15話 光源


 文化祭当日は実にあっけなく訪れた。

 類香はこれまでの学校生活の中で一番積極的に学校行事に参加したと言える自信があった。和乃に付き合って、バイトのない日は練習にも参加させられた。和乃のあのきらきらとした瞳を見ると断る気も失せる。カラオケに行った時のことを思い出してしまうからだ。

 類香は新たな呪縛に肩をすくめた。そうは言っても、いつも自分で勝手に背負っているだけなのだが。それがまた情けなかった。


「瀬名」


 夏哉が自分を呼んでいる。類香は物思いにふけるのを止めて、すっかりライブ会場へと変貌を遂げた教室へと入っていった。畔上をはじめ、皆この日のために一丸となって取り組んできた。ここまで全員が前向きに手を取り合って走ってこれたのも、恐らく中心で盛り上げてくれていた和乃のおかげだ。

 それは類香も認めていた。

 やはり和乃には不思議な力がある。彼女は十分に才能を持っていると、類香は自信がなさそうに笑っている彼女のことを心の中で叱った。


「どうしたの?」


 夏哉のもとへ行くと、類香は目の前に開いてあったパソコンの画面を覗いた。そこではプロジェクションマッピングのデータを最終確認しているようだった。


「瀬名は文化祭回るんだよな?」

「うん。少しだけ」

「日比と?」

「うん」


 類香はディスプレイから目を離す。


「じゃあ公演中は暇だよな?」

「暇……だけど」


 夏哉の陽気な声に類香は嫌な予感がした。


「そしたら、日比のところにいてくれない?」


 言うと思った。

 類香は思わず口を尖らせる。


「どうしてよ?」

「その方が日比も緊張しないだろ」

「私の意見は?」


 拒否権のなさそうな物言いに、類香は夏哉を恨めしそうに見る。


「んー、聞いてやらないこともないけど……」

「どうせ聞くつもりないんでしょ」

「悪い悪い。けど、どうせやることないなら、ちょうど良い暇つぶしにならない?」


 類香は言いたい言葉が出て来ない代わりに小さくため息を吐いた。


「わかった。いいよ。暇人ですから」

「ありがとな。日比もその方が嬉しいだろ。どんなに練習したって、緊張は勝手にやって来るし。いつもと同じ方がいい」


 夏哉はうんうん、と腕を組んで頷いてから教室の入り口に目をやった。


「日比、おはよう」


 その声につられて類香は振り返る。ちょうど和乃と津埜が教室に入ってくるところだった。


「瀬名が日比のMCサポートするって」

「……は?」

「本当!?」


 類香が夏哉の言葉にぎょっとしていると、和乃は目を丸くして喜んだ。類香は、いつも自分のペースに巻き込んでいく夏哉に呆れたように目を閉じる。


「いいの? 類香ちゃん」

「…………うん」


 類香はすっかり彼女の笑顔が弱点となっていた。自分でも驚きだ。もっと彼女自身がその笑顔に自信を持っていて欲しいくらいだ。そうしたらその笑顔を少しは控えてくれるだろうか。

 類香はそんなことをぶつぶつと考えた。


「嬉しいな。私、頑張れそう!」

「そう……」

「そうだ日向くん!」


 和乃は思い出したように夏哉を見上げる。


「類香ちゃんと津埜ちゃんの発表見に行くんだけど、日向くんもどう?」

「津埜の?」


 夏哉は津埜の方を見た。津埜は夏哉と目が合うと少し恥ずかしそうに口角を上げる。


「弦楽部だよ。かっこいいよね」


 にこっと笑って和乃は津埜の肩を組んだ。


「そうだな。折角だから行こうかな」

「うん! そうしよう!」


 和乃がちらりと津埜を見れば、彼女もまた嬉しそうな表情をしている。


「頑張れよ、津埜」

「うん……!」


 夏哉の言葉に津埜は頬を緩ませてゆっくりと頷いた。

 微かに耳の上が赤くなっているのを類香は見逃さなかった。

 そこに流れる穏やかすぎる空気に少しばかりの場違い感を抱いた類香は口をぎゅっと閉じる。



 文化祭は二日間ある。今日は初日だが、例年と比べてもなかなか来客の伸び足も良かった。

 校内がいつも以上に賑やかになる中、類香は一回目の公演を終えた和乃にペットボトルのお茶を渡した。

 和乃は公演を終えて緊張が解けたのか、へらっと笑ってみせる。


「私、なりきれてたかな?」

「うん。完璧だったよ」


 類香の言葉に嘘はなかった。和乃は見事にやりきったのだ。途中から、そこにいるのは和乃ではない別の誰かなのではないかと錯覚した。

 今日、和乃の出番があるミニライブは四回公演する。公演のない間はキャラクターの出ないプロジェクションマッピングを流すことになっていた。畔上が張り切って制作したものだ。

 和乃はMC部分だけをリアルタイムで演じることになっている。お客さんに見えないところで、映像に合わせて場を盛り上げるのだ。


「次の回が終わったら、少し見て回ろう?」

「うん」

「その後、津埜ちゃんの発表ね」

「わかってるって」


 類香はまだ少し興奮している和乃を見て微かに笑った。瞳がいつにも増して爛々としている。


「そういえば、類香ちゃんのご家族とかは文化祭来るの?」

「……ううん。来たがってたけどね」


 類香は今朝の楓花のことを思い出した。仕事があるというのに、どうにかして来ようと画策していた。結局来られないようだったが、楓花は類香の学校生活が見たくてたまらないようだ。


「そうなんだ」

「和乃は?」


 お茶を一口飲んだ和乃に類香は尋ねる。


「来ないよ。恥ずかしいじゃない」


 和乃は頬を赤らめた。


「和乃も、そういうところあるんだ」

「あるよ。なんだか、そわそわしちゃうじゃない」


 ふふふ、と笑う彼女の笑顔から、家族関係が良好なのが類香にも分かった。


「中学のお友達とかは?」


 類香はきっと和乃のことだから中学校でもたくさん友達がいただろうと推測した。


「来ない。もう、高校生だしね」


 和乃は迷いなく得意げに答える。


「それ、関係あるの?」

「ある! みんな、自分の青春に夢中なの」


 くすくすと笑う和乃は目を細めて類香を見る。


「だから、私は類香ちゃんと文化祭を回るの」

「……意味わかんないけど」


 類香は思わず吹き出した。和乃のきりっとした表情が可笑しかったのだ。


「わのちゃん」


 そこへ畔上が顔を出してきた。


「ちょっと確認したいところがあるんだけど……」

「うん! いいよ! 今行くね!」


 和乃は一度身体を跳ねさせてから返事をする。気合いが入っているのだろう。


「じゃあ類香ちゃん、待っててね」

「はいはい」


 類香は手を振る和乃を見送り、置いてあった椅子に座った。今日はずっと和乃と一緒だろう。恐らく明日も。段ボールに囲まれていた去年が懐かしい。あれも悪くはなかったが、今も悪くはないだろう。

 そう思えるほどに、類香は少しくらいクラスに馴染めてきていた。

 自分のことを怖がる生徒も当然いる。しかし、互いに敵意がないことは明白だった。

 類香は隙間から見えるプロジェクションマッピングの光に目をやった。

 眩しくて、目が潰れてしまいそうなほどに温かかった。

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