結 彼と彼女は明日へ歩き出した

Main file.06『きのう、わたしはいなくなった』

 ……あれは、どんな日だったろうか。

 ………思い出せない。

 いいや、ウソだ。

 今も尚私には、あの日の、あの四ヶ月の記憶が焼き付いて焦げ付いて離れない。

 今でも、思い出そうと思えば1秒前の、つい先程起こったことのように思い出せる。

 そうだアレは、

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 2010年 1月7日 01:46

 ──の出来事だった。

 シチュエーションは

 夜間に、そそくさといそいそと、歩いているところだった。

 思えば……不用心だな、随分と。


 あれは、何故ここまで遅れたのだったか。

 ああ、そうだ。

 学年全体の宴会がもたらされて、

 それの介抱だとかをやっていたらなったのであった。

 おせっかい、だったか?

 ……結果論か。


 街頭はなく薄暗く、月光少々。

 誰も居ない、人なぞ一人も通ろうはずない、

 という空気がいやにある公園前だった。

 私は一人、そこで疲れて項垂れていた。


 ──そこから、私の墜落は始まった。

「…………えっ!?はっ!!!?」


 気配なんてものはなく、その瞬間に発生したのかと思うほどに、それは突然訪れた。

 じり、じり、手がすり寄ってきた。

 私はまだ全容を掴めておらず、呆然としながらも、体を揺らしたり、手を振り回したりした。

 これはあまり効果が無く、それを加害者は手慣れた手つきで押さえつけて、行為をエスカレートさせていった。

「ちょっ……!!だ…………れか!!」

 どんどん、手がすり落ちていく。

 息を荒く、情欲がこちらに向けられているのが全身に染みついて、鳥肌が立つ。

 今でも、その染みが洗い落ちたかはあやふやだ。

 それを考えること自体が怖いから、蓋をして、見ないことにしている。


 私は抵抗した、あがいた、ふさがれた腕を力いっぱい動かした。

 手足をやたらめったら暴れさせた、頭でもなんでも、使用できるものはつかった。

 諦めず、諦めず。


「あっ…………ああっ……」


 どうやら、救いの手はあったようだった。

「……クソが」

 その人は加害者を蹴とばして、そのままひたすら痛めつけ始めた。

 足を、手を、武器を使って。


「……君を脅かしたあいつは、もう動かない。

 あいつは、一片の生命活動さえ許さない」


 とても重い言葉だった。

 喋り方が、暴力を嗜む者のそれだった。


「あ……なた……は?」


「犯罪者をブチのめした奴でいいよ。

 それだけで」


「……ひとまず、君の安全を保証しよう。

 …これ着て、君の家に行こう」


 この後この人は、私を家まで送り届けて、

 父と警察に状況と状態を伝え終わると、陽炎のように消えていった。


 この人達はこんな風に、私を救ってくれた。

 それも一度や、二度ではなかったのだろう。

 きっと。

 そういった所を、あの人たちは教えることもなく、私に干渉せず消えていった。

 ──でも、私とこの人は、半年後に会うことになる。

 しかも、私から。

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 2010年 2月24日 14:00

「心配したよ、樫之ちゃん……

 本当に……大丈夫?まだ2ヶ月も経ってない……」


「……いいのいいの、休めば休む程、苦労するのは私なんだし」


 意地を張る。

 まるで見栄っ張りの人のように、自分を大きく見せる。

 心配かけさせまいと、自他ともに暗示をかける。

 私は、大丈夫なのだと。

 そんな事は、なかったのに。


「それに……危ない人が助けたんだよね……?

 大丈夫?酷いことされてない……?」


「………………ぜんっぜんされてないよ!

 だから…………大丈夫」


 小さな。

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 2010年 2月26日 13:20

「お、ヤクザに助けられたクソおーんな!

 おいおいどうなの!?股開いたの!?そのヤクザさんには?」

 こんな事を誰かが言うと、

 すぐに他の誰かが聞きつけて、

 やいやいやいやい私を守る。


 これを何度か。

 数は一ヶ月に8回の頻度。



 心に、小さな。

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 2010年 2月28日 4:16

 母が病死して、2回目の墓参り。

 ホントを言うと、お母さんが死んだ日から、あんまりやる気がないんだ。

 もうなんだか、人とかどうでもよくて。

 これまでやってきた分が無駄になるとか、そういう理論武装で騙し騙し。

「………………いやだ……もういやだよ。

 ずっと…………こうしてすがってたい。

 もう……いいじゃん」


 わんわん泣いて、ギャンギャン喚いて。

 ああ、もう疲れたな。

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 2010年 3月8日 09:10

 …………なんだって」

 どうやら、私が売春をしているのでは?という話らしい。

 よく聞こえなかった。

 アレから、人の話を聞けなくなってきた。

 耳が遠くなった訳ではなく、むしろ以前より良くなった気さえする。

 それこそ陰口はよぉーく聞こえてきて、うんざりする。


「してないよ、そんなこと……」

「だ………………ねほんと……」

 …………この子、こんな顔だったっけ。

 ああそうか、私は。

 人を認識する機能が、弱くなっているのか。

 多分今、若手の芸能人を見たら全員同じ顔に見えるんだろうな。

 ああ、この子は友人で、私を憂いてくれている。

 憂いてくれている、のに。


 心に、小さな小さな。

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 2010年3月26日 10:45

 毎日、毎日。

 何かが私に飛んでくる。

 それはくしゃくしゃの紙であり。

 それは冷たい水であり。

 それは拳であり。

 それは生温く、若しくは嘲笑うような視線であり。

 それは石であり意思である。

 薄っぺらい、意思である。



 私の心に、小さな小さな。

 穴が空く。

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 2010年 4月30日 2:47

 その日は眠れなくて、よしんば寝たとしても。

 拳だったり足だったりが私に飛んでくる、夢。

 眠れるはずもなくて。

 寝汗と掻きむしった痛みを感じ始めて起きる。

 これが、2ヶ月ほど続いた。


 ああ、私は穴だらけだ。

 どこもかしこもクレーターだらけで、月みたいだ。

 ボロボロだ──


 私は、4月を境に大学へ行かなくなった。

 いやになった。

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 2010年 6月7日 14:55

 件の 私が 被害を受けた場所。

「……いるんでしょ」

 あの時、私を助けた人に向けて言う。


「ええ。

 ……ご要件は?」

 音もなく、気配もなく、するりと現れた。

「私を忘れさせて。

 みんな、みんな」


「まあ、俺達から君に接触するのはタブーって事になってるんだけど。

 他ならぬ君の頼みだ、引き受けよう」

 顔を見せない。

 この人は知ってるみたいだ。

 私が人の顔を見てると吐き気がする事。

「…………いいのかい?

 それをしたら君はもう、友達の輪って奴とかそういう人との関わりから一切が消えうせる。

 ……いいんだね」

 一瞬も、

 一切逡巡すること無く、私は首を縦に振った。

 そうして、私はどこにもいなくなった。

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