第9話
「誰だって、気が付いたら一人称って変わってたりするでしょ? 私だって、小学生の頃は俺って一人称を使っていたし」
「……凄い小学生ですね」
いわゆる俺っ子ってやつだったのか。是非見てみたい。
それはともかく、一人称が変化するというのは覚えがある。
中学の頃の知り合いも、一人称で自分の名前を呼んでいたのが、気が付いたら私と言うようになっていた。
そんな風に、何かのきっかけとかであっさりと変わっていくもの。それが一人称というものなのだろう。
「そして優人の場合、例の親友と読んだことをキッカケに、私に対しては俺って一人称を使うようになった……まあ、実際にはもっと前から心の中で俺って言ってたのでしょうけど」
「……キッカケがないと、その一人称は使わないと?」
「えぇ。芯の部分は『俺』なのに、滅多なことがない限りは『僕』って一人称を使うの」
その話を聞いて、友人である藤倉くんに対しても『僕』だったことを思い返す。
「それは、いわゆる自己防衛ですか?」
「うん、そうだよ。もっと具体的に言えば、常に下の位置にいることで、視界に入れる必要がないって思わせるため」
と、そのタイミングで急に、日和さんがちゃぶ台に突っ伏した。一瞬何事かと身構えたが、彼女の肩が僅かに震えているかのように感じた。
「……人ってさ、自分より下がいると安心するの。わかるでしょ?」
顔をちゃぶ台に付けたまま、そんな言葉が投げかけられる。
その隠された表情は、悲しみかそれとも怒りか。見てみたい気持ちが心の中に芽生える。
「いわゆるカーストですか?」
「……優人はさ、家の都合とかもあったせいでその辺を把握してたんだよね。アイツ自身他人を貶めちゃったこともあったし、まあ自覚でもあったんだろうけど」
「萩村くんが……?」
それは、なんというか意外だ。この場合の貶めたというのは、間違いなく自分が上だと誇示する行為ということ。私が知る萩村くんには当てはまらなかった。
「……だから、アイツはその底辺に居続けることにしたんだよ。今更這い上がろうとするのは面倒くさいから、ってさ」
「それも建前……ですよね?」
「三割くらいは本気だっただろうけどね」
その声からは苦笑いでもしているような雰囲気を感じた。未だに顔を伏せたままなので、雰囲気だけではあるが。
三割程度の本気。一種の諦観でもあったのだろうが、残りの七割の内の大部分を占めていたのは、恐らく先程も出ていた自己防衛のため。
自分の不満を『僕』へのモノと考えることで、『俺』へのダメージを軽減していたと、ファミレスでも彼はそんなことを言っていた。
それと同じように、その場に留まることで関わることすら億劫だと思わせる、そんな自己防衛方法だったのではないだろうか。
そうして彼は我慢し続け────
「ちなみにだけど、アイツ一回だけ傷害事件を起こしかけてるんだ」
「────さらにとんでもない事実をぶち込むのやめてくれません?」
「どうせ教えないといけないんだからいいじゃない」
傷害事件を起こしかけたという事実を、『教えないといけない』と。それはつまり、現在の人格形成に大きく関わっていると?
一体どれだけ情報を叩き込むつもりなんですかこの人。
「ま、許容量を溢れちゃっただけだよ。きっかけは幻聴で、キレた結果ハサミで刺そうとしたんだ」
「……ちなみに狙いはどこだったんですか?」
「お腹狙いだったらしいよ。流石に殺さないって考える程度には自制心も残ってたみたいだね」
「…………」
「その時は残念ながら同じクラスじゃなかったからね。アイツ自身が笑いながら話してくれた内容だよ」
笑いながらって、いったいどういう神経してるんですか萩村くんは。
「幸い、周りが止めたから事なきを得たってさ。下手すれば少年院行きだったのかななんて言って話してくれたのは、中学二年の後半辺りだったよ」
「…………なるほど、既に落ち着いた過去の出来事だったからこそなんですね」
「そそ。で、その時に周りが余計なことを言っていたらしくてね。アイツが言葉から躊躇を消したのはそれからだったってさ」
「……一体、その大馬鹿どもは何を言っていたんですか?」
余計な言葉という時点で、ろくでもない言葉だという事は分かった。それ故、萩村くんの側に立つ私の口から出た言葉は、とても攻撃的なそれになっていた。
意識してみると、気が付けば日和さんは顔を上げていた。そういえばクラスが違ったことを話したタイミングで顔を上げていたような気がする。
彼女の表情は穏やかだった。決して気分がいいと思えるようなものではなかったが、それでも怒りだけは感じられない。きっとこれは哀しみでもなく、慣れ切ってしまった自身への諦観だ。
そんなことを考えている私をジッと見つめ、そしておもむろに口を開いた。
「『───────────────』」
「────あぁ、なるほど……」
放たれた言葉に納得してしまった私に、彼を攻略することができるのかはわからない。
けれど少なくとも、私の中の高揚は確かにこの時、より大きいものになっていた。
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