16話 舞台
それから、二回目の公演も無事に終了した。お客さんの反応も良く、彼らの反応を全身で浴びたクラスメイト達はとても嬉しそうだった。
類香と和乃は文化祭を回るために教室を出る。機材担当の夏哉はまだ仕事があるため後から来るらしい。
「ちょっとお腹空いたな」
和乃がそう言うので、類香は軽食のテントが立ち並ぶ校庭へと出た。二人を囲うように、あちらこちらから香ばしい匂いが襲ってくる。
何を食べようか悩んでいる和乃に類香は一つのテントを指差した。
「たこ焼き?」
「うん。定番でしょ?」
「ふふふ。そうだね」
和乃は嬉しそうに微笑んでいる。類香のことを見る目が温かいのは気のせいだろうか。伸ばした人差し指をそっとしまい、類香は微かに唇を噛む。
たこ焼きを二パック買った二人は近くのベンチに座った。
「本当に賑わってるんだね。初めて見たかも」
「うん。みんな楽しそう」
ほかほかのたこ焼きに視線を落とし、和乃は立ち上る湯気をじっと見る。
「猫舌?」
「少しだけね」
類香の指摘に和乃は小さく舌を出した。
「そしたら、熱くない食べ物のほうが良かった?」
「そんなことない。たこ焼き、美味しいもん」
和乃は全力で首を横に振った。
「先に食べてていいんだよ」
「じゃあ遠慮なく」
類香は和乃の言葉に甘えてたこ焼きを一つ頬張った。
「うん。おいしい」
類香の感想に和乃はごくりとつばを飲み込んだ。ソースの香ばしさが食欲を容赦なく刺激し、和乃は湯気が落ち着くのを今か今かと待ちわびた。
たこ焼きを食べ終えると、二人は校舎の中を巡った。特に興味をひくものはなかったが、類香はそれも苦ではなかった。和乃が逐一可笑しなコメントを入れてくるからだ。
あてもなく校内を歩き回り、もうすぐ津埜の公演が始まるというところで二人は講堂へ向かおうとした。
「あ!」
すると途中で和乃が何かを見つけて声を上げる。
「これ、好きな映画だ」
足を止めている和乃に類香が眉をひそめて近づいた。
「類香ちゃん知ってる?」
和乃が指さしているのは、とあるクラスの前に貼ってあるポスターだった。このクラスはカフェをやっているようだ。
そのポスターを見るなり類香は思わず目を見開いた。
知っているに決まっている。
それは、両親の出演している映画だ。
遥か昔に一度だけ目にして、途中で耐え切れずに画面を消した思い出深い映画だった。
「昔の映画なんだけど、面白いんだよ」
「……そうなんだ」
ポスターを見て楽しそうな顔をしている和乃の手を類香は強引につかむ。
「もう行かないと、遅刻しちゃう」
「あっ、待って」
和乃は類香に手を引かれたことにも驚きながらも、その歩幅について行こうと必死に足を動かす。
(なんでよ……)
心臓がバクバクしているのを感じていた。下手すれば内臓が飛び出てきそうだ。
一刻も早く、和乃にあのポスターから目を離して欲しかった。
気づかれているはずがない。それでも類香は怖かった。
両親のことを他人に知られたことはない。もしそうなったらどうなるのだろう。
未知なる恐怖はまるで、毛皮のために囚われ、抵抗も許されずに皮を剥がされる動物のような気分だった。
*
講堂に着くと、まだ夏哉は来ていなかった。
二人はお客さんで半分ほど埋まっている講堂の中で座席を確保し開演を待つ。幕が上がる前に、類香は息を整えようと深呼吸をする。まだ鼓動が早かった。
「楽しみだねぇ」
和乃の無邪気な声も聞こえなかった。
どうにか呼吸が整ったころ、暗転の少し前に夏哉が急ぎ足で来た。
「遅いよ?」
「悪い悪い。ぎりセーフだよな?」
類香が窘めると夏哉は申し訳なさそうに笑って軽く頭を下げた。
公演が始まり、類香は舞台上にいる津埜に視線を移す。津埜はヴィオラを担当している。同じ制服を着ているのに、いつも教室で見るのとはまた違うその凛とした佇まいに類香は思わず見惚れてしまった。
隣の和乃を見ると、こちらもうっとりしている。確かに素晴らしい演奏だ。クラシックのことは詳しくはないが夢見心地になるのも分かる。
先ほどのことは忘れてもらえるだろうか。
類香はそんなことを思いながら、今度は反対側に座る夏哉を見た。夏哉は大人しく演奏を聞いている。その真剣な眼差しは一体何を見ているのだろう。少し険しい眉間に違和感を覚え、類香は首を傾げた。
心ここにあらず。
今の夏哉にはその言葉がお似合いだ。
類香は再び演奏に集中した。自分の学校の部活動の発表なんて、見たことも聞いたこともなかった。しかし舞台上にいる生徒たちは皆、生き生きとしている。その堂々とした姿をこれまで見ようともしてこなかった。
きっと皆、真剣に部活動に打ち込んでいる。部活だけじゃない。畔上のように、趣味に全力を尽くす者もいる。和乃のように学校生活を謳歌したり、夏哉のようにたくさんの人との交流を楽しんでいる人だっている。ひたすらに学業に勤しむ者もいるだろう。
そこに偽りなど入る隙もない。
類香は知らなかった。それだけのことだけど、ただそれだけで、こんなにもその姿が素敵に見えるものなのだ。
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