああ、あそこか……)
周りを見渡す仄音はショッピングモールとは明後日の方向にある商店街である事を察した。
しかし、理解しただけであり冷静になった訳ではない。道路や住宅街とは違い、商店街とは色んな店が集まる故に人が多い場所である。そんな魔界の地に来てしまった引きこもりの仄音はパニックに陥った。頭の中が真っ白になり、そこにあるのは酷い妄想から来る恐怖。
怖い。ただ人間という同種が目の前を歩いている。群れている。それだけなのに身体の震えが止まらず、息も荒くなる。自分という存在が貶されているように思えた。
遂に仄音は商店街を避けるように路地裏へと入って、現実逃避をするように蹲った。
「すぅー……はぁー……」
気分を落ち着かせるように深呼吸をして、これからどうするのか思考を張り巡らせる。
帰ろうにも、また商店街を通らないといけないと思うと仄音は嫌気が差す。いや、そもそも外に出るのはうんざりと思い、これ以上人の目を浴びたくない。
ならロトに助けを求めるしかないだろう。
(でも、一人で行けるって強がっちゃってこの体たらくだよ。流石に迎えに来てとは言えないよね……)
スマホの画面で何故かこけしのアイコンをしているロトの連絡先を表示させるが、思い留まった仄音。暗い路地裏で、隠れるように蹲っているからか、マイナス思考がどんどん溢れだしてくる。
(本当に私って駄目な人間だよ……商店街に来ただけこの有様なんて、更に賑わっているショッピングモールに行ける訳ないよ)
すぐ真横は活気に満ち溢れているというのに、そこに仄音は入ろうとはしない。どうする事も無く、無駄な時間が過ぎて行く。
その時、ふと仄音の目の前にあった扉が開かれた。
「ひっ……」
まさか人が出てくるとは思ってもいなかった仄音は咄嗟に顔を隠して、怯えた様子を見せる。
「あれ? もしかして仄音さん? その特徴的な髪の毛は仄音さんだよね?」
「え?」
聞き覚えのある声に自分の名前を呼ばれ、仄音は反射的に指の隙間から相手の顔を確認した。
「ち、知恵ちゃん?」
その人物は
活発な子で、歌が上手く、クラスの中心人物であった知恵の事を仄音はよく覚えていた。
「やっぱり仄音さんだ! 音千の制服着てるし!」
持っていたゴミを落として、ずいっと顔を近づけてくる知恵。あまりの勢いに辟易とした仄音は壁に背中をくっつける。
今の仄音はニートであり、引きこもりであり、親の仕送りで生活しているただのクズ。そんな自分の姿を、元同級生である知恵に知られたら笑われるに決まっている。そう思う故に――
「ち、違います!」
仄音は苦しい否定をして、知恵から数メートルの距離を取った。
「えぇ!? 今私の名前言ったよね!? 仄音さんだよね!?」
「人違いです! 私は猫水仄音なんてださい名前じゃないです!」
「自分の名前をだ、ださいって……っていうか私は仄音さんとしか言ってないし、やっぱり仄音さんでしょ! どうして嘘をつくの!」
知恵は自爆した仄音を憐れむかのように苦笑いを浮かべる。その引きつった笑みには頑なに否定する仄音を理解できないという意味も含まれていたのだが、既に彼女が仄音だと確信できる言質は得ているも同然なので知恵が引く事はない。寧ろ、逃さないと両手を前に出してじりじりと近寄っており、まるで女性を狙う不審者だ。
「さ、さようなら!」
「あ! ちょっと待って!」
これ以上知恵の相手をすればボロが出て、言い逃れできなくなると分かっていた仄音は自分から商店街の中を駆けだした。
「待ちなさいって!」
知恵は遠くなっていく仄音の背中に手を伸ばすが当然届かない。流石にバイト中なので追うリスクが高いと感じ、大人しく踵を返すしかなかった。
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