44話 空港
飛行機の到着時間はもう過ぎている。ということは、類香は今同じ敷地内にいるはずだ。和乃はベンチに座りながらスマートフォンを握りしめた。
通知が鳴るのを今か今かと待っている。
類香の顔を見るのは久しぶりだ。夏哉はビデオ通話もしていたようだが、和乃にはそれができなかった。自信がなかったと言った方が正しいだろう。類香の顔を見てしまうと、恐らく自分は自分のことを棚に上げる。
和乃はそれが怖かった。まだまだ誇りを持てる自分になどなれそうにない。きっとそんな人は多くはないのだろうけれど、それでも自分自身のことをもう少し期待してあげたかった。
自分に素直になることは簡単なようで難題だ。素直になったところで、どうにもならないことだってある。
和乃は気を紛らわせようと辺りを見回してみる。多種多様な人たちがそこにはいた。自分もその一員なのに、自覚が持てない。難しく考えることはない。それだけなのに。いつの間にか天邪鬼になったものだ。
スマートフォンに目をやると、そろそろこちらの方へ出てきてもいい頃だった。
和乃が迎えに行くと立候補した時、類香は喜んでくれた。それは嬉しかった。しかし同時に羨ましいと思ってしまった。自分も同じくらい嬉しいのに、それを表現できない。
モヤモヤと渦巻く思考が鬱陶しい。
行き交う人たちをぼーっと見つめながら、和乃はもどかしそうな表情をしている。
「和乃?」
そこへ、ひょこっと顔を出してきた人がいた。随分と懐かしい感じがする。長い髪の毛は相変わらず美しく、和乃は、そーっと瞳を上げた。
「あ、やっぱり和乃だ!」
嬉しそうなその声は、もうずっと昔に聞いたように感じた。和乃は反射的に瞳が潤んできた。
「類香ちゃん……」
間違いなく、それは類香だ。久しぶりに見たその姿は、あんまり変わっていないように見える。しかし表情が以前よりも明るく見えた。少し化粧をしているからだろうか。いや、それだけではない。
前はただただクールな印象だったが、今はそれに柔らかさが垣間見える。
和乃は、ぼうっと類香の笑顔を見つめていた。
「来てくれてありがとう」
「ううん」
和乃は首を横に振った。類香の顔を見ていると次第に胸が弾んでくる。和乃の体温がゆっくり上昇していった。類香が、ここにいる。
「類香ちゃん……」
和乃は瞳を震わせた。
「どうかした? ……ふふ、和乃、髪の毛伸びたね」
類香は肩下まで伸びた和乃の髪の毛を見てくすっと笑った。和乃は放心したような表情のまま、こみ上げてくる感情を抑えるように声を絞った。
「……おかえり」
「ただいま、和乃」
類香の微笑みがまた胸を突いた。
類香は和乃の隣に座り、向こうでの生活のことを話し始めた。和乃に早く話したかったのだろう。長時間のフライトの疲れなど微塵も感じさせなかった。
大学もそのまま向こうで通うつもりの類香は、もうしばらくは向こうで暮らすのだろう。和乃はその未知なる生活を興味深そうに聞いていた。
「そうだ、和乃も合格おめでとう」
「……え?」
「ちゃんと会って言いたかったんだよね」
「……ありがとう」
類香の明るい声とは対照的に、和乃は歯切れの悪い声を出した。
「和乃?」
類香はきょとんとしている。
「あ、ごめん。合格はいいことなのにね」
「なのに……?」
和乃が口ごもると、類香はその表情を窺った。
「何か悩んでるの?」
「…………うん」
和乃は恐る恐る頷いた。類香は真剣な表情をすると、ごくりとつばを飲み込んだ。
「類香ちゃん、留学って、楽しい?」
「……え?」
「私、留学に興味があって……」
類香をちらりと見て和乃はぐっと表情を強める。
「類香ちゃんが留学してから、興味が強くなってきたんだけど、前々から、少し興味があってね……」
「うん」
「誰も何も知らない場所で、色んなことを学べるのかなって思って、そんな、夢を見てたの」
「和乃、そうだったの……」
「けど……けどね、自分が止めるの。私にできるはずがないって…」
「どうして?」
「私は弱くて、脆くて……そんな場所にいられるはずがないって、どうしても弱気になっちゃうの」
和乃は悔しそうに顔を歪めた。
「それなのに。無理だよねって思っているのにね、思っているくせに、大学を受験して、進路が決まってもまだ、悩んでいるの。いつもいつも考えちゃうの。もし、それができたのならって……!」
「……ふふふ」
類香は和乃の表情を見て嬉しそうに微笑んだ。和乃はその反応にきょとんとして首を傾げる。
「類香ちゃん?」
「和乃、嘘をつきたくないんだね、自分に」
「え?」
「今の和乃の目、きらきら輝いてる」
「……きらきら?」
「うん。留学の話してる時、さっきも、私の話を聞いてるときに」
「………………」
和乃は類香の顔を見たまま黙った。和乃は自覚がなかったようだ。類香はまた微笑んだ。
「生き生きとしてたよ、和乃」
「……類香ちゃん」
「あのね、和乃。そういう時に嘘偽りは通用しないって知っているでしょ?」
「………………」
「自分に遠慮しちゃだめだよ」
類香は身体を和乃の方へと向ける。
「ね、和乃。一緒に行こうよ」
「……え?」
「留学、してみようよ」
類香はそっと手を差し出した。
「挑戦できることを、これから探していこうよ。留学してみて、諦めるのはそれからでもいいじゃない」
「…………類香ちゃん」
和乃の表情がみるみるうちに緩んでいった。今にも泣きそうなほど目には涙がたまっている。
「私はね、もう自分の気持ちに嘘はつかない。絶対に自分に嘘をつきたくないことは、ずっとずっと大事にするんだ」
「…………うん」
「和乃の気持ちも、嘘をつかせたくないな」
類香は眉を下げて笑った。すっかり参ったような表情だ。しかし、とても清々しい。
「一緒に行こう? 和乃」
「…………うん!」
差し出された手を和乃はぎゅっと握った。嬉しそうに頷き、類香のことだけを見ていた。頬が少しだけ赤くなっている。その瞳に迷いはない。それは類香も同じだった。
実際の留学の費用のこととか、細かいことは今はどうでもよかった。
そこにいるのはかけがえのない友人だ。
類香は、ぎゅっと温かい手を包み込み穏やかに笑った。幸福感に満ちたその類香の笑顔は和乃の柔らかい頬を緩ませ、また笑顔にする。そう、これだ。
大好きなその笑顔と、あたたかい温もり。
失ってたまるものか。
それは私が見つけた幸せの形なのだ。
君を救える夢を見た 冠つらら @akano321
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