第三話『隣人との関係―1』

 隣の号室の前で待っていたロトは、やっと家から出てきた仄音を見ては露骨に顔を顰めた。


「どうして制服なの? そのインスタント食品は何?」


 仄音の服装はパジャマから制服へと変わり、手に持った紙袋の中身はカップ麺が三つほど。明らかにどこかズレていた。


「ひ、ひぃ……日の光が眩しい! あ、意識が……」


「ちょっと落ち着きなさい! 貴方は吸血鬼か何か!?」


 自宅の扉にしがみつく仄音は尋常じゃないほど身体を揺らし、汗をかいている。

 その原因はたかが日光だ。自宅から一歩ほど外に出ただけで、まるで化け物に遭遇したような怯えよう。半年ぶりの外、それも二年は引きこもっていたので仕方ないだろう。

 ロトは少し目を閉じて、頭痛を感じると仄音の手を取った。


「ほら、落ち着きなさい。私が傍にいるから」


「ろ、ロトちゃん! ふぅー……」


 一肌脱いだロトは仄音の両手を優しく自分の両手で包み、言葉だけでなく体温という安心感を与える。

 すると仄音は深呼吸して、なんとか心を落ち着かせた。


「震えが収まったわね……落ち着いたかしら?」


「ご、ごめんね。別に日光が怖い訳じゃないけど、久しぶりに外に出たから取り乱しちゃって……」


「まあ引きこもって二年らしいわね。といっても目的地は隣だけど……それで? その服装と紙袋について説明してもらおうかしら?」


 呆れたロトは前の話題を引っ張り出す。


「やっぱり誠意を見せた方がいいかと思ってカップ麺は詫びの品。パジャマだと駄目だから制服を……」


「色々とツッコみどころがあるけど、先ず制服なのはどうして? 挨拶も含んでいるのだから普通に私服でいいのよ。学生と勘違いされるわよ」


「いや、だって私、パジャマと制服しか持っていないよ」


 微妙な空気が辺りを支配し、鴉が阿保と鳴いている。

 制服とパジャマしか持っていないとはどういう事なのか? 今までどうやって暮らしてきたのか? そういう疑問がロトの心を埋め尽くしたが、慮ってみると直ぐに分かった。

 仄音は引きこもりで友達がいない。だから私服なんていらなかった。寝る時はパジャマ、登校時は制服という生活を続けて、今の彼女があるのだ。


「ま、まあパジャマよりはマシだからいいわ……」


 前向きに考えたロトだったが憐みの視線を仄音に向けてしまう。

 勿論、不憫に思われた仄音はその視線に気づかない訳はなく、心に深く傷を負った。ショックから絶望を感じされる虚ろな瞳に成り下がっている。


「それでカップ麵は?」


「いや、だから詫びの――「どうして!?」


 仄音の声を遮って、痺れを切らしたロトは言った。


「律儀なのはいいわ。今までの迷惑を謝るという態度もいい。でもカップ麵って何よ! これじゃあ喧嘩を売っているようなものよ! しかもチャッカメンって何!? 激辛ラーメンよね!?」


「えぇ……確かに辛いけど、あっても困らないよ? いざとなれば食料になるし……」


「いざって何!? 通常時は食用じゃないような言い方は止めなさい! カップ麵で誠意は伝わらないわ!」


「うっ……」


 荒げた声で叱られた仄音は涙目になる。

 世間と比べてズレていたとしても、杜撰だとしても、全ては仄音が良かれと思ってした頑張りで、唯一の友達であるロトに否定されたのだ。挫けそうになるのも仕方が無いだろう。


「……ごめんなさい。きつく言い過ぎたわ」


 今にも泣きだしそうな仄音のしょんぼりとした顔を見て、ロトは如何に自分が愚かだったかを知った。

 誠意を見せるために努力して、お隣さんに謝ろうと勇ましく出てきた仄音を、きつい口調で叱ってしまった。

 もっと優しい口調なら良かったのに、出鼻を挫くように圧迫してしまった。


「いや、私が悪いんだよ。いくら隣人が鬱陶しいと思っても、仕返しにこれは駄目だよね」


「ええ、そうよ。面倒くさくても隣人とは良い関係を築かないとね……」


 二人は手を繋ぎ、見つめ合う。理解し合い、互いに認め合った、感動的な光景だろう。

 しかし、その一部始終を見ていたとある人物はついに我慢が出来なくなって――


 ――バンッ!


 怒りに任せ、ドアを蹴り開けて現れた人物は如何にも部屋着らしい格好をした女性。黒縁の眼鏡は光を反射し、歳は二十代前半だろう。

 その正体は二人の目的である隣人だった。


「声が聞こえたと思ったらなんやねん! ずっとのぞき穴から見てたけどなんなん!? 最初、良い子だなぁって思っていたけど、最後に本音がでたやんけ!? 絶対喧嘩売ってるやん!?」


 二人の失礼な態度に敵意を剥き出しな隣人は早口で怒号を飛ばす。噛まずにちゃんと関西弁を発音できたのは凄いだろう。

 叱責の視線が注がれた二人は不味いと思い、目配せでアイコンタクトを取った。


「お、おはようございます。いつも騒音で迷惑を掛けてすみません!」


「今、お昼過ぎやぞ? 普通はこんにちはやん! それに絶対反省してないな! さっきうちのこと鬱陶しいって漏らしたやろ!」


「あぅ……」


 あっさりと撃沈した仄音。人見知り故に、言い合いには慣れてなかった。


「あの――」


 変わってロトが攻めようとしたが、先に隣人が口を開く。


「っていうかあんたはなんや? なんかめっちゃ危なそうな格好しているけど中二病か!?」


「し、失礼ね……」


 自分の服装を正装だと思っているロトは隣人に貶され、あっさりと気迫に押されて撃沈した。

 これで隣人はノーデスで二キルだろう。と思われたが不屈の精神を抱いたロトは逃がさないと隣人の手を握った。


「ここで行われた会話は全て冗談よ。本当の詫びをするから仄音家に招待するわ」


「う、うん。合点だよ!」


「なっ! やめろぉ!」


 ロトは暴れる隣人を軽々と抑え込み、仄音と協力して家へと引き込んだ。

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