103、モモ、潜入する~どんなにピンチでも悪者に心の白旗は振りたくないよね!~

 ギルの協力を取りつけた桃子は、その場にレリーナさんを呼んでこれからどうするかを話し合うことにした。その中でギルが重要なことを口にする。近々、何人か子供を人買いに売るとサバクが言ったというのだ。それが何時なのかわからないため、桃子達は一刻も早く動くべきだと判断した。


 三人が立てた作戦はこうだ。まず、レリーナさんがサバクの気を引くために表から訪問する。その隙に桃子とギルは孤児院の裏から入り、証拠の帳簿を手に入れるのだ。その後にレリーナさんと合流してバル様の元に直行すればいい。これなら危険な目には合わないはずだ。


 でもまったくないわけじゃないから後で怒られるかもしれない。うううぅ、見過ごせないからね……バル様、本当にごめん! 眉間に皺を作るだろう美形なお顔を思い浮かべて、心の中で両手を合わせて謝っておく。こうして桃子達は三人で馬に乗り、孤児院に向かったのであった。




 孤児院の玄関に向かうレリーナさんの背中を見送り、お子様組である桃子とギルは細い路地をひた走り孤児院の裏口からこっそりと中に潜入した。先導役のギルが裏口の扉を開けて中に顔を突っ込み様子を伺う。そして手で合図が送られてきたら、桃子の番だ。後を追いかけてこっそりと孤児院の中に入る。ここまでは順調だ。そう思って息を抜いたのが良くなかったのか、左奥の部屋からギルよりニ、三歳年上に見える男の子が出てきてしまう。


「ギル? なんでまだ居るんだよ。早く請負屋に行かないとサバクにまた殴られるぞ」


「しっ! 静かに。あいつに見つかっちまう。いいか、オレ達のことは見なかったことにしろ」


「なに言ってんだ? オレ達って、お前の他に誰が……」


「あのー、こんにちは」


 ギルの背中からひょっこり顔を出すと男の子の目が驚きに丸くなる。そして焦ったように廊下を見回して他の子がいないのを確認して、声を潜めた。


「お前、この子どっから連れてきた!?」


「説明してる時間がないんだよ。そこをどけって」


「ふざけんなよっ。お前が勝手なことするとオレ達まで酷い目に遭うんだぞ!」


「皆を助けるためなの」


「助ける? ギル、まさかお前。孤児院ここのことしゃべったのかよ?」


「バレてもオレ達が八つ裂きにされるだけだ。お前は知らなかった振りをすればいい。他の奴は部屋に籠ってるんだろ? チビ達は特に絶対廊下には出すなよ」


「くそっ、わかった。けど、オレはなにもしないからな!」


「腰ぬけめ。早く行っちまえ!」


 ギルは舌打ちすると、引き攣った顔で逃げる男の子に、追い打ちをかけるように暴言を吐く。年上の子でさえ及び腰で逃げるように離れて行ったのに、ギルの目はより一層ギラギラと暗く光っている。強い子だなぁと桃子はそんな場合じゃないのに感心してしまった。


「チビ、早く来い」


「……うん」


 同じ二文字なんだけど違うよ。マイネームイズ、モモ! 正しくは桃子だけど! と内心思いながらもお口に×しておく。私のことを嫌い過ぎて名前を覚えられてないのかも。せっかく協力関係なのに、ちょっと切ない。


 二人は廊下を走って客室に向かった。先導するギルがいてくれて助かった。一度来た限りだから、孤児院の内部はうろ覚えだったのだ。キシキシと音が鳴る廊下を右左と曲がって一度入った扉の前に立つ。今頃レリーナさんが会話を引き延ばしているはずだ。


「オレが廊下を見張るから、チビが中から帳簿とやらを取って来い。なるべく早くしろよ。もしサバクが近づいてくるようならノックを二回するから出て来い」


「うん!」


 ギルに扉を開けてもらうと、桃子はするりと部屋の中に忍び込んだ。そして一直線に目的の棚に突進する。もおおぉぉっ、まるで赤い布に突撃する牛のようだ。今日は早さが重視だから本を引っ張って背後に放り投げる。いつもはこんな乱暴なことしないからね。物はけっこう大事にする方だよ? 幼稚園から使ってるハサミが元のお家にはあったもんね。


 ちょっと心の中で言い訳して中を一気に空にしていく。そして本棚の奥の壁を動かして開くと目的の帳簿が見えた。恐る恐る手を伸ばして、帳簿を手に入れる。よかった、場所を移されてなくて!


 本を片付けようか一瞬迷ってそのまま扉に向かうことにした。しかし、桃子がドアノブに飛びつく前に、何故か外側から扉が開いた。なんの合図もないことに、心臓がドクドクと嫌な脈を打つ。開かれた扉から入ってきたのは──サバクだ。逆光で目元を暗くした男は、わざとらしいほどゆっくりした歩調で近いてくる。深く余裕のあるため息をついて、口を三日月に歪める。穏やかな表情が一変、内面の醜悪さが現れる。


「なぜバレたのかわからないって顔をしているな? 簡単なことさ。私は寄付を申し出る相手は一通り調べる性分なんだ。更に言うならあの日、お前達が帰った後に棚に並んでいた本の順番が入れ代わっていた。ここのガキ達にはこの部屋には入るなと言いつけてあるからな。犯人はおのずと知れる。目的はやはりそれか。あいにくと、その帳簿はニセモノだ。本物はほら、私が持っている」


 サバクの右手が上がる。その手にはあの帳簿が握られていた。桃子は自分が手にした帳簿を見下ろした。本棚の壁の奥なんていう場所に隠す相手だ。慎重なのはわかっていたはずなのに、帳簿を手に入れるだけだと甘く見過ぎていた。絶対絶命である。桃子は震える足で踏ん張って、厭らしく笑う男を睨んだ。


 その後ろからぐったりと意識のないレリーナさんと、悔しそうなギルが、屈強な男達に抱えられて入ってくる。


「レリーナさんっ! レリーナさんになにをしたの!?」


「それが本名か。なぁにちょっとばかり頭を殴っただけさ。お前こそどこの回し者だ? ピティなんて貴族のお嬢様は存在しない。素直に吐かないと子供でも容赦しないぞ」


 桃子の前に膝をついたサバクは桃子の両頬を片手で掴んで潰すと、恐ろしい顔で覗き込んでくる。それでも必死に虚勢を張って沈黙を選ぶ。迂闊にもレリーナさんの名前を言ってしまったのは不味かったかもしれない。けれど、桃子さえ本名を言わなければバル様に辿り着く確率はぐっと低くなるはずだ。どうにか機会を伺って逃げ出さないと。


「…………」


「ダンマリは賢い選択とは言えないなぁっ!」


 バシッと頬を張られた。衝撃で目の前が一瞬白くなる。そして、じわじわと痛みが左頬に広がる。生理的な反応で目の前が滲む。必死に嗚咽を堪えて我慢すると、男は打ち付けた手で今度は労わるように撫でてくる。冷えた手の感触にぞっとして、桃子はプルプルと震えてしまう。


「痛いのは嫌だろう? 私も商品の価値を下げるのは嫌いなんだよ。大人しく本当の名前を言いなさい」


「……言わないもんっ」


「生意気なガキだな!!」


「あうぐっ!?」


 泣きそうになりながらサバクを睨んで拒否すると、男が目をカッと開いて今度は拳で桃子のお腹を殴りつけた。息も出来ない鋭い痛みに襲われて床に倒れる。激痛をもたらすお腹を両手で押さえて身体を丸くする。泣きたくないのに我慢できなくてボロボロ涙が零れた。


 痛くて、苦しい。こほこほと咳をして息をヒューヒューと取りこむ。すんごく痛いよぅ。痛みと連動して全身がドクドクと脈打ち、耳鳴りがして目の前がグラグラ揺れてる。吐いちゃいそうだ。最悪の状態の中、ギルが叫ぶ。


「止めろ! そいつの名前ならオレが知ってる! モモだ。モモって呼ばれてた。親はいなくて上流貴族に保護されてる!」


「上流貴族だと? チッ、面倒なことになったな」


「どうする? 埋めるか? それなら別料金を貰うぜ」


「馬鹿言うな。それじゃあなんの金にならないだろ。この街で売るわけにはいかないなら、余所で売ればいいのさ」


「おぉ、そうだな。辺境の女好きのジジイならこの女とセットで高値で買い取るだろうよ。このガキもその女も顔立ちは悪くないからな」


「足が付かないように慎重に運べ。孤児院のガキも纏めて連れてけ。分け前はいつも通りにな」


 恐ろしい話を平然としている男達から逃げるように、朦朧とした意識の中、桃子は頭にその人に必死に助けを求めながら意識を失っていく。


「……バル、様……」

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