39話 楽園
修学旅行が始まった。三泊四日で関西を巡る旅だ。類香のことを配慮し、生徒たちは制服ではなく私服で行動することになっていた。一躍有名となってしまったが故に、どうしてもあの制服姿では目立ってしまうからだ。
和乃はコートを着てしまえば変わらないと笑っていた。類香もそれには同意だったが、やはり後ろめたい気持ちはあった。
「類香ちゃん、もう電気消しちゃうよ?」
「うん。大丈夫だよ」
一日目が終わり、同室の和乃が電気を消そうとしている。津埜と大鳳はもう寝ているようだ。移動ばかりして疲れたのだろう。類香は窓から目を逸らした。
「もう少ししたら、私も寝るね」
「うん。おやすみ」
和乃はそう言って微笑むとベッドに入っていった。
類香は彼女の動きが消えると再び空を見た。空気が冷たくて澄んでいるからだろうか、星がよく見える。一番輝く星を見て類香は小さく息を吐いた。いつのことだったか、和乃と見た星を思い出す。
あの時と比べたら自分は少し変われた気がする。これは誇張ではない。
類香は冷えてきた指先を撫でた。
両親のことから逃げなくなった。それは間違いなく進歩だった。類香にとってはとてつもなく大きな一歩だった。そして今、また両親の幻想に覆われかけている。
しかし違う。類香は分かっていた。以前とは何もかもが違うのだ。
ベッドに入り類香は天井を見上げた。真っ暗な中で、ぼんやりとした模様が見える。
津埜たちのスヤスヤとした寝息が聞こえてくる。類香はそっと目を閉じた。
翌日はバスで観光地を回ることになっている。類香は車窓を楽しんでいる和乃を見て自分も同じ景色を追ってみた。ずっと見ていると酔ってしまいそうだったが、和乃と同じ風景を眺めるのは楽しかった。
「明日はついにテーマパークだね」
和乃が、ふいにこちらを見た。思いがけずこちらを向いたその笑顔に類香は目をぱちぱちとさせる。
「そうだね」
「今日の観光地の案内も楽しみだけど、明日はもっと楽しみだな!」
「和乃、はしゃぎすぎないでよ?」
「えー? だめかな?」
「恥ずかしいでしょ」
類香は少し息を抜くようにくすっと笑った。和乃がはしゃぐ姿を見たい気持ちはあるが、そういう場面になれていない類香はまだ少し照れがあった。そう言うことは性に合わない。
「類香ちゃんもはしゃいじゃおうよ」
「……できるかな?」
しかし和乃のきらきらした瞳を見ていると類香は頑張れるような気もしてきた。
滞りなくイベントを終えていく修学旅行はついに三日目を迎えた。今日はテーマパークで自由行動をして終日を過ごす。生徒たちが一番楽しみにしていた日だ。
すぐ隣にあるホテルで先生に挨拶をすると生徒たちは皆、テーマパークへと駆けこんだ。
類香はロビーで夏哉と畔上と合流した後、他の生徒と同じくエントランスへと向かった。制服ではなく私服で行動しているおかげか、この修学旅行の間に類香がゴシップの標的になることはなかった。
「瀬名」
「なに?」
エントランスを抜け、現実世界から抜け出したところで夏哉が呼びかけてくる。
「日比と畔上が帽子買うってさ」
「帽子?」
類香は、いつの間にかたくさんのキャラクターのカチューシャや被り物が飾られているワゴンで立ち止まっている和乃を見た。
「買うの?」
「そうだって」
類香はきょとんとした顔をしたままよく分かってなさそうだった。
「夏哉も買うの?」
「俺は……」
「おい日向、お前これつけてみろよ」
夏哉が答えようとすると、サメに食べられるような帽子を被った畔上がカチューシャを差し出してきた。
「何これ?」
類香はそのカチューシャを見て吹き出した。それは恐竜の足がデザインされたものだった。
「ダサくない?」
「ちょっと、傷つくからやめろ」
夏哉はカチューシャを試着して悲しそうな目をした。畔上も楽しそうに笑っている。
「それならこっちの方がいいよ」
類香は目についたカチューシャを手に取った。有名なヒーローキャラクターのぬいぐるみが乗っかっているものだった。それをつけると、まるでぬいぐるみが頭に乗っているように見える。
「そうかな……えー? 俺、そもそも似合ってなくない?」
「そんなことないよ!」
和乃が明るく笑いかけてきた。
「すごくいいよ! 日向くん」
その屈託のない笑顔に夏哉の心も揺れ動いてきたようだ。彼はカチューシャの値段を目にした。
「買うんだね……」
「類香ちゃんはこれとかどう?」
類香が渇いた笑みを浮かべていると、和乃が犬のキャラクターの帽子を手に取った。
「えっ? 私?」
驚いた類香は目を丸くした。
「うん。これ、似合うと思う」
「そう、かな……?」
和乃はモンスターの帽子を被ったままニコッと笑った。
「……どうなのかな」
「似合うんじゃない?」
夏哉もからかうように笑っている。類香は少し頬を膨らませつつも試着をしてみた。黒い耳が垂れていて、とても可愛らしい。
「……私にはなんか、この帽子のデザインは可愛すぎるような」
「そんなことないって類香ちゃん」
和乃は小さく拍手をしている。
「似合っているよ!」
「……うーん」
類香は帽子を一度外した。どうにも照れてしまう。こうも浮かれていいものなのか。
畔上を見ると、夏哉と何やらマップを見て計画を立てているところだ。あまり待たせるのも悪いだろう。
「うん。買ってみようかな……」
類香は覚悟を決めると、恥ずかしそうに笑った。和乃はそんな類香を見て嬉しそうに頷いている。
派手になった自分たちの姿に類香はなかなか慣れなかった。しかし、園内では皆が思い思いの姿で楽しんでいる。視界に慣らされた類香は次第に何も思わなくなってきた。
「次はこれ乗ろうぜ」
畔上が片手にカラフルな中華まんを持って、夏哉のスマートフォンに映されたマップを指差した。すでにいくつかのアトラクションを回ってきたが畔上はまだまだ元気だった。
「一番怖いやつだ……!」
和乃が、ひえー、と声を上げる。
「絶対楽しいやつだろ! ……わのちゃんこういうの苦手?」
「わかんない。あんまり乗らないから……」
和乃は自信がなさそうにそう答えた。
「大丈夫だよ、わのちゃん、所詮はコースターだし」
「それがこわいんだけどな……」
「一緒に乗れば大丈夫!」
畔上はにこっと笑いかける。サメに食べられているくせに随分と強気なものだ。類香は畔上の帽子を見てそう思っていた。
「まぁ無理はしなくてもいいと思うけど」
「……でもせっかくだしなぁ」
畔上の気遣いに和乃は、うーんと悩んだ。
「皆と来れるのは、もう最後かもしれないし……」
和乃の小さな声に類香はどきっとした。確かに、近くもないのでそんなに頻繁に来れるものではない。和乃の考えは正しかった。
「乗ってみようかな」
「おお! わのちゃん、さすがー!」
畔上は嬉しそうな声を上げる。
「日向と瀬名さんは大丈夫?」
「俺は平気」
「……私も」
類香はゆっくりと頷いた。
そうだ、間違っていない。和乃は正しい。
「類香ちゃん、隣に乗ろう?」
「うん。お願い」
和乃の言葉に類香は微笑んだ。
四人は少しだけ列に並び、コースターに乗り込んだ。
「類香ちゃん、あのね……」
「ん?」
「あの、こわいから……あのね……」
和乃は、もじもじと恥ずかしそうに下を向いた。
「手、つないでてもいい……?」
そこまで言うと和乃の耳は真っ赤になった。子供みたいなお願いに恥ずかしくなったのだろう。和乃は目を伏せる。
「いいよ、和乃、私も怖いから」
類香は和乃の左手をぎゅっと握った。
「これで怖さも半分こだね」
「……うん! ありがとう」
類香のいたずらな笑顔に和乃は嬉しそうに微笑んだ。
前の席では、畔上が両手をあげて出発を待っている。
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