第五話『天使の星座占い―1』

 掃除のお陰で仄音家がピカピカになり、早くも数日が経った。

 相変わらず不健康な食生活をしている仄音はお気に入りのカップ麵を啜って、心の中で今までの出来事を振り返っていた。


(ロトちゃんが来てから毎日が新鮮だなぁ。心が満たされて、何だか幼少期に戻った気分だよ……)


 自堕落的だった仄音の生活は、ロトのお陰で改善の兆しを見せていた。

 ゴミだらけだった部屋はすっかり綺麗になり、ロトに仲介してもらってお隣さんとの軋轢が解消された。今まで以上にギターの練習に励めるようになった。昼夜逆転が当たり前だったのが、ロトの厳しい管理で夜の十時、遅くても十二時までには就寝。朝の八時までには起床という流れを作った。

 それらは仄音の精神衛生を向上させ、心の蟠りを軽くした。その分余裕ができたが、良い事ばかりではなく、色々と考えさせられる事もあった。


(それにしてもロトちゃんは絶対に仮面を外さない。気になるなぁ……)


 ロトは生活中、絶対に仮面を外さなかった。仄音とゲームをしている時、食事中、入浴中、就寝中。仮面と言っても顔の半分を覆う物なので食事は不可能ではないが、入浴中といった明らかに仮面が邪魔な場合であっても頑なに外さなかった。

 仄音は箸を止めて、目の前のロトに視線を向ける。

 気難しそうな表情のロトはカップ麵、それもうどんを食べていて、何となくテレビを見ていた。その心は仄音の食生活の改善を考えていたのだが、知る由が無い仄音は釣られてテレビに注目する。


「ミカエルステーション? こんな番組あったっけ?」


 ニュース番組のようで右上に『悪の欠片、プリン混入事件』と大きく書かれている。

テレビには映っている唯一の人物は司会者だけで、ミカエルという大天使染みた名札を付けており、天使の輪を頭の上に浮かべていた。

 巧まずして普通の番組じゃないと察した仄音はジト目をロトへ向け、その説明を求める視線に気が付いたロトは手を止めた。


「天使用のチャンネルよ。一つしかないけど、主にニュース番組ばかりね」


「なにそれ? 勝手に特殊なアンテナでも建てたの?」


「そんな事しないわ。電源、十、四、電源、十、四、の順番でリモコンを操作すれば繋がるわ」


「えぇ、なにその昔のゲームでありそうなコマンドは……」


「因みに十と四で天使よ」


「聞いてないよ」


 べたな洒落だろう。

 一気に寒くなった仄音は更に深く、炬燵へ浸かった。


『――続いて、星座占いですが一位から十一位まではこんな感じです。ラッキーアイテムは貴方の心の中にあります。そして、えー残念ながら今日の最下位はいて座の貴方です。なんと今年一番の最悪の日になるようで、流星群のように不幸が降りかかるでしょう。ラッキーアイテムなんてものは存在しません。残念です。精々死なないように頑張りましょう』


 星座占いというのは一種の夢だろう。学校または会社へと向かう前、朝ごはんを食べつつテレビを見て、そこで行われる星座占いはその日の運勢を決めるもの。興味が無くてもニュースのおまけコーナーみたいな扱いで紹介されるので、なんとなく見てしまうものだ。一位だった場合は嬉しいし、また最下位だった人は落ち込む。占いを信じない人でも、その感覚は一緒に違いない。ラッキーアイテムを意識する人もいるだろう。

 そんな星座占いは朝が多く、ミカエルステーションという天使の番組がやっていてもおかしくはない。しかし、内容は杜撰、それも不吉だったため仄音は口を開けたまま箸を落とした。  

 ミカエルがいて座の人たちに告げたのは、今日が一年の一度の最悪の日になること。それもラッキーアイテムが存在せず、死を彷彿とさせることを添えられた。


「星座占いね。私は誕生日を憶えてないから分からないけど……仄音はいて座だったわね」


「う、うん……朝から一気に不安になったよ」


 誕生日が十二月十二日の仄音はいて座だったので、最悪な事態を考えてしまい、表情を曇らせた。テレビなんて見なきゃよかったと後悔する。


「ただの占いだから気にしない方がいいわよ……そういえば、私はこの後仕事があるから」


「え? そうなの?」


「ええ、天使は悪の欠片を除去するのが使命。ノルマを達成しないと上司に怒られるから……」


「あ……ごめんなさい。私の所為だよね……」


 俯いた仄音は唇をぎゅっと結ぶ。迷惑を掛けてしまっていると感じ、掛ける言葉が見つからない。


「別にいいわよ。私が仄音の世話をしているのは天使の役目であり、ただの自己満足でもあるの……見返りを求めている訳じゃないし、気にしないで」


 カップ麺を食べ終わったロトは俯いている仄音にそう返した。

 そう、ロトが仄音の世話をして、仄音の遊びに付き合っているのは天使勤めを建前にした自己満足。上司に許可を取った訳でもなく、ただの独りよがりに近かった。


(ロトちゃんの仕事……悪の欠片の除去って人をこ、殺すって事だよね? どうして私を生かして、世話までしてくれるんだろう……)


 仄音にとってロトは優しい温かさを与えてくる存在で、家族のように思っていた。

 だけど、ロトの考えが分からない。ただ分かるのは彼女が自分に向ける感情は気まぐれや同情、そういった単純なものではないという事だ。そうじゃなきゃ、ここまで感情を表に出さず、綺麗な笑みを浮かべない筈だろう。


「ねぇ、ロトちゃ――」


 視線を上げ、仄音はロト本人に尋ねようと思った。

 しかし、既に出勤しようとロトはベランダに出ており、あの神々しい翼を広げていた。

 (まさか……)と仄音は呆気に取られていたが、そのまさかであり、ロトは仄音に軽く手を振ると手すりから飛んだ。傍から見たら、ただの投身自殺だ。

 咄嗟に仄音もベランダへ飛び出したが、既に彼女は空の彼方へ飛んでいた。鳥のように翼を羽ばたかせ、その速度は戦闘機に近いだろう。辺りにいる人は平然と歩きスマホをしているので、見られてはいないようだ。


「いつか誰かにバレるんじゃ? まあ、ロトちゃんだし、何かしら対策をしているよね?」


 遠い目をした仄音は願いを口にした。





 チッチッという時を刻む音が一定のリズムで鳴る。

 過去の行いを悔んでいた仄音は警戒して布団の中に潜り込んだ。その姿はまるで潜入捜査をしているスパイのようだろう。目をぎらつかせて、暗い部屋をきょろきょろと見回した。


「うぅ……まさかこんな事になるなんて……」


 数時間前、朝食を食べていた時に流れていた星座占い。いて座が最下位だと知って、仄音は不安に思ったが(ニートの私は関係ないか。外に出る予定なんてないし……)と、それだけで終わらせて気に留めなかったのは失敗だった。

 事実、番組のアナウンサーが言っていた通り、まるで数週間の闇をぎゅっと凝縮したかのような今年一番の不幸が、仄音を絶望へと突き落とした。


「くっ……ゲームのデータは消えるし、アカウントはBANされるし、ガチャでは何もでないし……」


 不幸の予兆が現れたのはロトが仕事へ出向いた、直ぐ後だった。

 先ず、仄音は久しぶりにRPG系のゲームをしようと、古い携帯ゲーム機を手に取ったのだが充電が切れていた。仕方がないので充電器を繋ぎ、電源を入れてみると画面には赤い文字で『おきのどくですがデータが消えてしまいました』というデータ紛失のメッセージ。幼少期の思い出のデータだったのでショックを受けたが、ハード自体古いので仕方がないだろう。

 そう割り切り、次にスマホを弄った。が、SNSアプリでは何故か垢BANされており、ソシャゲでガチャを回すと爆死した。


「だからギターを弾こうとしたら弦が切れるし、何故か買い溜めしていた分、全部切れたし……」


 この時点で仄音の脳裏にはあの星座占いが木霊し、気分転換にギターに触れた。

 しかし、不幸に触発されたように弦が切れ、直ぐに新品の弦を張ったがペグを回し過ぎたのか、またプツンと切れてしまった。それを三回も繰り返し、合計で四つの弦が切れた。

 それなりのギター経験のある人が四連続で弦を切るなんてあり得ない。もはや天罰の域だろう。


「ギターが弾けなくなって、だからカラハシさんの配信を見ようと思ったのに……」


 今日が厄日だと身に染みて分かった仄音は大人しくしておこう。そう思った矢先、今までとは違った不幸が落とされた。

 それはネット記事として襲い掛かり、内容はカラハシという仄音が大好きな人気ヴァーチャル配信者の引退だった。

 カラハシがまだ駆け出しだった頃から仄音はファンであり、彼女の笑顔に何度も元気づけられた。彼女の動画や配信は全て楽しく視聴して、グッズも買っていたほどだ。枕元に置いてあるぬいぐるみだってカラハシモチーフだ。

 今までの不幸の一つ一つが一とするなら、カラハシの引退は百だ。それくらいショックを受けた仄音の頭は真っ白になり、現実から目を逸らすように布団に包まった。

 そして、現在進行形でこれ以上傷つかないためにも不幸を警戒していたのだが、不幸というのは物ではない。いわば概念的な物であり、生きている以上回避は不可能だろう。ただ神に祈ることしかできない。


「こうなったら寝ちゃった方が……いや、ダメだよね。それをしちゃったら夜中に眠れなくなって、また昼夜逆転しちゃう。そうなったらロトちゃんに怒られて、結局不幸に苛まれる……」


 しかし、こうも布団に潜り込んで警戒していたとしても限界がある。人間の集中力は五分程度しか持たず、周りは静寂としていて、ふかふかとした羽毛布団に包まれているのだ。次第に眠たくなるのは必然だろう。

 実際、強烈な眠気を覚えていた仄音は眠たそうに目元を擦り、大きな欠伸をしている。


 ――ピンポーン!


 そんな時、チャイムの高い音が仄音の耳に響いた。


「誰だろう? ロトちゃんじゃないよね? なんだか嫌な予感が……」


 ロトと出会った時のような展開に、仄音は戸惑いを隠せずにいた。が、相手が気にならない訳がなく、のそのそと布団から這い出て、訪問者を確認しに向かう。


「あ、胡桃さん?」


 ドアに取り付けられた覗き穴から見えたのはお隣さんの胡桃だった。

 ニートで引きこもりの仄音は人見知りであり、ロトがいない今、あまり人と接したくなかったが居留守を使う訳にはいかない。

 何故なら、胡桃は仄音が引きこもりという事を知っているので、居留守なんて秒でバレてしまうだろう。そうなったらまた関係が拗れるかもしれない。


「は、はい……何か用ですか?」


 諦めた仄音は少しだけドアを開けて、胡桃に尋ねた。


「いや、お昼一緒に食べようかなって思ったんやけど……どうしたん? 顔色悪いけど……」


「い、いや……色々遭って……」


 ドアの隙間から顔を覗かせる仄音は明らかに落ち込んでいるように見え、胡桃は心配そうに首を傾げた。


「取り敢えず、入れてくれんか? ほら、駅前でドーナツ買ってきてん」


 にこっと笑みを浮かべてドーナツが入った箱を見せた胡桃。

 折角、お昼を誘ってくれたのに断る訳にもいかず、仄音は畏まった態度で「ど、どうぞ……」と言い、胡桃を部屋へと招き入れた。

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