17話 庇護
翌日も何事もなく平穏無事に文化祭は開催された。
すっかりキャラクターが板についた和乃は、類香が見守る中、すべての公演を終えた。
「お疲れ様、和乃」
類香は何度目かの労いの言葉をかける。
「ありがとう!」
その度和乃は屈託のない笑顔を返してくれる。
「終わったー! 終わっちゃったよ!」
これまでとは違い、和乃は両手を広げてジャンプした。
「嬉しいの? 嬉しくないの?」
「嬉しいけど……! 寂しいな」
和乃はそう言ってはにかんだ。
「わのちゃんお疲れ。最後まで盛況だったよ」
畔上が機材を片付ける手を止めて拍手をする。すると教室にいたクラスメイト達は彼に続いて一斉に拍手を送った。
「ありがとう……みんなのおかげだよ!」
感極まりそうな和乃を、類香はしょうがないな、と言いたそうな顔で見る。でも今は、彼女の気持ちを尊重してあげたかった。
「みんなもお疲れ様! あとは後夜祭楽しもうぜ」
畔上の言葉に教室中の手が上がった。
後夜祭は体育館に生徒が集まって行う。バンドの演奏をしたり、踊ったり、とにかく自由に楽しむのだ。文化祭の余韻は今だけの生徒達だけに許された特権だ。
去年、さっさと帰ってしまった類香は初めて後夜祭に参加した。勿論、和乃に誘われて。
「夏哉」
体育館の後方にいる類香は近くにいた夏哉を捕まえた。
「昨日、何かあった?」
「え?」
夏哉は類香の投げかけに少し驚いた顔をする。
「講堂に来る前に、何かなかった?」
「……ないよ?」
「本当?」
「ははは。本当だって」
しかし類香はそれは嘘だと勘付いていた。明らかに夏哉の顔は引きつっている。素直な彼がその表情を隠せるはずがない。だがあまり問い詰める気もなかった。言いたくないなら、それは責められない。
「あ、ほら、生徒会長だ」
「…………」
類香は夏哉に促され前方の舞台を見る。ちょうど生徒会長がマイクの前に立つところだった。
「みんな! 今年も文化祭が無事に終わりました!」
はきはきとした声が響いた。しかし彼のその音は堂々として耳馴染みが良い。
「これはみんなの努力と協力のおかげです! 本当にありがとう!」
生徒会長の言葉に体育館は沸き上がる。
「どれもみな素晴らしかったですが、今年も、特に祭りを盛り上げてくれた出展を発表します!」
生徒会長は、おもむろに手元に持っている封筒を開けた。
文化祭では毎年人気だった出し物を表彰することになっている。お客さんや生徒、教師の投票で決まるものだ。
「さぁ、今年は一体どこだ!?」
生徒会長の盛り上げに一同は再び沸いた。ライブ会場のようなレスポンスに、類香は心がふわりと浮き上がるような気がした。
「……2年C組!」
マイクを通した生徒会長の言葉が反響する。
「え? それって……」
和乃が思わずぽつりとこぼした。
そうだ。それは類香たちのクラスだ。目をぱちくりとさせた和乃は類香と顔を見合わせた。
「やったよ! 類香ちゃん!」
体育館が歓声に包まれる中、和乃は類香の両手を掴んで喜びだす。
「うん。良かったね、和乃」
「瀬名、なんで他人事なんだよ」
冷静な類香に夏哉がそう声をかける。歓声に掻き消されないように、三人は少し大きめの声を出し合った。
「だって、和乃のおかげでしょう?」
「まぁそうだが、瀬名、お前もクラスの一員だ」
「そうだよ! 類香ちゃんがいてくれたからだよ!」
和乃は満面の笑みを向けてきた。類香は少し戸惑いながらも、ぎこちなく笑い返す。
「まぁ、うれしい、かな……?」
類香と和乃を見ていた夏哉は、ふと、少し離れたところにいる男子二人組を見た。
「C組って、あのキャラクターの?」
「だな。なぁ、俺聞いたんだけどさ……」
「え? なんだよ?」
「あのキャラクターやってたやつ……」
こそこそと何かを話している。夏哉はそんな二人をじっと警戒するように見ていた。
するとその時。
「じゃあ、後夜祭を祝して……!」
生徒会長が舞台上に掲げられたくす玉の紐に手をかけた。恒例の景気づけの演出だ。
「それっ!」
威勢良く引っ張られたその紐は勢いのままにくす玉を割った。
半分に割れたくす玉からはコンフェとともに垂れ幕が降ってくる。すると生徒たちは一斉にその垂れ幕に目が釘付けになった。
“瀬名類香は風紀を乱す淫らな娘”
毛筆で書かれたその文字に、生徒会長は驚愕の表情を浮かべた。
「何だ!? これは!?」
わたわたと慌てる生徒会長は僅かの判断の間でどうにかその垂れ幕を下ろそうと、幕を必死に引っ張り始める。
しかしなかなか千切れない。生徒会長の奮闘も虚しく、ざわざわとした生徒たちの声が途切れることは当然なかった。
「くそっ、取れないだと!」
それでも生徒会長は格闘を止めようとはしなかった。
「類香ちゃん! 見ちゃダメ!」
体育館の後方では和乃が類香の目の前に立ちはだかって視界を遮ろうと躍起になっていた。
「いや、もう見えてるし……」
類香はそんな和乃を呆れた目で見る。
懸命に類香を守ろうとする和乃を見ていると、類香は思わず笑いそうになった。こんなことは慣れている。嫌がらせなんて気にもしていない。
むしろ脱力しそうになる。和乃の方が当人よりもよっぽど慌てているからだ。
「……あいつら」
和乃を落ち着けようとしていると、今度は夏哉の声が耳に届いた。その視線の先には、以前類香に絡んできた女子生徒と嶺がいる。あの時の仕返しのつもりなのだろうか。困惑している生徒たちの中で三人は楽しそうに笑っていた。
「夏哉……!」
一歩足を踏み出そうとした夏哉を類香は急いで止めた。
「いいの。放っておこう。構っちゃだめ」
「……瀬名」
夏哉は類香に腕を優しく掴まれ、こみ上げてきた怒りを抑えた。
「でも類香ちゃん……」
「ありがとう。大丈夫だから。これで、いいの」
「…………」
和乃と夏哉は類香をじっと見つめると、互いに悔しそうに顔を歪めた。
「生徒会長ー、情けないですよー」
そこへ、透き通るような女子生徒の声がマイクを通して聞こえてきた。舞台を見やれば、そこには津埜がいる。未だに垂れ幕をとれない生徒会長に彼女は同情の眼差しを送っていた。
そして生徒会長と一緒に垂れ幕を引き千切ると、それを勢いよく投げ捨てた。
「みんな! 白けちゃったよね!」
すかさずマイクを握った津埜は明るくそう言った。
「瀬名さんは、私たちの大事なクラスメイトなの。とても素敵な子です。そんな彼女への言いがかりなんて、見過ごせない」
明るい声のトーンは変わらないまま、津埜は凛とした表情をした。
「私たちは、瀬名さんのこと、そんな風には思ってない。少しだけ不器用だけど、そんなところも嫌いじゃないよ。本当は、きっと優しいんだと思う。だって、私たちのばか騒ぎに付き合ってくれるんだもん」
津埜の言葉に類香は心臓がきゅっとしたのが分かった。苦しくなる胸元を反射的にぐっと叩いた。
「これからも、よろしくね。大事なクラスメイトさん」
たくさんの生徒がいる中で、暗がりにいる類香がどこにいるのかなんて分からないだろう。しかし彼女はまるで類香のことを見ているかのようににっこりと笑う。
「こんな手の込んだことをする方が、よっぽど風紀を乱してるよね?」
彼女は足元に情けなく落ちた垂れ幕を踏みつける。
「先生に言っちゃうんだから」
そしてお茶目に笑うと、いつの間にか準備を終えていた後方のバンドメンバーを振り返った。
「それじゃ、ここからは盛り上がっていこう! 皆に文化祭を楽しんでもらった後は、私たちが楽しむ番だよね!」
津埜がそう呼びかけると、静まり返っていた体育館が息を吹き返したかのように賑わってきた。そのまま彼女は新鮮な楽器の音とともに楽しそうに歌いだした。
「……津埜さん」
カラオケの時よりも力強く歌う彼女。類香の口から意図せず息が漏れた。思ってもみなかったことだった。まさか自分のことをあんな風に庇ってくれる人がいるなんて。お節介焼きの和乃やお人好しの夏哉だけじゃなく、そんなクラスメイトがいたことに驚きだった。
「瀬名さん」
類香が顔を上げると、そこには畔上がいた。他にも数人、教室で見た顔がいる。
「あんなの気にしないで」
「私たちは、瀬名さんのこと、そう思ったことはないよ」
優しい言葉が次々に耳に届いてくる。
「まぁ、ちょっと怖いけど」
控えめな笑い声が沸き上がる。でもそんな冗談も今は笑って受け流せた。
「……ありがとう」
自然と出てきた言葉に類香自身も驚いた。いつの間にこんなに素直になれたのだろう。言葉を発する前に何も考えていなかった。言い方が偉そうではなかっただろうか。滑るように口を出ていった言葉に少し不安になる。
しかしそんなことは余計な心配で、クラスメイト達は類香のことを励ますと、それぞれ後夜祭を楽しむために散っていった。
「…………変なの」
「何が変なんだよ?」
夏哉はぽかんとしている類香を見て笑った。いつの間にか嶺と女子生徒たちは体育館から姿を消しているようだ。
「だってさ……」
「何か気に食わないことでも?」
「違くて……」
類香は一息置いた。
「私のこと、めんどくさい奴って思わない? 普通は」
「普通って、基準は?」
「……私」
楓花みたいなことを言ってしまった。類香は無意識のそれが少しくすぐったかった。
「瀬名の基準は通用しないみたいだな」
夏哉は意地悪く笑う。
「本当だね。理解しがたいな」
類香はそう言うと、すっかり大人しくなった和乃を見る。いつからか和乃の存在感が消えていた。
「和乃?」
類香が顔を覗き込むと、ハッと和乃は顔を上げる。
「ごめん! なんでもないよ!」
「……そう?」
「津埜ちゃんの歌、もっと前で聞こう?」
「……うん」
「日向くんも!」
「ああ」
和乃はいつもの笑顔で二人の手を引いた。
気のせいだろうか。
類香は和乃の後頭部を見ながら、ぼんやりと考えた。
和乃の唇が、震えていた気がする。
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