27、カイ、幼女に絆される

* * * * * *


 動き出した小さな気配に、カイは応接間のソファから立ち上がった。


「シンフォル様?」


「あぁ、モモが起きたみたいだ。一人には出来ないからね」


 レリーナにウインクすると、冷静に頷かれた。呼び方はカイでいいと何度も言っているのに、頑なにメイドですからと断る彼女は、相変わらず落ち着いている。


 自分で言うのもなんだが、カイは女性に冷たくされたことがほとんどない。優しい顔立ちに、柔らかな物腰は受けがいいのだ。それを知っているから、わざと装っている部分も少なからずあった。


 カイの実家は、屋敷の維持が困難なほど貧乏だった。その理由は愚かな祖父にある。

 父が家を継ぐ前に好き放題に浪費したツケがカイの家族の代になって回って来たのだ。幸いにも両親は倹約家で、こつこつと借金を返していった。父は領地をよく治め、母は手に職を持ち、貴族でありながらも懸命に働いた。


 周りの目よりも家族を大事にしてくれる。そんな両親のおかげで、貧乏貴族でありながらも、カイは伸び伸びと育つことが出来たのである。


 カイが十二歳の頃、五歳年上の姉に結婚話が上がった。その頃も貧しさはあったが、借金も減り、簡単な賃仕事が出来るようになったため、家には以前よりも余裕が出て来たところだった。


 姉は美しく気の優しい人で、幼い頃、食事の量が足りない時があると、カイに譲ってくれることも多かった。自分も空腹だろうに笑顔で固いパンを差し出す姉のことを、カイは幼いながらも好いていた。


 そんな姉が結婚を望んだ相手は、格上の貴族の男だった。身目のいい二十代後半の男で、正妻一人に側室が二人おり、三人目の側室として姉を迎えることを考えているというのだ。


 そんな男に嫁ぎたいと言う姉に、家族は反対した。もちろん、カイも姉を止めようとした。けれど、幸せそうに相手の男の良いところばかりを口にする姉を前に、どうしても反対しきることが出来なかったのだ。

 その時止められなかったことを、カイは今でも後悔している。


 応接間から出ると、モモが小さな足をちょこちょこ動かして廊下を走っていた。誰にも気づかれていないつもりらしい。


「可愛いな……」


 そんな呟きがつい口から出る。モモは後ろからカイがついているのに気づいていないようだ。楽しそうに走っている。


 今度は階段の前で立ち止まった。そして何を思ったのか上り始める。見ていてハラハラする上り方だ。小さな足をいっぱいに伸ばして、手摺の下を掴んで全身を使って一生懸命上っている。


 影から見守りながら、カイはいつでも受け止められるように身構えていた。さすがにずっと付きっ切りでは、モモも息が詰まるだろう。このくらいの自由は許してやりたい。その分カイが影から護衛すればいいのだから。


 汗なんてかいていないだろうに、途中で休憩して額を拭う仕草をしている。もう頭を撫でてやりたくなるほど可愛い。本当にオレならモモ一人くらい養えるんだから、オレの家の子になればいいのに。そう思う。バルクライ様が許さないだろうけどね。


 階段を上り切ったモモが拳を上に突き上げる。満面の笑みを浮かべてポーズを決めているのが絵に残したいくらいに微笑ましい。


「今度はどこに行く気かな?」


 カイは気配を殺してモモの後をひっそりと追う。モモは誰かの足音に気付いたのか、慌てたように足踏みして、近くの部屋に飛び込んでいった。カイはメイドの会釈に手を振りながら答えて、モモの様子を窺う。


 しばらく動き回っている気配がして、再びドアから出てくる。そして楽しそうに次々と部屋を開いては中に入っていく。それを、カイは廊下の壁に寄り掛かって眺めていた。モモはまったく気づく様子がない。


 よほど平和な世界で過ごしていたのか。それを抜きにしても純粋にここが安全な場所であると信じているのかもしれない。それはいいことなのだろうが、モモが心配になる。……バルクライ様には報告した方がいいかな。


 やがてモモが黒い扉の部屋の前にたどり着く。そこがバルクライの部屋だから入るのを躊躇っている様子だ。


「本人の許可はあるのに律儀だね。少し背中を押してあげよう」


 カイはわざと足音を立てた。モモが慌ててバルクライの部屋に入っていく。よし。さて、後は出てきた所を捕まえればいいかな?


 バルクライの部屋の前で護衛らしく待機してみる。しばらくそうしていたが、モモの動きが止まっているようだ。これは確認した方がよさそうだ。カイはバルクライの部屋を開いた。護衛を命じられている限り、その命令はいかなる状況であろうと最優先されるべきことだ。たとえ上司の部屋であろうと必要なら躊躇ってはいけないのである。


 念のために足音を消して進むと、広いベッドの中に小さなふくらみがあった。すっぽり覆われたシーツをそっと覗くと、モモが中で丸くなって親指を吸っていた。ふにふにの頬を突いても起きる様子がない。ぐっすり眠っているようだが、その顔は少し寂しそうだ。


「オレにも甘えてくれるといいんだけどね……バルクライ様に一番懐いているってのが、悔しいな」


 カイは苦笑を浮かべて、モモの頭を撫でた。何度も撫でていると親指を吸う力が抜けて、表情が穏やかになる。


 どうやら寂しがり屋の幼女を甘やかすことが、カイの護衛としての一番の仕事のようだ。

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