承 救われた人こそ、救いを求めている人だった

Main file.03『進む理由はこれでいい』

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 2016年 3月2日 12:10

「んー…やってしまったなあ……」

 仕事をしながら、先日の墓地の事を僕は後悔する。

 ……それは、どんな視点で見ても、いい別れ方とはあまり言えないものだったからだ。

 事は、29日に戻る。


「──え ペット飼ってるの店員さん?」

「そうですよ。

 デグー…齧歯類ですね。

 ネズミさん、ヤマアラシさん、リスさんあたりで………?なんで笑ってるんですか?」

 彼女は口を押えながら細々と震えているので、笑いを我慢しているけど、それでも思わず笑っちゃうようなことを僕が喋ったのだろう。


「いや、これまでの凛々しい敬語口調のままでさ、ネズミさんとか言っちゃうんだから。

 流石に失笑を禁じえなかったよね」

「ああ ごめんね。そのまま続けて大丈夫」


「あーはい 前の飼い主の方が…諸事情あって飼えなくなっちゃったのを引き取ったんですよ。

 もう…5年ぐらいになるのかな。

 辛い時に逃避できる…いや言い方が悪いですね、寄る辺があったのは大きかった。

 友人とか、交友が僕を支えてくれて、一応は立ち直れたんです」

「………それはよかったね」

 苦虫を嚙み潰したような顔で彼女は言う。


「僕は僕の環境が好きで、良いものだと思ってるんです。

 でも、僕の親友……彬愛って言うんですけど、あいつが死んだのを僕は

 お客さんに言ったように全然受け入れられなかったんです。

 どうにもしこりが残っていて」

 彼女は怪訝そうな顔でこちらを見たので、話を要約する。


「…何が言いたいかっていうと、あなたじゃなきゃいけなかった。

 友人がいたのに治らなかったんです。

 なのに、あなたに聞いてもらったら、もう無くなっちゃったんですよ。

 …あなたに、救われたんですよ、僕」

「……いきなり何言うんですか…お酒でも飲んだんです?」


「本心ですよ。

 あと僕19です、飲めません」

「エ゛、マジ…ですか……」

 驚きながらそう言ったお客さんの顔は、その驚きよりも驚くべきものが流れていた。


「はい…本…当なんです…けど……

 泣いて……ます?お客さん…」

「えっ?うそ……いや…いやいや……ウソでしょ……」

 お客さんは顔を屈めて、その手にはポタポタ、涙が溜まっていった。


「ホント…だ…」

 …そう言っている間も、瞳から涙は流るるままだった。

 何にも言えない空気になって、本当に時間で言えば数分ばかりの静寂が、このベンチに齎された。

 そこからお客さんが取る一連の行動に、僕は置いてけぼりになった。


「……すっごい勝手なことだけど……ごめん、帰るね」

 こう言った後、泣きはらした顔を拭いながら、お客さんはそのまま立ち去った。

 立ち去ったあと、直ぐに雨が降った。


「え?ちょっと!ちょっと待って‼

 待ってまだ……まだ……!」


 立ち去るお客さんに向けて僕は走りながらこう言った。

 けれど、お客さんは何も反応しなかった。

 この声が聞こえたかどうかは、もう分からない。

 結果を言えば、その日お客さんは見つけられなかった。

 追いつけなかった。

 僕には、彼女がなぜ泣いたのかが、分からなかった。


 名前も知らない人だ。

 たかだか数時間の縁だ。

 でもあの数時間は、僕の数年より速かった。

 僕はから、一歩も動けちゃいない。

 

 彼女は、僕を救ってくれた。

 僕も、彼女を救いたいのだ。

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 2016年3月29日 14:00

 あれからいくつかのコネを使いだして、

 お客さんの情報を探し始めたのだけど、どうにも掴めない。

 探せど探せど届きはせず。

 そんなままに、彬愛の月命日である3月29日がやって来てしまった。

 緑が始まりつつある例の霊園にやって来てみれば、

 しっかり着こんでも少しばかり震えてしまうような、寒さの中。

 お客さんは、前回と同じ様に、木陰に腰掛けて待ってくれていた。


「僕が来るのが分かってたんですか?

 …どうやって?」

 仮にそうじゃないとすると、色々おかしくなってしまうし。

「いや、理屈は至極単純、あなたなら来ると思ったからだよ。

 仮に来なかったなら、日暮れまでここで座ってたかもね」


「凄いことしますね、お客さん」

「あんなの素で言える店員さんには負けるけどね」


「そうかな…?

 だって、アレは言わないといけないかったし、なら僕は言いますよ」

 僕にとって言う以外の選択肢はないんだし。


「…そういうとこだよ~」

 …彼女はそれを呆れるように言ったけど、僕には、アンマリそれが分からない。

 僕は心にそれをhwyの包装で、押し込めて、そっとした。



「……なんだろな、店員さんってフィクションだ。

 キザッたらしいセリフとか、漫画でもそうそう言わないくさいセリフを平然と言える感じがさ。

 あなたは非実在青少年なの?ちょっと気になってきちゃったね」

 彼女は楽しげに、口角を上げながら囁く。距離も近くなってきた。

「そんなに俗世間に僕って似合いません?中々にショックなんですが」


「器の問題だよ、器の。

 ああ、君のじゃない。世間の方さ」

「僕が世間から弾かれてることは否定してませんね、それ」

「責任の所在は君じゃない、という意味だよ。特異なものを排斥するのが社会なのだし」

 少し虚ろげで、唇を噛み、目を逸らしながら、彼女を言葉を続ける。


「……まあ、君が君らしくあれているのであれば、世間がどうであろうといいか。

 そこらへん、君はどうなのさ。ちゃんと君は、君らしくあれているかい?」


 これへの返答は、随分出なかった。

 悩んでたじろぐ僕を尻目に、彼女は何かを思い出したかのように手を叩いた。


「…そうだ!!そういえば私達って、店員さんとお客さんなんていう、畏まった呼称のままだね。

 名前の一つも聞いたこと無かったや。店員さんのお名前ってなんだい?」


「あっ……あっ!!……そういえばそうでしたね。

 僕は、夏目 虞瞳なつめ やすねろ 虞瞳やすひろって言います。お客さんは、どんな名前なんですか?」

「ん、じゃあ私も言おうか、樫之かしの

 樫之かしのむた、ですよ、夏目さん」


「さんはいいです……あと苗字じゃなくても別にいいですよ」


「じゃあ、虞瞳君を選択するよ」

「うんーと……樫之さんでいいですか?」

「ん。それでよし──」


 満足したのか、樫之さんはまるーい饅頭顔になった。かわいい。


「それで、虞瞳君?

 虞瞳君は、虞瞳君らしくあれているのかい?」


 かと思えば今度は鋭い目付きだ。

 この温度差こそが樫之さんの持ち味かもしれない。


「僕は──

 ──僕らしくある事の定義は……分かりませんけど、僕には目的がありました」

「ほう?目的があったのね。

 じゃあ、過去形な理由は?」

「今、実行出来てないからです。

 僕は、この目的を今現在放棄しています」

「なにゆえ?」

「……共同者が居たんです。

 僕に目的を与えてくれて、その目的を一緒に歩んでくれた、親友が」

「件の……親友君?」

「……ええ…はい」

「そっか。

 辛いね……」

「……でも………それでも、今は……今は少し違うんです」

「というと?」

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 2016年 3月29日 9:00

「月命日に来たのは本当に久しぶりだな、彬愛。

 でも、進歩したんだよ。

 君の言葉も宙ぶらりんで、何も出来なかった。

 ……今はどうするか模索中なんだ、待っててくれ」


 初めて墓中の彬愛の元を、晴れやかな心持ちで後にした。

 薄暗い感情だけだった霊園の記憶に、明るいものが追加されていた。

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 2016年 3月29日 14:35

「見向きすらできなかった。

 1秒すら考えられなかった。

 ちょっとは……考えられるようになりました」

「……良かったね、虞瞳君」

 そう。

 考えられるようになったのは橿之さんのおかげだ。

 だから、僕はこの人を助けなくちゃいけないのだ。

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