38話 決意
その週は校門前から人がいなくなることはなかった。学校側が警察を呼んでも、フリーで何も怖いものはない記者たちはしつこく食い下がっていた。記者たちから仲が良いと判断された和乃は、連日、盾になってくれる夏哉と一緒に逃げるように登校することを強いられた。
類香は屋上からぼーっと校門の方面を見た。まだ人影が見える。本当に執念深いのだ。類香を探ってもそこに橘立華と本間芳樹はいないのに。楓花に車で送迎をしてもらうようになり、類香は和乃たちと外で一緒にいることも控えるようになった。これ以上の迷惑はかけられない。
ただでさえ平穏な学校生活を壊されている。校門前にいる人たちにしてみれば、生徒たちの日常などどうでもいいのだ。
類香はそのまましゃがみこんだ。風が吹くと寒さは隠せない。寒さから逃れるように小さく丸くなる。
国民的俳優だった両親もこんな風に追われていたのだろうか。なんて酷なことだろう。自分に帰れる瞬間はほんの僅かだったのかもしれない。類香は地面を見つめた。
クラスメイト達も気を遣って何も言わないようにしてくれている。この校内にはゴシップを持ち込まないようにと配慮してくれているのだ。
類香はそれが申し訳なくてたまらなかった。皆の日常すら振り回している。彼らは何も悪くないのに。自分がここにいるせいで。類香は歪めた顔を伏せた。
これでは昔と一緒ではないか。
せっかく前を向き始めたのに。これでは逆戻り。
身をひそめるように自分を抱きしめる。
まだ元気になったばかりの和乃や、自らの壁を乗り越えた夏哉にもいつまでも迷惑をかけてしまう。それに縋ってしまう自分もみっともなく見えた。自分はみっともなくてもいい。けれど。
静かに涙が頬を伝う。
ようやく見つけようとした幸せが幻のように消えてしまう。
その事実に堪え切れなくなり類香はしゃくりを上げた。
これは両親の呪いなのだろうか。どうしても両親は幸せを望まないのか。類香が自分の道を歩もうとすることを認めてはくれないのだろうか。
「……うぅっ……ごめ……ごめんなさい……ごめんなさい」
赦しを請う声が類香の口をついて出てきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……おかあさん、おとうさん……」
類香の涙が地面に落ちた。ぽろぽろと流れる涙は止まりそうにない。ここにあるはずのない、仏壇に供えている写真の二人がこちらを見ている気がした。その感情のない瞳に全てを見透かされているような気がして類香は震えた。
「幸せを求めて……ごめんなさい……」
両親は俗にいう幸せを望まなかった。だから類香などいらなかった。類香は自分で導き出したこの答えをずっと頭のどこかに置いてきた。
それがよかった。類香は納得していたのだから。しかし和乃に出会い、夏哉に助けられ、津埜たちのような素晴らしいクラスメイトに恵まれた。楓花という家族もいる。その存在たちが、それを否定してくれた。類香の固まって焦げ付いていた心を少しずつ溶かしていってくれたのだ。
類香は身体が引き裂かれそうなほどに泣きじゃくる。
「ごめんなさい……でも、嫌なの……! こんなの、嫌だよ……」
何かに反抗するように類香は語気を強める。
「もう嫌なの……せっかく、せっかく見つけた……」
自分の存在を否定するような社会に気づいたとき、類香は絶望した。それでも類香は逃げなかった。
「……ごめんなさい」
生きる意味を自分に科していた。だから逃げなかった。しかしそんなものは、ただの張りぼてでしかないのだ。
「…………私は、もう決めたんだから」
ぎゅっとこぶしを握った。大事な人たちを守る。それは自分にだってできる選択なはずだ。
「……お願い、だから赦してください……」
天を仰いだ。両親のいない空を見上げ、類香は眩しい太陽を目に入れた。顔一面に広がる涙が光る。
類香は目が太陽に覆われるまで見つめ続けた。
そして教室に戻る途中で、やはり他のクラスの生徒にちらちらと見られる。何かを話していた人たちも、類香を見て不安そうな顔をしている。こんなに生徒達に重荷を負わせてしまうなんて。
類香は真っ直ぐに前を見て歩いた。
その視線には、もう何か見据えているものがあるように思えた。
*
夜。類香は夕飯を終えると食器を洗い始めた。楓花はリビングでキャンドルを焚いている。楓花の趣味だ。胸開く華やかな香りが漂ってきた。
「楓花さん」
手を拭き、類香はリビングに向かった。
「なにー?」
楓花は少し暗くした部屋で雑誌を読んでいた。キャンドルの上では火の上昇気流で小さなカルーセルが回っている。
「聞きたいことがあるの……」
「……私も、相談したいことある」
類香が隣に座ると楓花は雑誌を閉じた。
「ねぇ類香、私、考えたの」
「……はい」
類香は彼女の言葉を待ってぐっと息をのんだ。
「類香、留学しない?」
「……え?」
きょとんとする類香を楓花は真っ直ぐに見ている。
「留学……?」
「うん。私自身も留学してたし……というか、向こうの暮らしの方が長かったから、類香にも興味があれば行って体験してみて欲しいなって思ってたの」
「……うん」
「日本もとてもいいけど、類香には、少し、住みづらくなっちゃったかもしれないし……」
「……そんなこと」
類香はそう言いながら目を伏せる。世間はゴシップには飽きていく。しかしゴシップが出た事実は変わらない。それを避けきれるとも限らない。
「だからいい機会かなって思って」
「……楓花さん」
楓花は類香のためにいろいろと考えてくれていたのだ。彼女はお気に入りのキャンドルに目をやった。
「類香が決めることだから、考えてみてくれない……?」
「……うん」
キャンドルの上を回るカルーセルは穏やかな時を演出しているようだった。類香は、ゆっくりと回転するそれを見た。
「で、類香の聞きたいことって?」
「えっと……あの」
類香は口ごもった。
「おばあちゃんたちに、会えないかなって……」
「え?」
楓花も目を丸くした。
「全然会ってないでしょ? だから、気になって……」
「そう……」
楓花が少し嬉しそうにしたのを類香は見逃さなかった。
「それとね……」
類香は再び口を開いた。楓花は類香が何を言うのかをじっと待ってくれる。
「私……」
類香の提案に、楓花は口をぽかんと開け目をぱちくりとさせた。
「……類香、本当にいいの?」
「うん……もう決めたの。私……」
「……そっか。類香が決めたのなら、いいんじゃない?」
「……そう、思う?」
「うん。私は類香のこと尊重したいの。あまりにもおかしそうなことじゃなければね」
「……ありがとう、楓花さん」
「いっちばんの味方なんだからね!」
「それは、もう、分かってる」
類香ははにかんだ。楓花は類香の頭をわしゃわしゃと撫でると、にこにこと笑う。
「類香の選択を、応援させて!」
楓花のエールは、いつも類香の揺れ動く心を励ましてくれる。
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