40話 喝采


 テーマパークを流れる時間はとても早かった。一日はすべて平等に二十四時間で構成されているという法則を疑ってしまうほどに、今日の一日は早かった。

 気がつけばすっかり夕暮れ時だ。

 類香はふとインフォメーションに目をやった。


「ショーがあるの?」

「そうだよ! 花火と映像とイルミネーションを組み合わせたやつなんだって!」

「へぇ……」


 和乃の元気な説明に類香は和乃の明るくなった表情を見る。


「映像? マッピングとか? そういえば有名なんだよな」


 畔上が和乃の説明に食いついた。


「結構人気があるって聞いたことある」


 そういえば畔上はそういった類のことが得意分野だった。類香は文化祭を思い出した。


「観てみるか?」


 夏哉が畔上に尋ねると「みんながいいなら……」と、畔上はうずうずしながら答えた。そんな顔をされてしまったら類香たちもショーが気になってくる。


「観ようよ。評判なんでしょ?」


 類香はそう言って畔上を見る。


「いいの!? ありがとう、瀬名さん」

「私も気になってたんだー!」


 和乃も息を弾ませてわくわくしているようだ。


「場所、早めに行った方がいい?」

「平日とはいえ混んでるかもな……」


 夏哉がショーが開催される方向を見た。何人かがそちらに向かっているのが見える。すると。


「わのちゃん!」


 人の流れの中から津埜のグループがこちらに手を振っているのが見えた。


「津埜ちゃんだ! おーい!」


 和乃は嬉しそうに手を振り返した。津埜は和乃とはまた違ったモンスターの帽子を被っている。


「津埜ちゃんたちもショー観るの?」

「そのつもり!」


 津埜がこちらに駆けよってきた。他の皆は少し離れたところで待っている。


「私たちもだよ」

「本当? そしたら一緒に行こうよ」


 津埜はちらりと夏哉を見上げる。


「あの、よかったら、だけど……」


 夏哉は津埜の視線に気づき、にこっと笑った。


「俺たちはいいよ。な?」

「ああ!」

「うん」

「もちろん!」


 全員が同意すると、津埜はほっとしたような顔をした。


「そしたら一緒に行こう!」


 そして、とても嬉しそうに笑った。類香はその表情を見て心が温まるようだった。

 ショーの会場に着くと既に結構な人で賑わっていた。皆、アトラクションに乗りつくしてやることがなくなってきたこともあるかもしれない。それに加え、このショーは有名なのだ。それは見たくなるだろう。


「瀬名、こっち」


 類香は人に押されて流されそうになったところで夏哉に手招かれて迷わずに済んだ。はぐれないように、夏哉と和乃に挟まれるような形で類香はショーを待った。

 畔上や津埜も、そわそわしながらも楽しそうに会話をしている。

 だんだんと視界が暗くなっていく中、類香は指先に向かって息を吐いた。


「寒い?」


 それを見た和乃が首を傾げる。


「ううん。大丈夫……」


 類香の声を聞いた夏哉が類香を見下ろした。類香は不意に、くすっと笑う。


「……楽しかったなって」

「え?」


 和乃はきょとんとした表情をした。


「今日……昨日もだけど、楽しかった」


 類香は喜びを言葉に出すのがもったいないように声を出した。周りの喧騒すらも心地よかった。


「ありがとう、二人とも」


 和乃と夏哉は目配せをする。和乃が何かを言おうとしたその時、園内のライトが消えた。訪れた暗闇とともに一斉に歓声が沸き上がる。

 その声に誘われるように三人は正面を向いた。ライトが空に向かって伸びて行き、その頂点が交差したところで花火が打ちあがった。


「わぁっ……!」


 再び歓声が上がる。ショーが始まったのだ。キラキラとした粒のような音楽が流れ、観客たちは一気に煌びやかなおとぎ話のような世界へと誘われた。

 音楽に合わせて打ちあがる花火と変化自在に建物の姿を変える映像の光に照らされて、類香の顔も明るくなったり暗くなったりを繰り返した。

 豪快に視界を覆う花火は夜空に幻覚のように映えていく。類香はその透き通るような美しさに思わず目を見開いた。花火が瞳を輝かせ、類香は幻想的なその光景に吸い込まれそうだった。


 ふと両隣を見ると、同じように光に照らされた二人がいた。その横顔を見ているだけで類香はきゅっと心臓が跳ねた。それは手離したくない感覚だった。


「……二人とも、あのね」


 類香はそっと口を開いた。また花火が打ちあがった。和乃と夏哉は空から目を離して類香を見る。


「私、学校をやめるの」


 再びの歓声が辺りを包む。穏やかな熱狂の中で類香は目を伏せた。


「え……?」


 和乃の声だけが聞こえてきた。夏哉は黙ったまま類香を見ている。


「留学することにしたの」

「……留学?」


 類香の言葉に和乃は眉をひそめた。もうショーは見ていなかった。


「類香ちゃん、どうして……?」

「……私が、そう決めたの」

「……類香ちゃん」


 和乃は瞳を揺るがせた。


「……いつ?」


 夏哉が口を開いた。


「修学旅行が終わったら、学校をやめて、まず、おばあちゃんたちに会いに行く。楓花さんが、修学旅行だけは絶対に行けって……。私も、行きたかったし……」

「……そっか」


 夏哉の声は落ち着いている。類香はそれに少し救われた。


「皆と、最後に思い出が欲しかったの」


 類香は名残惜しそうな顔をして頬を緩めた。和乃は動揺を隠しきれていなかった。


「私たちのため……? 学校とかに、迷惑かけないように……?」


 和乃の声は震えている。


「ううん。違うよ。私が、望んだの」

「……類香ちゃんが?」

「そう。皆のせいでも、なんでもない。私の決断なの。私がそうしたいって、求めているの」


 類香は眉をきりっとさせる。強がっているようにも見えたが、そこには確実に類香の信念があった。


「ちょうど、留学の話もあったし、タイミングが良かったの」

「……そんな」

「逃げるみたいだけど、そうしたいんだ。逃げてもいいんだって思った」


 類香は呪縛から解き放たれ砕けるかのように笑った。夏哉はそれを見て首を横に振った。


「逃げてないだろ、それは」

「え?」

「瀬名は、挑戦するんだろ? 次の道へ」

「……うん。そうだね」


 夏哉の笑顔に類香ははにかんだ。今まで自分に科した両親の呪縛から逃げなかった分、今度の類香は思いっきり逃げてやろうと思っていた。正面から問題に立ち向かい続けるのはどうにも限界がある。

 類香は一度そこから逃げたいと思ったのだ。自分らしくあるためにもそういう選択をした。和乃たちと離れたくはない。しかしこれが一番良い選択に思えた。

 でも夏哉の言葉がしっくりと胸に落ちて、類香の心が少し持ち上がった。


「類香ちゃん……」


 和乃は、ぐっと唇を噛んだ。


「類香ちゃんの挑戦を、私も応援したい……」

「和乃……」

「でも、でも……寂しいよ」


 和乃はぽつりとそうこぼした。類香は偽りのないその言葉に胸が痛んだ。


「私、まだ類香ちゃんに甘えてばっかりだから……でも、でもね…!」


 和乃は類香の両手を勢いよく握った。


「私も、頑張るから……! 類香ちゃんたちに助けてもらった分、私は、私に正直に生きるって決めたの! まだ、難しいこともあるけど……だけど、だけどね! 類香ちゃんと一緒に、私も頑張ってみる……!」

「……うん、和乃! 私、いつだって和乃のこと応援してるからね!」

「ありがとう、類香ちゃん……」

「ううん。私にも言わせてよ、ありがとうって……」


 類香の瞳が潤み、絶えず辺りを照らす映像が反射してカラフルに彩っていった。


「行ってらっしゃい、類香ちゃん」

「……うん、行ってきます」


 ショーはもう終盤だ。類香は再び空を見上げた。清々しいほどに澄んだ空気が頬を包んだ。和乃と夏哉もクライマックスを見ようと空を見上げる。類香は何故だか嬉しくなってきて衝動のままに二人の腕を抱きつくようにして掴んだ。和乃はくすぐったそうに笑い、夏哉は少し驚いていたが、すぐに照れくさそうに笑った。両隣にある温もりを類香はぎゅっと抱きしめる。

 感情を揺さぶる音楽が類香の背中を押してくれるようだった。

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