42話 本音


 花薫る季節を目の前に、和乃は教室でスマートフォンを睨みつけている。周りでは、受験が終わったクラスメイト達が束の間の高校生活の余韻に浸っていた。


「わのちゃん」


 和乃が顔を上げると津埜が目の前に立っていた。


「津埜ちゃん? どうしたの?」


 この一年の間、津埜の教室は隣のはずだ。和乃は首を傾げる。


「合格おめでとう!」

「……あ」


 津埜の笑顔に和乃はハッとした顔をした。そうだった。彼女に会うのは合格発表以来だ。


「ありがとう。津埜ちゃんもおめでとう」

「ありがと!」


 津埜は得意げに笑った。和乃がスマートフォンをしまうと、津埜はぐいっと和乃に顔を近づける。


「それで、来週末、大丈夫?」

「え? ……ああ! うん。大丈夫だよ」

「よかったー! 楽しみだね」


 津埜は、へにゃりと笑ってみせた。和乃はその表情に引っ張られるようにしてにやりとする。


「そうだね。日向くんも来れるって。修学旅行で、別の班だったもんね」

「……そ、そうだね!」


 津埜の反応に和乃は、ふふっと笑った。


「西のリベンジだ!」

「わのちゃん、声が大きいよ……!」

「ふふっ、ごめん」

「ところで、何見てたの?」

「え?」


 和乃はその言葉にどきっとする。


「何か真剣に見てたよね?」

「えっと……大学のこと……。ほら、気になるでしょ?」

「……そっか。それもそうだよね」


 津埜は納得したように頷いた。


「卒業しちゃうんだね、私たち」

「うん……」

「寂しいね」

「うん……だけど……」


 感慨深そうな顔をしている津埜を和乃はゆっくりと見上げた。


「津埜ちゃんは、新しい生活も、楽しめるはずだから……!」


 津埜はその表情に面を食らったようだった。


「わのちゃん……」

「ん?」

「……今まで本当にありがとう! これからも見捨てないでね!」

「つ、津埜ちゃん!?」


 勢いよく抱きついてきた津埜に和乃は体勢を崩しかけた。


「わのちゃんはほんと最高の友達だよ……!」

「……ありがとう、津埜ちゃん。私も、津埜ちゃんのこと大好き」


 和乃は照れながらも津埜の言葉に泣きそうになっていた。ここで出会えたことに感謝をする。きっと今じゃないと言えないことだ。


「本当、楽しかったね……」


 和乃は頬を緩めてそう呟いた。



 自宅に帰るなり和乃は自室にこもった。手にはスマートフォン。和乃は眉間に力を入れて、食い入るようにディスプレイを眺め続けていた。

 机の上にはパンフレットが散乱している。どれも大学生くらいの若者が笑顔で写っていた。


「……だめだよね」


 和乃が呟いた。近頃は独り言も増えてきた。受験が終わったというのに何もすっきりしないのだ。


「……忘れよう」


 スマートフォンから一度目を離し和乃はソファに伸びた。しかし頭の中は休まらない。和乃はパンフレットを見つめ、無意識のうちに手に取った。

 虚ろな瞳は飽きもせずにその紙を見つめている。

 すると誰かからメッセージが届いた。

 和乃はスマートフォンを再び手に取り、その内容に目を向ける。そして二秒後には、がばっと勢いよく起き上がった。

 鼓動が聞こえてくる。

 和乃はドキドキしたままディスプレイを見つめる。だんだんと汗をかいてきた。あまり気分の良いものではない。

 しかし、和乃の唇は次第に綺麗な三日月を描いたのだった。



 「日向くん!」


 翌日、和乃は夏哉の席まで駆けこんだ。


「どうした? 日比、そんなに興奮して……」


 いつになく元気な和乃を見て夏哉は目を丸くして笑った。


「類香ちゃんが! 来るんだって! 日本に!」


 和乃は興奮したように嬉しそうにそう言った。


「日向くんも知ってるよね?」

「ああ」


 夏哉は頬を緩める。


「遊びに来るんだってな。来週、だっけ?」

「そう!」

「あいつ連絡遅くないか?」


 夏哉はくすくすと笑った。まるで類香を窘めているようだ。


「遅くてもいいの! 急に決めたらしいから……」

「叔母さんも海外に戻るんだってな」

「そう。それで急遽……」


 和乃は類香を庇うように必死な表情をしている。


「まぁ瀬名らしくていいよな」

「……そう!」


 夏哉は類香の代わりに少し気まずそうな表情をしている和乃を見てニヤリと笑った。


「それでね、本当は楓花さんが迎えに来てくれるみたいだったんだけど、仕事が入っちゃったみたいで。今は忙しい時期だから、調整しきれなかったんだって」

「うん」

「だけど、誰も迎えにいないってのは……なんか、なんか……」


 和乃は表情を歪ませる。夏哉は和乃の表情を窺うと、彼女が求めている答えを導きだした。


「日比が行ってやれよ。お迎え」

「え……?」

「瀬名、可哀想だろ?」

「……日向くん」


 和乃は目を丸くして夏哉のことをじっと見上げる。


「いいの……?」

「ああ、行ってこいよ。行きにくいなら、俺も行こうか?」

「それは……だめ……!」


 和乃は慌てて夏哉の言葉を否定した。


「その日はみんなでテーマパークへ行く日でしょ? 日向くんは行かないとダメ!」

「……うん?」


 夏哉は、ほんのりと笑ったまま迫真の言葉にきょとんとする。


「絶対に行って!」

「わかった……?」


 和乃の懇願する眼差しに夏哉はゆっくりと頷いた。


「じゃあ、日比が行ってくれる?」

「え……」


 和乃は自信がなさそうに息を漏らした。


「私、でも、行ってもいいのかな……。類香ちゃんの顔、ちゃんと見れるのかな?」


 夏哉は俯く和乃の肩をガシッとつかむ。


「いいに決まってるだろ! 日比、顔を上げろって。本当は会いたいんだろ?」

「…………うん」

「ここで素直にならないとだめなんじゃない?」

「……うん」

「みんなには俺から言っておくからさ」

「……日向くんありがとう」


 和乃はそっと顔を上げる。


「私、会いに行ってくる……!」


 きりっとした凛々しいその表情に、夏哉は力強く頷いた。

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