71、モモ、悪しきものに接触される~生きているかぎり思い出は繋がっていく~
暗闇の中、しゃがみ込んだ子供がいる。両膝を抱えて顔を隠しているその子は、身につけたスカートから女の子だと知れた。ショートカットの黒髪が肩で頼りなく揺れ動くのに、じっとしたまま動かない。年は十二、三くらいだろう。彼女が誰なのか桃子は知っていた。
動かない子供の身体は、闇に染まるようにまだらに黒くなっていく。そして聞こえてくる音があった。高い電子音が一定間隔で聞こえてくる。聞き覚えのある音がぐわんと響くたびに思い出したくない記憶が浮かんできた。恐ろしくて、桃子は両耳を手で押さえてきつく目を閉じた。
《それほどに、恐ろしいかい?》
低い声が楽し気に問いかけてくる。
《それほどに、逃げたいかい?》
耳を押さえているのに、それは蛇のようにぬるりと声を滑り込ませてくる。
《それほどに、忘れたいかい?》
答えられずにうずくまった。心を守りたくて、桃子は消えてしまった少女と同じように膝を抱える。男の声はずっとしまい込んでいた記憶を揺り覚まそうとしているのだ。心を引き裂くような悲しい気持ちを。
「止めて……思い出したくないよぅ。誰か、たすけて……」
《助けなんてあるものか。だーれもお前を助けはしない。あの時だって、そうだったろぉ?》
嘲るように笑いながら、男の声がそう言った。クスクスと耳元で笑い声がする。頭を痺れさせる病んだ声は、桃子の心を絶望に追い込もうとしていく。心が潰れそうだった。それはあの時の気持ちだ。一人であることが堪らなく不安で、悲しくてしかたがなかった自分に戻ってしまった気がした。
電子音が一際大きく耳を打ち、止まる。
《可哀そうな子だね。一人ぼっちだ。あまりにも可哀そうだから、オレが助けてあげるよ。この手を取りなよ?》
目を開けば、暗闇の中で手招きする腕が見えた。不安でグラつく頭ではなにが正しいのか判断出来ない。ただ助けてほしくて、そろそろと手を伸ばしていく。
その時、白い閃光が奔った。
「我が加護を与えし者に触れるな!」
雷のような声が闇を裂き、白く発光した光の中、黒い軍服のコートを翻し、大きな背中が桃子を守るように現れた。剣を振りかぶり、手招く腕を切り裂く。
《残念。邪魔が入ったか……またね、哀れなモモちゃん》
声がプツリと消えると、世界が一変した。男──軍神ガデスを中心に緑の大地と青い空に変化する。柔らかな風が吹き、茂った草を撫でていく。自然の美しい風景に桃子は感嘆した。
「ふわぁぁ……っ」
「モモ、大事ないか?」
剣を納めた軍神様が振り返る。ベレー帽を被った金の髪。その美貌は相変わらず神の名にふさわしい眩さだった。赤く美しい目が桃子の意識を確かめるように顔を近づけてくる。めまぐるしい展開について行けず、桃子はふわふわした気分で返事を返す。
「はい。ここはどこですか? 私、どうして……」
「そなたは今、夢を見ているのだ。悪しき気配が夢からモモに近づくのを感じた故、我は参じた。近頃、あれが人の世界に頻繁に接触しているようだ。あれは人にあらず。普通の人間には抗えども退けるのは困難ぞ。あの囁きにけして心揺らしてはならぬ」
「はい……助けていただいてありがとうございました」
「今回の件、目覚めし後にそなたの保護者にも伝えよ。悪しきものの正体には心辺りがある故、危険が迫りし時は我が名を呼ぶがいい。さすれば応えよう」
「はいっ!」
「あれが引き出したそなたの記憶を元に戻す。暫し目を閉じよ」
手袋越しにゆっくりと頭を撫でられて桃子は言われるままに目を閉じた。あれほど心を締め付けていた不安が緩んで溶けていくようだった。生々しく浮かびかけた記憶は思い出に沈んでいく。時間に慰撫された心が戻ってくる。そして、意識が沈むのを感じた。
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