11、バルクライ、幼女に不思議な感情を抱く

* * * * * *


 バルクライはジュノール大国一の美丈夫と呼ばれているが、その二十一年の人生はけして幸福なものばかりではなかった。


 市民の出でありながら側室となった母には後ろ盾がなく、苦労の末にバルクライを生んだ後すぐに亡くなったと聞く。温もりはおろか実の母親の顔は絵画でしか見たことがない。幼少期からずっと、バルクライの心はいつも乾いていた。


 父であるラルンダ王は王妃との間に第一王子を儲けており、第二王子として誕生したバルクライの存在は権力争いの種になる可能性を秘めていた。そのような理由から、周囲の権力者達は、幼いバルクライを傀儡にしようと虎視眈々と機会を狙っていたのである。


 それに気づいたのが王妃ナイルであった。彼女は苛烈な性格ながらも陰湿とは縁遠く、破滅の可能性を秘めるバルクライを保護し、我が子、ジュノラスと分け隔てなく厳しく育ててくれた。


 しかし、それもバルクライの心を温めるものではなかった。実の子でもないのに育ててもらったことに恩を感じているのは事実だ。けして疎んでいるのではない。何かを望んでいたわけでもない。ただ、心を動かすものがなにもなかったのだ。


 不満はなかった。この先もただ国を守るためだけに生きていき、そして死ぬのだろうと思っていた。──古代神殿で、小さなモモと目を合わすまでは。


「うぅ、ひっく、ターニャせんせ、あり、ありがとうごじゃ、ました」


「おかしいね、そんなに痛かったかい?」


「いたくはなかったけど、ごわがっだ……」


「針が怖かったんだよな。よしよし、頑張ったね。さすがお姫様だ。ほら、高い高ーい」


 一通りの検査が終わってなお、泣きながらお礼を言うモモを、カイが褒めて抱き上げる。五歳児の精神に引っ張られているのだろうが、大きな黒い瞳からぼろぼろと涙を零すモモを見ていると、胸が疼いた。


「身体の状態は一般の幼児と変わりないみたいだよ。内臓、筋力、骨、共に問題なし。ただ、セージだけは普通よりも少ないようだね」


「せーじ?」


「セージは魔法を行使するのに必要な力だ」


「魔法! ねぇねぇバル様、私にも魔法使える?」


 モモの目が輝いた。目元が赤くなっているのが気になって、指でなぞるとくすぐったそうに身を捩る。嬉しそうな様子に、バルクライの胸の疼きも消える。不思議だ。誰かを見ていてこのように感じたことは一度もない。モモから目が離せなくなる。


「子供には難しい。ターニャ、モモのセージが少ないのは問題か?」


「別にまったくないわけじゃないからね。生活していくのに問題はないさ。ただセージが少ないってことは精霊に助力を願う声が小さく、魔法の効きが悪いってことだ。大きな怪我には気をつけるんだよ? 治癒魔法の効きが悪いんじゃ、大けがした時に困るからね。このセージの量だと、残念だけど、モモには魔法を使うのは難しいかもしれない」


 魔法を使えないと言われて、モモの眉が悲しそうに下がる。可哀想だがこればかりは仕方がない。もし可能であるのなら、常人よりもはるかに多い自分のセージを分けてやりたいが。


「そっかぁ……ちょっと残念。私も精霊さんとお話しをしてみたかったよ」


「精霊と話し? そりゃあ、アタシ達でも出来ないよ」


「え? そうなの?」


「お姫様、精霊ってのは自然界に漂う力そのものを指すんだよ。道端で星の輝きを見つけたら、それが精霊だ。どこにでもありいつの間にか消えていく存在。呼びかけに応えてもらえれば、魔法は完成する。団長、見本を見せてあげてくださいよ」


「必要か?」


「とーっても必要!」


 カイの腕に収まっているモモに聞くと、小さな両手を握りしめて力説された。そうか、必要か。バルクライは右手を上げると、小さく言葉を口にした。


「火の精霊よ、助力を」


 右手に赤く小さな光が集まっていく。それがお互いにぶつかって弾けると手の平の上に炎が生まれる。


「すごいっ!! バル様魔法使いなんだねぇ」


「正しくは違う。しかし、このように一定以上のセージを持つものは魔法を使える。ただ、あまり使うことはないがな」


「なんで? せっかくの魔法なのに」


「ははっ、オレ達騎士団が相手にしてるのは害獣である魔物だからね。セージを多く持つ者は少ないし、魔法より剣で切る方が早いのさ。魔法使いは別に専門職があって、治癒魔法を扱えるのは基本的に神官だけだよ。ただし、治癒魔法で怪我を治すのは大けがの時に限る。頻繁に使うと何故か効き難くなるんだ」


「それ、薬と一緒だね。耐性が出来るから効き難くなるんでしょ?」


 この発言には驚いた。モモは当然のように言っているが、その考えはこの世界には存在しないものだ。バルクライは炎を霧散して消すと、モモに尋ねる。


「モモ、たいせいとはなんだ?」


「え? えっと、強くなるってことだね。私の世界にもいろんな薬があるんだけどね、同じ薬を毎日のよう飲んでいるとその薬の効きが悪くなるんだって。薬より身体が強くなっちゃうんだね」


 なるほど、たいせいとは耐えうる力か。つまり、これを弱めることが出来れば、立て続けに大きな怪我を負っても魔法の効きを心配する必要がなくなるということだ。


「ターニャ」


「ああ。いいことを聞かせてもらったよ。これは開発部の連中に研究してもらう価値がありそうだね」


「あぁ。だが、モモのことは隠せ」


「わかってるよ、団長」


 モモにとっての常識は、この世界では得難いものだ。しかしそれと同時に危険なものでもある。この世界の常識にとらわれない考えは希少価値が高く、その分だけ狙われることになるだろう。だからこそ、守らなければいけない。それでなくともモモは素直な子供なのだ。


「モモ、お前が異世界から来たことはオレの許可なく周囲に話してはいけない。いろいろな場所から狙われることになる」


「えっ? 狙われちゃうの?」


「今モモが言ったことは誰も考えつかなかったことなんだよ。モモの世界では常識だったとしても、この世界ではそうじゃない。そのことを理解してね」


 カイがモモの額に額を押しつけて念押しする。……いつまでそうしている気だ?


「わかってますから、無言の威圧は止めてください団長」


「していないが?」


「無意識ですか……。はい、モモを抱えていてくださいね」


 モモを差し出されて受け取る。腕の中に柔らかな温もりを感じて、不思議と気分がよくなった。大きな目が見上げてくる。丸い頬は指で突きたくなるほど柔らかそうだ。モモが大きな口を引き上げて嬉しそうに笑う。自然と腕に力が入った。


「バ、バル様、苦しい!」


「……すまない。加減を間違えた」


「優しくぎゅってしてね?」


 よく笑う。だが、けして不快ではない。モモという不思議な存在を、バルクライは傍に置いておこうと決めた。

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