104、モモ、奮い立つ~困った時の助けは誰かを思いやる心だったりする~前編

 啜り泣く声で桃子は目を覚ました。身体を起こそうとすると、頬っぺたとお腹がすごく痛む。うぐぅっと手で押さえようとして、そこでようやく両腕が縄で縛られていることに気付いた。ちょっと頭が混乱する。ええっと、ここはどこなの?


「……大丈夫かよ?」


 躊躇いがちな囁きがすぐ傍でした。身を捩ると、両手を後ろで縛られたギルが桃子の後ろにしゃがんでいた。


「ギル、あれからどうなったの? レリーナさんは?」


「あの姉ちゃんならまだ気を失ってる。オレ達はサバクの奴に捕まっちまったんだ。今は他の奴等と一緒に馬車で運ばれてる最中で、まだ街からはそう離れてねぇけど、街の外には出ちまってる」


 言われて周囲を見回すと、薄暗いけど視界の中に座った子供達の姿が見えた。中には壁に寄りかかったレリーナさんもいる。まだ意識を失っているのか、その目は閉ざされたままだ。


「レリーナさんを起こして、どうにかしてこの縄を解こう。そうしたら皆で逃げるの!」


「……そんなの無理に決まってる。オレ達は売られるんだ」


「お母さんのいるお家に帰りたいよぉ」


「ここから出たい」


 諦めているように座り込んでいるのは、さっき会った男の子だね。その隣で悲痛な声で啜り泣いているのは七、八歳くらいの二人の女の子。孤児院から連れてこられたのはこの三人と桃子達を含んだ六人のようだ。


「諦めないで! 皆で頑張ればきっと逃げられるよ」


 桃子はズキズキと痛むお腹に顔をしかめながら、なんとか身体を起こしてレリーナさんの傍まで膝で歩いていく。ガタンゴトンと音が鳴る度に床が揺れてバランスを崩しそうになる。途中で転がりそうになったけど、ギルが身体で支えてくれた。ありがとう。なんとかレリーナさんの前に辿り着く。頭から流れただろう血が首を濡らしている。顔色も悪いようだし、心配で指が震えた。指先でそうっとレリーナさんの肩に触れて呼びかけてみる。


「レリーナさん、起きて。レリーナさん!」


 血を流した姿に胸が痛くなってきた。不安に心を押しつぶされそうになりながら、何度も呼びかけていると、レリーナさんの目がうっすらと開いた。


「う……っ。モモ様? 一体どうなって……?」


「良かった! 気付いてくれたんだね。作戦が失敗しちゃったの。レリーナさんは頭を殴られたせいで気を失ってたんだよ。私達全員サバクに捕まって、今馬車でどこかに連れてかれてる。街から出ちゃったみたいだけど、辺境のおじいさんに売るって言ってたから到着まではまだ時間はあると思うの」


「この縄さえ解ければなんとかなる。先にあんただ。後ろを向いてくれ、オレが歯で試してみる」


「待ちなさい。それなら方法があります」


 レリーナさんは三角座りしていた膝をさらに自分に寄せると、ごそごそと足を動かした。靴の踵を床に打ち付けているようだ。すると、踵の一部がせり出した。見たことのある光景に桃子ははっとする。


「それってバル様と同じ?」


「えぇ。仕込みナイフです。モモ様の護衛にして頂くことが決まりました時に、この靴を頂きました。足のサイズを測った特注品でございます」


 ころりと出て来たのは仕込みナイフの柄だった。啜り泣いていた子供達の目に、希望が灯っていく。保護者様の慎重さが桃子達のピンチを救ってくれそうだ。一瞬お腹の痛みも忘れる。バル様に助けてもらったと思えば、震えそうな恐怖も武者震いに変えられそうだ。


 ギルが後ろ向きで柄を拾い上げて、ナイフを出すとレリーナさんの手首の縄を切り始めた。早く早く。心が急ぐけど声には出さず、桃子は子供達と一緒に息をひそめてその様子を見つめる。馬車が動いているのだから、そんなことはないと思うけど、誰かが中の様子を見に来ないかハラハラしてしまう。やがて、レリーナさんの縄がブチリッと切れた。やったね! 子供達の間で小さな歓声が上がる。


「オレのも早く!」


「あなたは後です。モモ様、申し訳ありませんがギルを優先しますね。ギルの縄を解いてしまえば、後は二人で解いていけますから」


 我先にと言い出した男の子に言い聞かせて、レリーナさんは桃子を振り返る。大きく頷いて返事を返す。全然OKだよ! むしろ足手まといでごめんよ。本来ならこの中で二番目に大きいはずなのに、最年少さんになってる現実が辛い。


 今こそ十六歳の桃子に返っておいでよ! って叫びたい。実際、私が先に解放されても、五歳児の力では他の子の縄は解けない。それなら協力関係にあるギルの縄を解くべきだよね。力は女の子より男の子の方があるだろうし、焦ってる男の子よりレリーナさんは冷静なギルの方が助けになるって思ったのかな?

 不満そうな男の子は、それでも文句を飲み込んだようだった。うん、偉い!


「大丈夫。一緒に待てばすぐだよ?」


「別にっ、そのくらい待てる。そんなことより、この先は考えてるのか? 縄が取れたからって逃げられたわけじゃないんだぞ」


「私達が騒げば、馬車を止めて中の様子を確かめようとするんじゃないかなぁ? 外の人の人数が少ないなら飛びかかって悪者を成敗するの。それで、数が多い時は扉が開いた瞬間に体当たりして皆バラバラに走ればいいよ。誰かに知らせることさえ出来れば他の子も助けられる」


「外の人数は二人だ。サバクは孤児院に残ってる。人買いの奴ら、子供と女だからって甘く見て足も縛らなかったくらいだぜ。十分勝ち目はあるだろ」


 自由になったギルが、男の子の縄を切り始める。桃子にはレリーナさんが付いてくれて、手で縄を解いてくれる。固いから大変じゃないかなって思ってたんだけど、一瞬でした。レリーナさんこんなスキルも高いんだね! ずっと縛られてたから痺れちゃったよ。手首をサスサスしてる間に、皆の縄が解かれていった。


「これで、全員自由になりましたね? 相手が油断しているのなら、私とギルで対処出来るでしょう。けれど、私が無理だと判断したら、あなた達もギルもモモ様を連れて逃げなさい。その先でもしバラバラになった時は、人を見つけてルーガ騎士団本部に行き、モモ様のお名前を出すのです。そうすれば、必ず助けてくれます」


「……ギル、この人とその子を本当に信じて大丈夫なの?」


「あぁ。この二人はオレ達のことを助けようとして捕まったんだ。親にさえ捨てられて孤児院では売り物扱いだったオレ達に、ここまでしてくれた人間が他にいるかよ? 大人の言葉ばかりが届いて、オレ達みたいなガキの声はいつもかき消されていく。そんなオレの言葉を拾い上げてくれたのは、この二人だけだ。だからオレはこの二人だけは信じる」


 ギルの言葉には静かな気迫があった。本気で桃子達のことを信じてくれているのだ。その重みは子供達の顔から警戒の色を吹き飛ばした。

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