10、モモ、国の内情をちら見する~文字の頭に【ち】がついたら警戒しよう~
「神殿の大神官がルバーンの森の古代神殿を使って、軍神を召喚しようとした。この子はそれに巻き込まれてこっちに来てしまった
おばあさんの眼力にも動じず、バル様は淡々と簡潔な説明をした。なんとなく落ち着かなくてもぞもぞ動くと、宥めるようにトントンと背中を叩かれる。
「……団長、言ってもいいかい?」
「あぁ」
「連中は馬鹿なのかい!? 人の身で軍神を召喚なんて正気の沙汰じゃないよ!」
「その場を抑えた時に、オレも同じことを言った」
「ターニャ先生、この件とモモのことはまだ内密で頼むぜ。団長から陛下に報告する必要があるんでね」
「わかってるさ。誰にも言わないよ。こんなことが明るみに出ればこの国だけの問題じゃなくなるからね」
「そうだよな。これが表ざたになれば、同じことをする国がこぞって出てくる。迷人の中には世界を動かした者も実在してるだけに、それ目当てに召喚を行うようになるだろう」
「成功していても戦局は悪い意味で大きく変わっていたはずだ。同盟関係を結んでいる国とも関係が危ぶまれることになる」
「神に仕える身でありながら、欲深いことさね。騎士団の存在意義は他国の人間と戦うことじゃないはずだよ。害獣からこの国を守るために作られたんだからね」
「今回の件は陛下に厳しく罰してもらう」
バル様が淡々と言葉を返す。おばあさんは頭が痛そうにこめかみを手で押さえる。そのまま椅子に座り込むと、深くため息を吐き出して、バル様の胸元にしがみついている桃子を見た。さっきの迫力を思い出して、思わずびくついてしまう。ヘタレですみません。
「あんた災難だったね? 安心おし、アタシがしっかり検査してあげるよ」
優しい顔で力強い言葉を頂く。おお、よかった。いい人だ。桃子はすっかり安心して、バル様の腕をてしてしと叩く。
「バル様、下ろして。検査してもらうのに抱っこのままは失礼だよ」
「……わかった」
優しい手つきで下ろされる。バル様、だいぶ慣れてきたねぇ。本当に子供産んでも大丈夫だよ、きっと! あの、冗談だからそんなもの言いたげに見つめないで。やっぱり、心が読めるんじゃないよね?
「違う」
「読まれた!?」
「予測しただけだ」
優れた頭脳の無駄遣いだよ。私そんな大したこと考えてないもん。お菓子とか、抱っこしてとか、眠いとか……んん? なんかこれ、赤ん坊と変わらない? まさか、そんな、中身は十六歳です。……気づかなかったことにしよう。
桃子はささっと服の皺を伸ばして精一杯の丁寧さで頭を下げた。
「水元桃子です。モモって呼んでください。ターニャ先生、よろしくお願いします!」
「あぁ、よろしく。アタシの孫と同じくらいの年齢だね。じゃあ、さっそく調べようか。まずは血液を採るから、ベッドに座って腕を出しな」
ターニャ先生は医療用具を用意しながら、部屋の隅にあるベッドの一つを指さした。
「どうやって血をとるの?」
ひっじょーに嫌な予感がした。頭文字に【ち】がつくことをされそうな。そんな、まさか異世界に来てまであれはないよねっ?
「注射針で採血さね。──団長かカイ、どっちでもいいからその子が逃げないように押さえといておくれ!」
ガクブル震える桃子に、厳しい視線が向けられた。痛いのは嫌だぁぁぁぁっ。桃子の中の五歳児が絶叫した。本能的に背後の扉に向かってダッシュする。が、カイの腕に後ろから捕まえられた。
「はい、捕縛完了。モモ、ターニャ先生は注射が上手いぜ。一瞬だからね」
「バ、バル様──っ」
泣きそうになりながらバル様の名前を呼ぶ。もともと注射が苦手だったこともあり、十六歳の桃子なら我慢出来ていたのに、五歳児の精神には耐えられなかったようだ。嫌だ嫌だとカイの腕の中で足をばたつかせて、必死にバル様を求める。感情が制御できないの。
「…………」
「これ以外に方法はないよ」
無言でターニャ先生を見たバル様が、ばっさり切られた。半泣きの桃子を見つめて、重々しく首が横に振られる。うん、わかってたよ!
「頑張れ。──ターニャ、言い忘れていたが、モモは五歳児の精神に時折引っ張られる」
「見ればわかるさね。それでも今回は我慢してもらうよ。大丈夫さ、アタシはプロだよ。一瞬で終わらせてあげるからね」
「モモ、オレと一緒に座ろうな」
ベッドに腰掛けたカイの膝に桃子が座る。お腹に腕が回され、右腕を掴まれて前に差し出される。
部屋の明かりを受けて、注射針がきらりと光った。
「ふぎゃああああ────っ」
ぷすっと腕に注射されて、桃子は絶叫した。
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