第三話『隣人との関係―2』

 温かい炬燵を囲んで三人は顔を合わせる。

 中心人物である隣人は気まずさと周りの汚さにきょろきょろと落ち着かない様子を見せていた。


「そういえば隣人の名前は?」


 最初に言葉を発したのはロトであり、その口調には棘が含まれている。


「隣人ってなんやねん。うちの名前は見張胡桃みばりくるみやよ」


 見張胡桃と名乗った隣人は出されていたお茶を一口含み、ロトを睨みつけた。

 次に固まって俯いている仄音を見る。今更人見知りを発揮し、目の前の胡桃を見る事すら恐れ、まるで故障したロボットのように沈黙していた。顔色も悪く、先ほどまで怒っていた胡桃でさえ段々と心配になってくる。


「おい? 大丈夫か? 体調が悪いんか?」


「仄音……ここで頑張らないと人見知りは改善されないわよ?」


 仄音自身もこの場で胡桃に自己紹介しないといけないと分かっていた。だけど口がセメントで固められたように開かない。

 家の前ではロトのペースに呑まれて何とか自然に話せていたが、この重たい雰囲気で言葉を発する勇気が湧かなかった。


「……なるほどなぁ」


 そんな仄音を見て、胡桃は何となく察して掛けていた黒縁の眼鏡をくいっと上げる。決して格好をつけている訳ではなく、無意識の行動だ。


「ほら自己紹介してみ。なんも怒らへんから」


「う……」


 気を使わせてしまったと思った仄音は負い目を感じて項垂れたが、同時に自己紹介をしようと突発的に言葉を発した。


「わ、私の名前は猫水仄音だよ! ギターをひ、弾いています! これが私のギターなんですけど、可愛いでしょう? この三日月の形をしたカッタウェイが最高で――あ、うう……なんでもないです」


 変な方向にテンションを上げてしまった仄音は途中で冷静になり、猛烈に死にたくなった。自己紹介していた筈なのに、まるで商品を紹介しているようになっており、ロトや胡桃は呆れた目をしている。


「まあ、このように仄音は人見知りで、引きこもりで、ニートで、どうしようもないくらいにクズなの。それで私こと、ロトが彼女の更生をしているわ」


「へーそりゃたいへんやねぇ……」


 胡桃は仄音の事をジロジロと舐めまわすように見て、またお茶を口に含む。

 仄音は死にたくなった。穴があったら入りたい、いや、いっそのこと穴の中で冬眠したかった。二年くらい。


「ふぅ……まあ私も三年くらい前は引きこもりだったし、気持ちはわかるなぁ……」


「え? そうなんですか?」


「そうなんよ。このままじゃダメやと思って、一人暮らしを始めたんや。そして、今があるなぁ……それよりも仄音の髪はどうなってんねん。猫みたいやな」


「く、癖毛で、あまり触らないでください」


「あ、ごめんごめん……」


 仄音の猫耳のような癖毛から手を離した胡桃は頭を掻きながら、軽い感じで謝った。


「で、急に何の用なん? まさか謝りに来ただけでないやろうし、単刀直入に言ってや」


 胡桃は最初から二人が自分に何か用があると察していた。内容によるが出来るだけ対立が深まるのは避けたいとも思っていたので、その口調は優しくて下手にでている。


「じゃあ言わせてもらうけど、仄音は見ての通りギターを弾いているわ。またギターで成功したいとも思っているから練習しないといけない。だから我慢して欲しいの。勿論、こっちも出来るだけうるさくしないようにするわ」


「い、今までの騒音を出してごめんなさい。でも私は弾きたいんです! お願いします!」


「……その件ならもうええよ。うちがちょっと敏感になってたところもあるから。あ、深夜に弾くのは流石に勘弁な」


 あっさりと解決した問題に仄音は唖然としてしまう。

 そもそも仄音の中では隣人は豪胆でいかつくて厳しい人だと思っていたので、まさか胡桃のような優しくて可愛らしい女性が住んでいるとは思ってもいなかった。


「あの……本当にごめんなさい……」


 胡桃の慈悲深い許しを受けた仄音は反省し、心から謝った。額を炬燵に当てて、傍から見ればふざけているように見えるが本当に謝っているのだ。


「お詫びと言っていいのか分からないけど、カップ麺三つ言わずにいくらでも持っていってください!」


「いや、カップ麵はいらんかなぁ」


「じゃあ何が……」


 カップ麵が駄目だと言われた仄音は家の中を見回したり、考えてみたりするが詫びに合った物はお金くらいしか思いつかない。

 そんな時、胡桃は待っていたと言わんばかりに言った。


「身体で払ってもらおうかなぁ……」


「へ? それって……」


 胡桃の発言がエッチな事だと理解した仄音の顔はみるみるうちに真っ赤になっていき、遂に爆発する。頭からは煙が出てもおかしくないほどに茹り、くらくらと倒れそうになった。

 その時、ずっと黙っていたロトが俊敏な動きを見せ――


「ちょ、なんや! 冗談やって!」


「もう用済みよ」


 胡桃の首根っこを掴んではゴミを捨てるかの如く家の外に投げ出して、鍵だけでなくチェーンも掛けた。

 納得のいかない胡桃はドアを叩き、チャイムを鳴らして不満を訴えるが、我関せずといった態度をとるロトは徹底しているだろう。

 暫くして胡桃は諦めて「冗談やのに……カップ麵の方が良かったか……」と呟きながら自分の家へと帰って行く。

 その様子をのぞき穴で見ていたロトは身体を翻し、何事も無かったように炬燵へと戻った。


「さ、流石にやりすぎなんじゃない? 胡桃ちゃんも冗談って言ってたし……」


「私は天使よ。彼女の中からは下心が感じられたわ」


「えぇ……」


 真相は分からないが、兎に角騒音問題を解決し、隣人である胡桃の素性もある程度は分かった。

 一先ず良しとしようと思った仄音は何故か不機嫌そうにしているロトを一瞥しつつ、お茶を喫して一服した。

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