第一話『昼夜逆転―2』
時刻は夜の十一時過ぎ。規則正しい生活を送る子供なら、既にベッドには入り込んで寝ている時間帯だろう。大人だって二、三時間すれば明日に備えて就寝する。
年齢的には大人、精神的には子供である仄音は昼夜逆転を治すためにロトと談笑を楽しんでいた。
「なるほど、ゴミの日は把握したわ。それで、この辺りでスーパーは何処にあるのかしら? あまり地理に詳しくないのよ」
「二年前と変わっていなかったらこの辺りに……それと此処には大きめのショッピングモールがあるよ」
「ああ、あのショッピングモールね。大きいから流石に覚えているわ」
スマホに地図を表示させて丁寧に説明する仄音とそれを記憶して頷くロト。
ふと仄音はスマホの時計機能に目がいった。
「あ、もう十一時過ぎたけどロトちゃんは帰らなくていいの?」
「え? 私は仄音を監視しないといけないから帰らないわよ?」
監視中は帰らない。仄音の寿命まで、つまりは一年くらいは帰らないという事であり、それは遠回しに仄音の家に住むと主張しているようなものだ。
悪びれる様子もなく、当たり前といった風な口振りなので仄音は呆気にとられたが、直ぐに正気を取り戻す。
「流石に帰った方がいいよ! 家族が心配しない?」
「天使は年中無休で悪の欠片を根絶するために働いているの。私はこの辺り、広野市担当の天使だけど、よく他の地域にも出張するわ。だから家を持ってなくて……仄音の更生もそうだけど、泊めてくれた方が有難いの。あ、お金はある程度出すから心配しないで」
「い、家がないの? そ、そう言われたら断れないよ……」
真剣な表情で頼み込んでくるロトと目が合い、仄音は期待から胸がドキドキと高鳴った。
ロトが住めば孤独でなくなり、きっと生活が楽しい。それだけでなく色んな面で支えてもくれるだろう。実際、ロトは仄音を更生させようと意気込んでいる。
だけど二人で生活するという事は色々と問題が浮上するだろう。嬉しいと思う反面、少しの不安と期待が混ざり合った混沌とした感情に、仄音は表情を曇らせた。
「ロトちゃんが住むとなると……布団はどうしようかなぁ……」
真っ先に脳裏に浮かんだ問題は寝床。
仄音の住むアパートはこの辺りだと比較的安い。それ故におんぼろで部屋数が少なく、なんとキッチンやお手洗いなどといった部屋を除くと自由に使える部屋が現在二人のいるリビング一つしかない、一般的に1DKと言われる物件である。
なら必然的に寝室はそこになるのだが、厳密にいうと寝室は此処ではなく、吹き抜けのようになっている二階だ。俗に言うロフトという場所であり、面積はリビングの三分の一程度。そこで仄音は縮こまって寝ているのだ。
「私は別に炬燵でも構わないわよ?」
「駄目だよ。風邪ひいちゃうよ……布団を買いに行こうにも夜だし、ネットで買っても直ぐに届かないだろうし……やっぱり朝一に買いに行くしかないのかなぁ。でも外に出るのは嫌だなぁ」
ロトの提案を拒否した仄音だったが良い案が思いつかずに唸る。引きこもり故、絶対に外出を避けたかった。
「まあ、その時になったら考えようかな……」
早朝に買い物に出向くという英断を下せない仄音は(どうせ就寝は先のことだ……)と問題を先送りにする。駄目な人間だろう。
相変わらず弱気な仄音を、ロトはジト目で睨みつけていた。
「あ、そろそろお昼ご飯でも食べようかな……」
「お昼ご飯って、そろそろ深夜よ? まあ確かに仄音にとってはお昼ごはんでしょうね」
「ロトちゃんも何か食べる?」
「頂こうかしら」
まだまだ眠気が来ない二人はお昼ご飯感覚で、キッチンに積まれていたカップヌードルを食す。
その間、ロトはずっと怖い顔をしていたが、淡々と麺を啜る仄音は気づかない。
大量のゴミと食品庫に建設されたタワーのようなインスタント群を見て、ロトは良く思っていなかった。明らかに食生活が乱れ、不健康なのだ。
「これは早急に何とかしないといけないわね……」
仄音を正しい方向へ導こうとロトはぶつぶつと思案していたが、肝心の仄音はノートパソコンでアニメを見ていたため気づいていなかった。
時計の短い針が三を指した頃、仄音とロトは二人で家庭用ゲームを遊んでいた。
プレイしているゲームは色んな作品のキャラが大乱闘をするゲームなのだが、初心者のロトは仄音に蹂躙されている。
「やった! また私の勝ちだよ!」
普段一人でゲームしている仄音からすると、友達と隣同士でプレイして奪い取った勝利はいつもより嬉しく感じられた。
そのお陰で熱中し、既に二時間が経過してロトは眠気からうつらうつらとしている。
「あれ? もしかして疲れちゃった?」
「ええ……眠気が、もう限界かも……」
仄音は昼夜逆転しているのでまだまだ元気だったが、規則正しい生活を送っているロトには夜中の三時はきつかった。
「ロトちゃん……付き合ってくれてありがとうね……」
引きこもりの世話をするだけでなく、プレイした事もないゲームを眠たい中、二時間もやらされる。それも負けていたので相当な苦痛だろう。
結局、これは全てロトの優しさなのだ。仄音の生活習慣を直そうとするのも、ゲームに付き合ってあげるのも、全て仄音の事を思っての行動。
それを感じた仄音はロトに感謝の念を抱き、ふらふらとしている彼女の肩を支えた。
「ちょ、大丈夫? 兎に角ゲームを切るね。取り敢えず、二階の私の布団で――」
途切れた言葉。それもそうだろう。仄音はロトに押し倒され、聞こえてくるのは心地よい寝息。
「えぇ……どうしよう……」
移動させようにも布団は二階だ。完全に脱力しているロトを抱える力を、引きこもりである仄音が備えてある訳が無い。
じゃあ、どうすればいいのか? 単純にロトに離れてもらい、炬燵を消して、代わりにタオルケットか何かを持ってこればいいだろう。炬燵をつけたまま寝てしまうと脱水症状の可能性があり、世間一般では風邪を患うとも伝えられている。
しかし、それを阻むようにロトは仄音を抱き締めた。顔と顔が近く、ロトの寝息が仄音の首に掛かり、良い匂いが鼻を擽る。
「ろ、ロトちゃん?」
羞恥に悶え、一刻も早く抜け出したい仄音だったがロトは一向に離さない。ロトの脳内の中では仄音は抱き枕になっているのだ。
そこまで強く締めつけていないので、華奢な仄音でも抵抗すれば簡単に抜け出せるだろう。しかし、ロトが起きてしまうのは確実だ。
「うぅ……この状況絶対おかしいよ……」
普通に考えて、昨日会ったばかりの人、いや天使と一緒に寝るなんてあり得ない。
殺意を向けてきた天使に世話をされるのもおかしな話だが、それに気づくほど仄音の頭は回っていなかった。
「綺麗な髪だなあ……」
ロトのぷっくりとした桃色の唇が間近に見え、似たようなピンク色の長い髪からは花のような甘い香りがする。髪型はポニーテールなのに背中まで及び、全く癖がない。跳ねやすい毛先も真っ直ぐだ。
比べて仄音の髪は癖毛であり、それも特徴的だった。傍から見れば猫耳のように見える癖毛で、それは水に濡らしても直らない。正に猫水仄音であり、それが理由でよく学校で揶揄われていた。
だからロトの髪の毛が羨ましく思え、仄音は無意識の内に彼女の艶のある髪に触れてしまう。
「仮面の下……見てもいいのかな?」
ロトの仮面の下。きっと気にならない人はいないだろう。押すなと書かれたボタンがあれば、無性に押したくなる。そういった心理に仄音は支配されていた。
(きっと美人さんなんだろうなぁ)
ロトの体型や容姿から察して仄音は確信していたが、それ故に気になって仕方がない。
「す、少しくらい、いいよね? バレないよね?」
誰に聞いている訳でもなく、独り言のように喋りながら仄音は手をそっと仮面に伸ばす。
日の光をあまり浴びていない綺麗な腕から伸びた一本の人差し指は仮面に触れ、思わず息を呑んだ。遂に、ロトの素顔が明らかになるのだ。期待と興奮から心臓がドクドクと脈を打ち、世界がスローモーションのように長く感じられる。
仄音はゆっくりと仮面を捲り――刹那、音にならない程の強烈な耳鳴りと共に光が弾けた。
星が爆発したかのような閃光が視界を包み、意識はあっという間に刈り取られた。
心地よい小鳥の囀りが聞こえ、太陽が顔を出して燦燦と日常を照らす。その下で人々は忙しそうに動いており、学生が登校し、社会人が通勤し、中にはもう働いている人だっている。
それに比べて無職である仄音は未だに眠っており、逆に天使という仕事をしてリズムを整えているロトは自然と目を覚ました。
「んぅ……眠ってしまったようね……」
夜更かしをしていたので倦怠感があったが、起きないといけない。睡魔がまだ眠るように手招きしているが、自分に甘くないロトは立ち上がろうとした。が、何かに捕まれているようで起き上がれない。
「あら? 仄音も寝ちゃったの……」
抱き枕のようにロトを抱き締め、心地よさそうに寝ている仄音。意識が吹き飛ぶほどの閃光を喰らい、気絶という名の眠りに入っていたのだ。
そんな惨事を知らないロトは単純に仄音が寝落ちしたと思って微笑んでいた。
「って起こさないといけないわ……起きなさい。ほら、仄音。起きて。今起きないとまた昼夜逆転よ」
気持ちよさそうに寝ている仄音を起こすのは気が引けるが、ロトは心を鬼にして彼女の肩を揺すり、時には名前を呼ぶ。それを繰り返していると仄音の意識は段々と覚醒してきた。
「んぅ? ロトちゃん? ……あ、あれ? わ、私……」
仄音は軽く混乱していたが、深海から浮上するように記憶が上がってくる。
「そ、そうだ! ロトちゃんの仮面が爆発して!」
「あら? 私の仮面を剥がそうとしたの? 残念ながら私の素顔はトップシークレットよ。許可なく見ようとしたら自動的に閃光が炸裂するようになっているのよ」
「何それ! おかげで失明するかと思ったよ!」
「人の許可を取らずに剥がそうとするからよ」
正論と共にジト目を向けられて、ぐうの音も出ない仄音は黙り込む。
「それよりもいつになったら離してくれるの? 抱き着いてくるなんて、随分と甘えん坊ね」
「な! 先に抱き着いたのはそっちだよ!」
「知らないわ。恥ずかしいからって言い訳しなくてもいいわよ」
特に意味もない言い合いをする二人だったが、表情は笑顔で微笑ましい光景だろう。
今の時期は真冬であり、足だけ炬燵に入れて寝ていた二人。普通ならば風邪を引くとこだが抱き合っていたお陰で温かく、体調を崩さなかった。
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