第4話

「ほら、それも開けなさい」

 母親の思いがけない一言に、息子たちは戸惑いながらも、キャラメルの箱を開けた。

「いいんですか、俺も食べて」

「どうぞどうぞ。今夜は霧が深いから迷ってしまったけれど、山道はすぐそこなんでしょう? 霧が晴れさえすれば、必ず村までいけますよ」

 母親の言う通り、視界が良好であれば太陽の位置から方角は分かるし、南へ向かえば必ず山道に突き当たる。

 それを理解して、黙々と食べ始める亘とは対照的に、ひろは食べていいものか周りを窺っていた。これまで固く言いつけを守ってきたのだろう。その愚直さが愛おしかった。

「食べなさい、ね?」

 母親が優しく諭すと、ひろは生唾を飲み込んで目を輝かせる。口をめいっぱい開けて、指先ほどのキャラメルを頬張った。

 それを見守っていた三人が大笑いする。その楽し気な声に、笑われた張本人は戸惑い顔をしていたが、すぐさま高らかな笑い声を響かせて仲間に加わった。


 兄弟が毛布にくるまって寝静まった頃、瑛介は焚火に小枝をくべていた。

「ありがとうねぇ」

 隣りで横になっていた母親の声に、はっと振り向く。彼女も瑛介と同じように焚火を見つめていた。瑛介は「いえ」と軽く頭を振る。

「……あの村が故郷なんですか」

「そう。父さんと母さんと、姉さんが住んでいるの。でも私が帰って喜んでくれるかは分からないねぇ。……私は家を捨てたから」

 捨てた、という言葉に瑛介はどきりとする。

「私は姉さんを置いて嫁いだの。次女だからって言い張って、好きな人と一緒になって、実家のことは知らん振りで好き放題暮らしてきた」

 でもね、と母親は火から目を逸らす。

「夫が戦争に取られてからは、急に実家が恋しくなってね。子供らが学校に行ってる間は、寄る辺なくて本当に寂しいの。……勝手な奴でしょ?」

 瑛介は黙って聞いていた。

「私が家族を守らないと、でも本当に守れるのかって、悶々と悩んでる間に爆弾が落ちた。こんな田舎に、とは思ったけど、目の前が火の海になってたら、信じるも信じないもないのよね。……真ん中の子は亡くなった。なんとか二人は無事だったけれど、家はみんな消えた。――だから山を登ることにしたの」

 瑛介はようやく、彼らが山に来た理由を悟った。

「遅くても一日あれば越えられる山でしょう? 村にさえ着けば、家族がなんとかしてくれる、って油断して、水も食べ物もほとんど持たなかった。まさかこんなに霧が続くなんて……。罰が当たったんだねぇ。故郷は当然自分を救ってくれるもんだって、捨てた奴がのこのこ来るんだから」

 自嘲気味に言う母親を見て、瑛介の胸に、何かが沸々と込み上げてくる。

「……それでも、帰りたいんですね」

「私らだけでは生きていく自信が無いから。私は弱いの」

「俺だって弱いです」思わず口から漏れだした言葉を、繋いでみる。「……俺、兄貴がいるんです。でも大学に行くから家を出ちゃって。祖母は俺が生まれる前に亡くなったし、祖父も、もう。両親も、友達だって、こんな辺鄙な村はうんざりだって言ってます。……俺、怖いんです。みんな家を出て、村を出て、最後には誰もいなくなるんじゃないかって。自分一人だけ残るんじゃないかって」

「……村が好きなのね。誰も村に見向きもしなくなる日が怖い」

 瑛介は虚を突かれる。

(俺は、村が嫌いだから出たいんじゃなかったのか)

「覚悟があっても、独りじゃ生きられないのね。……さあ、もう寝ましょう。なんだか早く皆に会いたいわ。こんな汚い身なりじゃ歓迎されないけど」

 母親は忍び笑いを漏らす。


 瑛介は火を見つめながら、村の光景を思い描いた。もう「こんな村」とは思わなかった。自分たちは一心に、そこを目指しているのだから。

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