73、モモ、ウサギになる~ぎゅってされると悲しい気持ちも飛んでいくよね~後編

 お姉さんは大きく頷いて、颯爽と人垣に突っ込んでいく。囲んでいる団員の肩を叩いて何事か話すと、手招きされる。桃子達はわくわくしながら団員さん達の間を通らせてもらう。親切にも一番前の特等席を譲ってくれたようだ。キィン、キィンと剣が討ちあう音がしてくる。


そして、人垣の間を抜けた先の光景に感嘆した。


 「わぁぁぁっ、すごい……」


 バル様とカイが剣を打ち合っている。カイがどこに打ち込んでもバル様は受け流し、打ち払い、最後の一手を決めかねているようだった。どちらも真剣な顔をしている。カイの髪は大きく乱れ、バル様も白いシャツの背中がしっとりと汗に濡れていた。


 黒い目がすっと細まり、剣が素早くカイの胴を薙ぎ払おうする。カイは剣先を読んでいたように後ろに飛び離れて距離を取り、じりじりとバル様の出方を伺う様子を見せた。


「さすが団長。やっぱり強いな。単純に腕力だけならいい勝負なんでしょうが、技量という意味ではやはり、貴方の方が一枚上手だ。でも、オレも酔狂で補佐をしてるわけじゃないんでね」


「…………来い」


「行きますよ!!」


 バル様が剣先でカイを指す。その誘いに乗り、カイが駆け出す。そして、今度はカイが大きく上から切りかかった。体重を乗せた攻めに、バル様は紙一重で避けると、剣を振り下ろした状態で地面に片膝をついていたカイの首元に、剣の握りから刃にかけての部分をぴたりと当てた。


「勝負あり、だな」


「くっそっ……参りました」


 バル様の静かな言葉に、カイは悔しそうな顔で負けを認めた。肌が泡立つような気迫のこもった空気が霧散すると、周囲からわっと歓声が上がる。


「さすが団長! 今日も勝ったぞ!」


「カイさん、すごい健闘でしたね! 見応えありましたよ!」


「お二人共お疲れ様でした」


 剣を引いたバル様が手を差し出し、カイがその手を取る。


「いい試合だった」


「今度はオレが勝ちますからね」


 二人が離れると、今度は周囲をかき分けるように女性団員が三人出て来た。


「団長、カイさん、このタオルつかって下さい!」


「あの、良かったら私のもどうぞ」


「私も!」


 お姉さん達は頬を上気させたうっとりした顔で、バル様とカイを見上げている。桃子の胸にちくっと痛む。ぺったんこな胸を撫でてもなんともないのに、お姉さん達がバル様に近づくのを見ていると、なんとなく悲しくなった。神殿事件の時から、私、ちょっと変だ。


「おぉ、気が利くねぇ」


「助かる」


 カイが二枚のタオルを愛想よく受け取り、バル様は表情を変えずに受け取ったタオルで顔を拭く。二人は剣を近くにいた団員に渡して、自分の武器を腰に帯剣し直す。どうやら鍛錬用の剣を使っていたらしい。


 たぶん刃は切れないようになっているんだろうけど、すごい迫力だった。本物を使っているようにしか見えなかったよ。すっきりしたのか、バル様は乱れた髪を掻きあげた。口元が僅かに上がっている気がした。きっとカイとの試合に満足しているものだったんだね。そうすると普段は見えない額との相乗効果で、野性味が足されている。横顔に男の色気があり、桃子はドキドキしてきた。


 が、眼福だけど、威力がすごい。フェロモンがブワーッと出ている気がする。目が離せなくて見つめていると、バル様の目がふっと桃子に向けられた。目が合って驚いたように黒い目が少し大きくなり、そして鋭く細められた。


「あ、あれ?」


 足早にバル様が桃子に向かってくる。なんとなく怒っているような気が……軍神様の伝言を伝えるためって理由を盾に勝手に来ちゃったから? 鍛錬の邪魔をしちゃった? 目の前に立ったバル様に、桃子はおどおどする。顔色を窺うようにそうっと見上げると、バル様が腰を曲げて顔を近づけてくる。そして、目元を指で撫でられた。


「──泣いたのか?」


 ゾクリと背筋が震えるような低い声だった。そこには怒りが込められていた。しかし、それは桃子に向けられたものではない。違うなにかに向けられているようだった。安堵したら、じわりと涙が浮かんだ。我慢…………出来ないよぅ。


 夢の中で無理やり暴かれた悲しみが溢れてくる。五歳児の身体は素直なもので、目から涙がボロボロ零れ出す。頭の中で電子音が響いてくる。桃子は助けを求めるように、必死にバル様に両手を伸ばした。そうしなければ、悲しみに溺れてしまいそうだったのだ。力強い腕にしっかりと抱き上げられる。桃子はセミのようにバル様の首にしがみ付いた。


「モモ、一体なにがあった?」


「うーっ」


 ごめんね、幼児返りしちゃって。でも、溢れる感情に振り回されて我慢が効かない。五歳児が桃子の中で泣き喚いている。言葉にならないまま、唸る。野生動物の鳴き声みたいなのが口から洩れた。


「やはり無理をしておられたのですね。バルクライ様、私からご報告いたします」


「わかった。接客室を使う。──試合は終わりだ。全員通常訓練に戻れ。駆け足! カイは一緒に来い」


「了解」


 バル様の指示にカイが頷き、団員達は姿勢を正して「はっ!」と従う。駆け出していく。泣いている桃子を気にしている団員もいたようだが、すぐに視線は離れていった。


「団長は先に向かっててください。お姫様の目が真っ赤で可哀想だ。オレは冷やすものとキルマを呼んでから行きますよ」


「頼む。モモ、我慢しなくていい。五歳児が泣くのは恥ずかしいことじゃないだろう?」


「……っく……うん……」


 泣くのを堪えようとしていたら、バル様がそう言ってくれた。桃子の状態を理解してくれているのだ。いつもより強く抱きしめられて、心の中で暴れていた悲しみが、ゆっくりと静まっていく。泣きすぎてしゃっくりまで出てるし、ほんと十六歳としては情けないなぁ。呆れずにトントンとあやすように背中を叩いてくれるバル様の優しさは、弱った心を撫でてくれるようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る