第一話『昼夜逆転―1』
仄音とロトがアニメのような奇妙かつ、衝撃的な出会いをして数時間が経った。
宣言通りロトは仄音をじーっと見つめて監視しており、一切会話がない。同じ炬燵に入っているというのに、凍てつくような気まずさだけが辺りを支配していた。
(なんだこれ、なんなんだこれ……)
あまりの気まずさから仄音はノートパソコンを動かして自分の世界に籠る。悪い言い方をするなら逃げの現実逃避だろう。
一方で、仄音という女性に興味を抱いていたロトは据わった目で、ただ彼女を観察していた。
「ねぇ……」
「ふ、ふぁい!」
不意にロトが言葉を発し、驚いた仄音はノートパソコンをバタンと閉じた。そして、殻に籠るヤドカリのように炬燵に潜る。不自然過ぎるだろう。
「仄音はいつもこんな自堕落な生活を? 目に隈が出来ているという事は夜更かしをしていて、恐らく昼夜逆転もしている。部屋の中から相当なアニメやゲーム好きだと察せられるし、一日中それをしているわね? つまりは働いていないニートというもの……部屋は散らかっているし、救いようがないわよ」
仄音の一日のルーティンは先ず十五時という世間一般ではおやつ時に目を覚ます事から始まる。そこからはぼーっとアニメを見ながら食事(インスタント)をしたり、パソコンやスマホでネットサーフィンを楽しんだり、最新のゲームを遊んだり、正に引きこもり生活を送っていた。
ロトの推測は全て的を射ていたので仄音は軽い恐怖を抱いてしまう。
「そ、そんな直球に言わなくても……」
自分でも情けないと感じている仄音は図星を突かれて靉靆な雰囲気を醸し出す。同時に失望されたと思ってロトの顔を直視できず、炬燵で視界を蔽った。
「これからどうするつもりなの? ちゃんと正さないと駄目よ」
「う、うるさいなぁ……だ、大体ロトちゃんには関係ないよね! 放っておいて! どうせ私の余命は一年くらいなんでしょ!」
正論を言われて不貞腐れた仄音は拗ねた子供のように頬を膨らませ、更に深く炬燵という殻に閉じ籠る。
「関係あるわ。私は天使だから、人間を善に導くのも仕事なのよ」
「……え? は? てんし? 頭大丈夫?」
拍子抜けした仄音は炬燵から顔を覗かして、ロトを垣間見た。
「私は天使なの。それくらい分かるでしょう? あと痛い人を見るような蔑んだ目は止めなさい。殺すわよ」
「ごめんなさい……それにしても天使かぁ……」
自分を天使だと名乗ったロトに、仄音は若干引いてしまった。が、熟考してみると強ち嘘ではないかもと疑い始める。
仄音の脳裏に過っていたのはロトとの出会いだ。
ロトは施錠していた筈の扉を謎のパワーで開錠し、何処からかムラマサを取り出しては泡のように消した。何かしらタネがあるマジックの可能性も否定できないが、目の前で目撃した仄音は本物だと感じ、いくらロト自身が天使などという妄言のような事を言っていたとしても、その事実は変わらない。
「分かった。ロトちゃんが何かしら力を持っていて、宇宙人だとしても信じるよ」
「私は正真正銘の天使よ。見たら分かるでしょう?」
「……いやどこが!? その格好つけた仮面とふりふりとしたドレスのどこに天使要素があるの!?」
「はぁ……」
間を空けて固まったと思ったら大声で反論してくる仄音に、億劫に思ったロトは溜息を吐いた。
「いい? 世間一般的に天使は先ず頭上に光る輪っかが浮かんでいて、白鳥のような翼が生えているの。あと服装は白い――え?」
仄音がうんちくを言うように語っていると、目の前のロトの服装が変わっていた。
頭上には五徳が浮かび、ドレスはそのままだったが色が白に染まる。何よりも仄音の視線を釘付けにしたのは背中の翼だった。
鳥のような翼や、蝙蝠の羽のような不気味なものでもない。まるで光を具現化したかのような神々しい翼であり、オーロラのようでとても美しい。
「どう?」
「いや、全然違うよ。何で頭に五徳? 天使の輪じゃないし、服は同じ物を白にしただけでしょ……まあ翼は格好良いけど……」
言われた通り表現したというのに、翼しか褒めてもらえないロトは不服そうに自分の髪を弄っている。
一方で、また不思議な力を目の当たりにした仄音はある答えを出していた。
「分かった。本当は魔法少女なんじゃない?」
「そんな子供向けアニメみたいな存在じゃないわ。大体魔法少女だったら恥ずかしくて自殺ものよ」
「魔法少女が嫌いなんだね」
きっぱりと否定したロト。その毅然たる態度は嘘を吐いているように見えない。
つまりは本当に天使なのだろう。
一先ず、信じる事にした仄音は気分を変えるために置いてあったお茶を喫した。
「ふぅ……で? なんで天使なのと私の人生が関係あるの?」
「クズのまま死んでいくなんて嫌でしょう? だから立派に死ねるように、この私が更生させてあげるのよ」
「それが人間を善に導くってこと? 余計にお節介だよ。更生なんていらない。私はこの生活が気に入っているの……」
嘘だ。仄音は一ミリもこの生活が良いなんて思っておらず、ズキリと胸が痛む。
確かに働いて、友達を作って、夢を追って生きていくよりは引き籠った方が楽だろう。しかし、それは肉体的な問題であり、精神的は辛いものだ。
周りの同期は社会に貢献し、自立している。それどころか恋人や友達を作り、充実した生活を送っているだろう。
それに比べて仄音はどうだ? 親の脛を齧り、社会のお荷物。自立なんてもっての外だ。生きているだけ奇跡だろう。情けないったらありゃしない。世間に顔向けできず、家に引きこもって劣等感を覚えることしかできないのだ。
「こういう自堕落的な生活をしていると悪の欠片の成長が促進されるのよ?」
「寿命が縮むって事?」
「そうよ。私の見立てではこのままじゃ悪の欠片は一年ほどで覚醒する……だけど更生すれば最大で半年は伸びるわ」
ロトの返答を聞いた仄音だったが、それで改善しようと思うほど心に響かなかった。
「じゃあこっちで好きにやらせてもらうわ」
「へ?」
態々温かい炬燵から立ち上がったロトはすたすたと歩き出す。
嫌な予感がした仄音は炬燵に突っ伏しながら、彼女を見つめていた。
「何をするにしても先ずは昼夜逆転を直すべきね。それで手っ取り早く直す方法が二つ。一つは今から物凄く疲れる事して、夜中には寝る。もう一つは明日の二十二時くらいまで起きておく。どちらがいいかしら?」
ロトは仄音を尻目に部屋を漁って、大きめのポリ袋を見つけるとゴミの分別をし始める。
この生活が気に入っていると主張していた仄音だが、やはり心のどこかでは改善を願っている。だから顎に手を添えて真面目に考えていた。
「やるなら二つ目かなぁ……因みに一つ目の疲れる事って?」
「聞きたいかしら?」
仄音の単純な疑問からの質問。
ロトはにやりと笑みを浮かべ、炬燵で暖を取っている仄音を押し倒した。
「ちょ、何しているの?」
まさか馬乗りになるとは思っていなかった仄音は困惑しているが、構わずロトは仄音の服の中に手を忍ばせる。
ひんやりとしたロトの手は炬燵によって火照った仄音の身体を刺激し、段々と上へ進んでいき、そこは柔らかい二つの――
「って! やめてよ! 変態天使!」
「ぐふっ!」
流石にこれ以上は不味いと思った仄音はロトにビンタをかました。
「な、何するの!? サドにでも目覚めたのかしら」
「違うよ!? そんな卑猥な事をして疲れるなんてごめんだよ!」
「……? 私は魔法を掛けようとしただけよ? 相手の胸に触れないといけないの」
「魔法!? 天使なのに!?」
「ごふっ!」
反射的に仄音はもう一度ビンタをしてしまい、ロトの両頬には綺麗な紅葉が浮かび上がる。
「酷いわ……私は仄音に重力魔法を掛けて、それで運動してもらおうと思ったのに……」
「なんかごめんね……」
今になって罪悪感に苛まれた仄音は申し訳なさそうに謝った。
飽くまでロトは仄音の事を思って行動しているにも関わらず、それを侮辱するのは勿論、無下にするのは良くないだろう。暴力はもっといけない。
「じゃ、じゃあ一つ目にしようかな」
「そう? 今の時刻は二十時。健康的な睡眠時間は八時間らしいから、明日の二十二時まで起きないといけないけれど……大丈夫?」
「多分大丈夫。夜更かしなら慣れているから……」
結局、一つ目の案に決定し、普段から夜更かしをしている仄音は余裕そうに笑みを浮かべた。
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