18話 幻聴


 文化祭が終わると、類香は教室にいても異質を感じることはなくなった。クラスメイトの中にはまだ類香に馴染めないものもいるだろう。しかし怖がって話しかけられないという者はいなくなった。


 嶺たちに関しては教師から罰が与えられた。しっかりと咎められたことに関して類香は学校を見直した。意外にもちゃんと見ているものなのだと。

 他の生徒達も後夜祭での出来事を表立って口にすることはなくなった。

 それなのに、今朝の全校集会で類香は妙に視線を感じた。類香のことを好奇の目で見てくるのもおかしなことではない。口にすることがなくなったからと言って記憶が消えてしまったわけでもなし。

 類香はあまり気にしないようにと、その視線を受け流そうとした。


 しかし、どこか違和感がある。なんだろうか。

 類香はこちらに向けられる視線を思い切って見てみる。するとそれは自分に向けられていたものではないと気づいた。

 前に立っている和乃のことを類香はまじまじと見つめた。

 その視線は確かに和乃のことを捉えている。

 文化祭で彼女が目立っていたのは言うまでもない。和乃は校内でちょっとした有名人になった。それはさておき、何かがおかしい。

 類香は眉をひそめる。


 全校集会が終わり、生徒たちは凝り固まった体を伸ばしながら次々に体育館を後にした。類香も例外なくそれに続くが、どさくさに紛れて先ほど和乃のことを見ていた生徒たちにそっと近づいた。

 その生徒たちの背後をさり気なく歩き、耳を澄ませる。

 彼女たちは会話に夢中で類香がいることには気づいていない。


「…………えー? ほんと?」


 一人の女子生徒がくすっと笑っている。


「それはデマじゃないの?」

「そんなことないよ」


 ポニーテールの女子がからかうように否定した。


「誰に聞いたの?」

「隣のクラスの男子」

「信憑性薄すぎ!」


 きゃっきゃと、女子生徒たちが笑った。


「でもそれ本当なら、結構悲惨だね」

「だよね。聞いてて寒気がしちゃったもん」

「ほんと、かわいそう。日比さん」


 類香の耳がぴくっと動く。


「それ考えたら、今、凄いね」

「うん。あんなキャラクターやれるなんて、相当吹っ切れてるんじゃない?」

「それか、ねじが壊れちゃったのかな」

「あはは。そっちの線もあるね。もうどうでもいいみたいな」

「今の状況に酔ってるんじゃないの? あーあ、かわいそう」


 全く同情しているようには聞こえなかったが、この話題にもう飽きてしまったのか、その女子生徒たちはすぐに他の話題へと移ってしまった。

 類香は顔をしかめたまま彼女たちから離れた。意識してみると、通り過ぎていく他の生徒達の会話からも和乃の名前が聞こえてくる。

 類香は立ち止まり、流れていく雑音だけに耳を傾けた。




 昼休みになると類香は和乃とお弁当を教室で食べた。和乃はいつもと特に変わりもなく、自分のことを他の生徒が話題にしていることに気づいてもいないようだった。

 そのため、類香も何も言わなかった。和乃の話を聞いて、昼の時間を過ごす。ただそれだけだった。

 放課後を迎え、類香は珍しく先に帰った和乃の席を自分の席から意味もなく見つめる。

 誰もいないその席は、なんだか寂しそうだった。


「瀬名」


 自分を呼ぶその声が聞こえるまで、類香は空っぽの和乃の席から目を離さなかった。


「ぼーっとしてどうした?」

「ううん」


 夏哉が類香の前の席に座るなり、類香は彼のことをギロッと睨み眉をきりっとさせた。


「絶対に、何も、手伝わない」


 類香の強い意志に夏哉は目を丸くする。


「なんだよ、ちょっとくらいはいいじゃん」

「い、や」


 類香はハッキリとそう答えると鞄を手に取った。


「瀬名の強い決意は認める。だが、それでいいのか?」

「は?」

「日比のこと気になってるんだろ?」

「……」


 類香は黙った。それはずるい。


「ちょっとだけ付き合ってくれよ」

「……しょうがないな」


 類香は鞄を机にかけなおすと頬杖をついた。


「で? 何?」

「古いパンフレットとか資料の処分、頼まれちゃったんだよね」

「それ、ちょっと、じゃなくない?」


 類香は不満そうに訴えかける。


「あとは運ぶだけだからさ」

「一人でもできそうな感じだけど」

「台車二つ分だから、一気に持っていきたい」

「……」


 夏哉は自分を疎ましそうに見る類香の目をじっと見つめ続けた。類香は溜め込んだ息を吐き、根負けしたように瞼を閉じる。


「……いいよ。分かった。ポスター手伝ってくれたし」

「瀬名は義理堅いな!」

「うるさい」


 類香は夏哉に連れられ廊下の端まで来た。たくさんの処分される資料が積まれた傍にはすでに台車も二台用意されている。


「じゃあ、のっけるぞ」


 夏哉に言われた通り、類香は少し雑にまとめられた資料の束を台車に乗せる。結構な数の束をのせると、類香は背伸びをして一息ついた。夏哉もすでに積み終えている。

 台車を並んで押しながら二人は廃棄場所まで向かった。途中、夏哉は何も話そうとしない。類香も夏哉に倣って、淡々と作業を続けた。

 廃棄が終わると、夏哉は類香にお礼を言った。そしてそのまま手を振って別れようとしていたので、類香はすかさず夏哉の制服を引っ張った。


「ちょっと待ってよ。和乃のことは?」

「何?」

「なんか教えてくれるんじゃないの?」

「俺、そんなこと言った?」


 夏哉は爽やかに笑う。


「え? 何、騙された?」


 類香はその笑顔を見た不快感を隠さなかった。


「気になるか、って聞いただけだろ?」

「……卑怯だ」


 類香はぼそっと言葉をこぼす。勘違いしたのは自分だが、夏哉のことが恨めしかった。恨み節の一つでも言わないと気分が悪い。


「言葉が悪いぞ、瀬名」

「いいように利用しといて、それ言う?」


 夏哉は口角を上げて眉を下げる。明らかに楽しんでいる表情だ。類香はそれが少し悔しかった。


「手伝わないって言うからさ」

「騙してまで手伝わせるのもどうなのよ」


 類香はため息を吐いて脱力する。もう口論も疲れてしまう。類香は自分の落ち度を認めることにした。


「でも瀬名も、日比のこと気にするようになったんだな」

「はぁ?」

「今日、先に帰っていったから寂しかったんじゃないのか?」

「……そんなこと」

「ん?」


 夏哉は類香を見てにっこりと笑っている。類香はぐっとこぶしを握った。


「そんな目で見ないでよ」


 その優しい眼差しが類香にはまだ重荷だった。なかなか慣れないものだ。


「じゃあ、そんなことないってことにしてあげる」

「なんかむかつく。同情されてる」


 類香はむっと口を結んだ。


「まぁまぁ。別に日比のことが気になるのって、悪いことじゃないだろ?」

「……だって」

「うん?」

「もとはと言えば和乃が、近づいてきたんじゃない。しょうがないでしょう。気になるのも、当然のことじゃない。そこまで、無関心ではいられないでしょ……」


 類香は小さな声でそう言った。その声は、言い難いことをどうにか口にしたようだった。類香の眉間に入った力がそれを物語る。


「誰も責めないから」

「そうだけど……」


 類香は自分のことがとてつもない我儘に思えた。少し前は和乃と距離を置きたかったのに。どうにかして離れようと考えていたあの時が懐かしい。

 夏哉は肩を落としている類香を見て柔らかに微笑んだ。


「じゃあ、俺はまだ用事あるんで」

「ご多忙ですね」

「ははは。器用貧乏なもんで」

「……」

「気を付けて帰れよ?」

「はいはい。気を付けて帰ります」


 類香はぶっきらぼうに言い捨てる。夏哉の声は、鬱陶しいほどに揺らぎ続ける心を支えるのにはちょうど良い具合の声色だったからだ。


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