82、ディーカル、酒を飲みほそうと決める

* * * * * *


 曇り空から雨が降り始めたのは、夕日が廊下を歩く団員達の横顔を焼く頃だった。両耳に複数あるピアスを揺らしながらディーカルはダラけた足取りで廊下を歩いていた。優秀な副隊長のリキットに毒舌という鞭を打たれながら書類仕事を終わらせて、団長であるバルクライの元に報告書という名前を借りた始末書を届けに向かっていた。


 久しぶりにしっかりした書類仕事を行ったせいか、頭が重い。鍛錬中に熱くなった部下(バカ)が騎獣の練習場との区分として使っている柵をぶっこわしたので、その報告と修理の申請をすることになったのだ。今は他の部下達が応急処置として板を打ち付けたが、不器用な奴等が必死に直そうとしたのが見てわかる有様になっていた。


 努力は認めるが、ありゃあ駄目だ。笑いしか誘われねぇよ。傾いた柵に滲んで斜めになった文字で『きけん』と書かれていたが、あれは近づくと危険と知らせたいのか、笑うから危険と言いたいのか、どっちだ?


 ディーカルは内心そう思ったが、なんとか直しましたよ、隊長! と言わんばかりに目を輝かせる部下を見て、「ありがとよ」と引きつった顔で言うしかなかった。


 壊した部下(バカ)二人は、リキットに床に足を折りたたんで座らせられて、凍えるような叱責を項垂れながら受けていた。あいつの説教はなげぇからな。備品を壊すことにはことのほか敏感なのだ。何故なら、騎士団のトップには奴が憧れる団長様がいるからだ。


 それにオレもこれから説教を受けることになるんだよなぁ。それも、副団長というリキットの説教の十倍は恐ろしい男に。


「くっそ……気が重めぇ……」


 階段を上る足取りも重くなる。しかしディーカルは、首を振っていやいやと思い直す。案外、そんな怒られねぇかもしれねぇぞ? 怒る暇もないくらい忙しいって奴だ。この時期は特に害獣討伐が始まるからそっちに集中するために出来るだけ仕事は先に済ませようとしているはずだ。


 いよいよ執務室の前まで来てしまった。今日ばかりはダラけた姿勢を正し、礼儀正しくノックをする。


「入れ」


「……おう」


 バルクライの許可を得て、ディーカルは扉を開けて入室した。キルマはディーカルの顔を見た瞬間に眉を顰めた。おい、その反応はオレに対して失礼過ぎんだろ。


「なにをしたんですか?」


「いきなりかよ!?」 


「でなければノックなんて礼儀正しい真似を貴方がするはずがないでしょう? 何度言っても直らないんですから」


「ぐ……っ」


 図星だった。くっそ、機嫌を取って説教を軽くしようって腹積もりだったのが、とんだ誤算だ。半眼の視線を受けて、ディーカルは部下の所業を報告する。


「あー、オレの部下が鍛錬中に柵を壊しちまってよ。けっこう広範囲だから、専門を呼んだ方が早いと思う」


「鍛錬も結構ですが、頭も少しは鍛えなさい。ルーガ騎士団の本部では4番隊が一番備品を壊していますよ。なんでしたら、私が直接鍛えて差し上げましょうか?」


 氷の微笑みを向けられた。外見だけは麗しい女顔なだけに、独特の空恐ろしさがあるのが、この男の怖い所だ。


「悪い。オレの方からもきつく言っとくからよぉ。今回は勘弁してくれ。修理代はオレが出すわ」


「キルマ」


 そこでバルクライがようやく口を開いた。我等が団長は本当に無口だな。チビスケが関係しない限りは。その一言で伝わったのか、キルマが頷く。


「はい、わかっていますよ。上司だけが懐を痛めるのは平等ではありませんからね。そうですね、四番隊には害獣討伐後に一日雑用をしてもらいましょう」


「げぇっ!?」


 さも名案とばかりに明るく言われても、4番隊には一番苦手な仕事だ。これは立派な罰じゃねぇのか!? バルクライにさっと視線を向けると、緩く首を振られた。……諦めろってこったな。


「それともやはり私が鍛える方がいいでしょうか? 最近忙しくてちょっとイラ立っているので、発散にもなりそうですねぇ」


「……わかった」


 すまねぇ、お前等。オレには逆らえん。ディーカルは心の中で大事な部下達に詫びた。書類をバルクライに差し出すと、流し読むように目が動き、すぐにサインが入れられる。仕事が早えぇな。執務机の書類は見たところ、残り二十枚くらいだ。


 サインを終えたバルクライがコトリとペンを置く。そして、ゆっくりと立ち上がると、引き出しから1枚の書類を取り出した。


「ディーカル、他の部隊にも今日明日には伝えるが、4番隊に任務を与える。4月(タイア)の17に、害獣討伐の偵察に向かえ」


「3日後だな。了解した、けどよ、いつもより早くねぇか? 騎士団内部がやけにざわついてやがるのは部隊を動かしてるからだろ。なんか関係あるのか?」


「嫌な予感がする」


 ディーカルの勘はそれだけではないことを告げていたが、眉間に皺を刻むバルクライを見て疑問を口にはしなかった。役職上の秘密なら聞かないほうがいいだろう。あるいは、本当になにかが起こるのかもしれない。


 こりゃあ、今回の任務は本気でかからねぇとな……今夜は4番隊の奴等を飲みに誘うか。ついでに団長に貰った上等な酒も、味が落ちる前に残らず飲みほさねぇとな。ディーカルは心の中でそう決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る