第五話『天使の星座占い―2』

 会話が一切ない気まずい空気の中、仄音と胡桃は炬燵を囲んで、昼食としてドーナツを食べていた。

 よくあるチェーン店のドーナツだったが、仄音はドーナツを食べるのが数年ぶりだったため普通よりも美味しく頂けた。が、それを顔に出すことはなく、無表情で俯いてしまっている。人見知りを発揮しているだけなのだが、傍から見れば不味そうに食べているようだろう。


(なにこれ……とんだ罰ゲームだよ。ほんと不幸だ……)


 折角お昼を誘ってもらい、ドーナツをご馳走になっているのにお礼すら切り出せない自分に嫌気が差し、仄音の気分はどんどん沈んでいく。


「相変わらずな人見知りやな。ロトのやつがおらんから前より酷いで? もっと砕けてみいや」


「え? でも、胡桃さんって年上ですよね?」


「あーもう! そんなん気にせんでええねん! ほら! 笑ってみ!」


 胡桃は手を伸ばして強引に仄音の口角を上げるが、炬燵越しなので無理があった。

腕に当たったコップが倒れ、中に注がれていた林檎ジュースはカーペットへとぶちまけられた。


「ご、ごめん! うちが悪かったわ!」


「い、いや、胡桃さ――胡桃ちゃんは悪くないよ。私の運勢の所為だし……」


 言われた通り、砕けた口調で言い直した仄音は近くにあったティッシュを使って林檎ジュースの後始末をする。しかし、一向に綺麗にはならない。見た目は普通だが、べたつきは完全に拭えないようだ。

 早々に諦めた仄音は心の中で(後はロトちゃんに任せよう)と他力本願し、しょんぼりと机に突っ伏した。


「さっきから思ってたけど何かあったん? 元気ないやん」


「いや、それがね――」


 仄音は自棄になり、吐くように今までの不幸を語った。

 それを聴いて気の毒に思った胡桃は苦笑いを浮かべるしかできない。自分の訪問も、その不幸に入っているのだと察し、少しだけ申し訳なく思った。


「なんやその星座占いは……まあでも大丈夫やよ。今日の一位は胡桃さんなのでプラスマイナスゼロやー」


「えぇ? 本当なの?」


「いや、星座占いなんて見いへんから知らん」


 胡桃は偉く胸を張ったが、根拠がないので失望した仄音は冷たい視線を送る。

てっきりこれで朗らかな雰囲気になると思っていたので、耐えられなくなった胡桃は「ごほんっ」と咳払いをすると話題を変えた。


「それにしてもカラハシさん引退したんかー。意外やね。あんなに人気やったのに……」


「うん。なんでもヴァーチャル活動に疲れたんだって……一番ショックな出来事だよ」


 カラハシという配信者はオタクなら一度は耳にしたことがあるような有名人だ。

だから胡桃も知っており、その引退を知って吃驚している。普段から元気そうな人物で、引退の字すら霞むような人物だったから尚更だ。


「でも、今日という日はまだまだや。これからもっと不幸が襲うなら気をしっかり保たないと……マジで死ぬかもなー」


「え、縁起の悪いことい、いい言わないで……」


 あははと言った風に胡桃は笑っているが、冗談で済まないだろう。

 今まで不幸の猛威を喰らった仄音は本気で怯えている。身体がガクガクと震え、その尋常ではない様子に胡桃の表情は真剣になった。


「そうやなぁ……逆に考えよう。ゲームデータが消えたって言っても昔のデータやろ? 今、プレイしているゲームのデータが消えるよりはマシや!」


「た、確かにそうかも――うぇっ!」


 前向きな考えに、思わず仄音は立ち上がって感心した。が、それは軽率だっただろう。

バキッ! という何かが潰れる音が足元からして、血の気が引くのを感じつつ視線を落とした。


「ス、ステッキ……ふ、踏んじゃった。最新のゲーム機で高いのに……」


「え、まじか……あの高い奴やんな。ま、まあデータは無事やろ? 最近のは大体SDカードやし……」


「私、データは本体に保存してるから……」


「あ……」


 仄音の手には液晶が割れたステッキという最新のゲーム機。辛うじて電源は入るようだが画面が映らずに真っ暗だ。本体にデータを保存しているなら、限りなく詰みに近いだろう。修理に出せば直るだろうが、データがどうなるかは分からない。

 ミカエルが言っていた通りだ。流星群のような、無数の不幸が仄音へ降りかかる。絶望へと追い詰めているようで、仄音の考えの二手、三手、先読みしているようだろう。利口な不幸だ。


「ほ、ほらポジティブになるんや! 落ち込んでたらあかんでー!」


「う、うん。分かってるけど……」


「ならこう考えよう。身体に何もなかっただけマシや!」


「いや、それフラグじゃ――きゃっ!」


 先人が生み出したフラグというユーモア溢れる法則に従うように、突如ベランダの窓を突き破って丸いもの飛来した。

 それはガラス片を辺りに散らばらせ、仄音の肩に直撃する。


「い、痛い……」


「だ、大丈夫か! これは……野球ボール?」


 丸い物の正体は典型的な野球ボール。アパートの直ぐ傍の公園から飛んできたボールのようだ。


「おいこらー! こんな狭い公園で野球は危ないやろ!」


 胡桃はベランダに飛び出したが、既に子供たちは慌てて逃げており、自転車で遠くを走っている。注意するために追いかけるよりも、今は仄音の方が大事なので手摺に八つ当たりをした。


「くそっ! 悪ガキども逃げよったわ。大丈夫か?」


「だい、大丈夫……じゃないよぉ」


 バットで打たれたボールはガラスを突き破ったお陰で減速していたため、そこまでの威力はなかった。痣が残ることもないだろうが、痛いものは痛い。

 仄音はゆっくりと目を瞑って、今までを振り返った。

ゲームのデータが消え、アカウントが理不尽にBANされてガチャ爆死。ギターの弦は全て切れ、カラハシの引退。そして、胡桃が来て、ジュースを零し、ステッキは潰れ、挙句の果てには窓を割られてボールが肩に直撃した。

 ああ、碌な事がない。もう限界だった。仄音は度重なる不幸から口角を三日月のように吊り上げて、狂った笑みを浮かべた。


「帰って……」


「え?」


「いいから帰って! 一人にして!」


 そう叫んで仄音は胡桃の手を振り払った。しかし、その拍子にまた林檎ジュースが零れて仄音の服へと掛かった。


「あ……ロトの正体を訊きたかったんけど……分かった」


 勿論、胡桃は友達として仄音が心配していた。しかし、自分が訪れた所為で仄音に不幸が降りかかった。負い目を感じていたので、余計なお節介を焼かずに大人しく引き下がる。


「じゃ、また来るわ。すまんなー」


「あっ……」


 仄音が正気に戻った頃には胡桃は慌てて帰っており、伸ばした手はゆっくりと虚空を切り裂いた。

 優しくしてくれたのに八つ当たりしてしまった。気持ちを踏み躙ってしまった。胸に残ったのは罪悪感だけで、仄音は徐に後片付けを始めた。






 仕事が終わったロトは真夜中の、真っ暗な海のような大空を飛んでいた。真下にはきらきらと輝く町があり、そこには様々な人が生活している。仕事が終わって帰宅途中の人がいれば、友達を遊んでいる人や恋人とデートしている人もいる。普段はロトと仄音も、この中に紛れているのだ。

 ロトは自分という天使が如何にちっぽけな存在か感慨深く思い、ふと腕時計を確認した。


「八時ね。予定より遅くなってしまったわ……」


 短い針が八を指しており、ロトの予定だと六時には終わる筈だった。どうして二時間も遅れたのか? それは単純で、ただの残業だ。

 本当は六時に終わる予定だっただが、途中で上司から雑用を押しつけられたのだ。因みにノルマとは関係なく、残業代なんてない。如何に天使という仕事がブラックかが伺える。

 ロトは疲れから深く溜息を吐くと更にスピードを出した。


「仄音……大丈夫かしら? 今朝の星座占いの件もあるし、少し心配ね……」


 一応、気にしない方が良いと助言していたが、仄音には響かなかったようで物凄く不安そうにしていた。それこそ、まるで授業で先生と目が合って当てられそうになった時のように視線を伏せていた。

 星座占いの最下位くらいで、くよくよするな! というのがロトの本音だったが、それを内気な仄音に押し付けるのは酷だろう。


「と、着いたわ……えっ?」


 ベランダへと華麗に着地したロトは固まった。

 何故なら、目の前のガラス戸は割れ、部屋の中はカーテンで見えないが真っ暗だ。空き巣が入ったように見えるだろう。まるでお化け屋敷のような不気味さに戸惑いつつ、仄音の安否を心配したロトはカーテンを捲った。

 そこは朝、ロトと仄音が楽しく朝食を摂っていた場所では無くなっていた。ベランダ付近には割れたガラスが散乱し、カーペットには林檎ジュースとカップ麺がぶちまけられ、炬燵の上には割れたコップと壊れたゲーム機。切れたギター弦が散乱し、箪笥から物が落ちていたりと全体的に荒れており、肝心の仄音は部屋の隅で布団と同化するように蹲っていた。


「ほ、仄音? な、何があったの……」


 あまりの部屋の変わりようにロトはゆっくりと仄音に近づいて、恐る恐る尋ねた。まるでホラー映画のワンシーンのようで、緊迫した空気に息を呑む。

 すると、今になってロトの存在に気付いた仄音は顔を覗かせ、表情は段々と緩んでいって遂には滝のような涙を流した。今まで気を張り詰めていたのが、ロトの顔を見たことにより安心したのだ。


「ろ、ロトちゃん! わ、私、頑張って耐えたよ!」


「そ、そうなの? えらいわね。兎に角、何があったか教えてくれる?」


 短く頷いて仄音は今までの悲劇を、成仏させるような勢いで吐いた。

 そして、部屋の惨状の真相を知ったロトは軽く眩暈がして、頭を手で押さえる。更に詳しく聞こうともう片方の手で部屋の一部を指した。


「あのゲーム機は?」


「ステッキは……フラグを回収したんだよ。修理に出してもいいけど、時間が掛かりそうだし買い直すよ。データは諦める」


「カップ麺は?」


「さっき食べようと手に持ってポットの湯を注いだら、どうやら底に穴が空いてたみたいで火傷しちゃった……」


 強がりからぎこちなく微笑んで右手を見せる仄音。掌が少しだけ赤くなっており、心配したロトはガラスを扱うように優しく両手で、仄音の右手を包み込んだ。


「大丈夫? 痛くない?」


「うん、大丈夫だよ。軽い火傷だから……それよりも火傷にびっくりして倒れちゃって、カーペットにぶちまけたし、転んで残りのカップ麵を踏んづけちゃった」


「ギターは無事なのね」


「なるべく近づかないようにしてたから……もしギターが潰れたら、私立ち直れないよ。弦は全部切れちゃったけど……」


 殆ど無くなったカップ麵に、切れたギターの弦。仄音が死ぬような不幸を体験して大変だったのは気の毒だが、ロトはこの状況を――


「好都合ね……」


 そう判断して、含みのある笑みを浮かべた。


「えっ?」


「いや、気にしなくていいわ。それより仄音はそこでじっとしてなさい。後片付けは私がするから」

「あ、うん。ごめんね? 任せちゃって……」


 自分が蒔いた種は自分で後始末をしたかったが、それをしてしまうと不幸が更に猛威を振るう事になるだろう。だから、仄音は項垂れて申し訳なく思った。


「取り敢えず窓に修復魔法を掛けて、後は……」


 猫のように怯える彼女を心配しつつ、ロトは修復魔法を窓ガラスに掛け、残りは敢えて掛けずにゴミとして片づける。それには計画があるのだが、仄音の頭はそれに感づくほど回っていなかった。

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