第38話 私が私であるために



 揺らめく紫紺の髪を束ねた蛇が殺到した。

 弾丸のように迫る蛇の頭を切り落とし、いなして前へ。

 ステップを挟んで背後から回ってきた蛇を避け、隙だらけの『嫉妬エンヴィー』の首を叩き切る――


「――もうだめだよ?」


 悪辣に歪んだ口の端。

 ギリギリと、俺の振るった刃は見えない何かに阻まれて『嫉妬エンヴィー』の首へは届いていない。


 で通らないのなら権能か。

 しかも力負けしていると来た。


 体勢を整えるために背後へ飛び、刃へ再度を纏わせながら息を吐く。


「もうそれはきかないよ」

「ご丁寧にどうも。まあ、諦めるつもりはないけどさッ!!」


 俺にできるのは真正面からの接近戦しかない。

 搦め手も遠距離戦も無理だ。

『魔王』相手に魔術なんて大した意味をなさないからだ。


 ただ、幾つか有用な手はある。


 距離を詰めつつ魔力をおこし練り上げ、タイミングを計る。

 振るう刃で蛇の数を減らし、地面を割って飛び出た鋭い木の根を避け、足場として跳び移って空へ。


 反転した世界。

 真下に『嫉妬エンヴィー』の姿を捉え、両手で刀の柄を握って空を力強く蹴りつける。

 限界を超えた強化を施した脚力で蹴った空気は圧縮され、足場とするには十分な強度になる。

 一瞬だけ鋭い痛みが走るも即座に『無限再生レナトゥス・コード』で元通りに修復され、万全の状態で肉薄した。


 運動量とを合わせた一撃を放つ寸前、強烈な光を『嫉妬エンヴィー』の目へ放つ。

 カッ! と視界が一瞬だけ白みながらも振りぬいた刃。


「――ダメか」

「まぶしい……みえないよお……」


 致命の一撃となるはずのそれは、先ほどと同じく『嫉妬エンヴィー』に届くことはない。

 だが、この試みも無駄ではなかった。

 少なくとも『嫉妬エンヴィー』を守っている透明な壁は視認していることが条件ではないのだろう。

 視界を潰せばもしかしたらと考えていたが、そこまで甘くないか。


 魔術も使い方次第。

 特に直接攻撃を加えるものでなければ使えるものは多い。


 現に、『嫉妬エンヴィー』の視界は潰れている。

 おろおろと両手を前に出しながら覚束ない様子で歩いていた。


 敵とはいえ、その容姿と相まって可哀想に思えてくる。


 ……いや、情けは無用。


 気を引き締め、今のうちに色々と試すことにする。


 方向や部位、力加減などを変えつつの連撃。

 しかしどれも通らない。

 や権能は強力だが、万能ではない。

 必ずどこかに限界がある。


「干渉力はともかく、方向も部位も違う。距離? 単純に耐久力がある類いか? 幻や分体の可能性もあるな。二度首を飛ばした時との違いは……ダメだな、条件がわからない」


 手に残る感覚を手繰り寄せて思考に耽る。

 もうじき視界が戻る頃だ。


 考えろ、焦るな、必要なピースを取り逃すな。


『――カズサ。エマもいる』


 思考の海から俺を引き上げたインカムからの冷静な声。

 戦っているのは俺一人じゃない。


「……ああ、そうだな」

『分析は任せて。そこはエマの領分。ずっと視てたから』


 エマは任務の際、千里眼で戦闘状況を観察している。

 思考速度と深度はエマの方が数段上だ。


「やっぱり視ていたんだな。どう思う」

『多分、根底から間違ってる。首が斬れても問題ないのに守る必要がない』

「……俺が斬ったのは本体じゃない?」

『わからない。情報が足りない』


 なら、無理にでも引き出そう。

 この権能を破らない限り勝機はない。


 さらに出力を増幅させ、真正面から斬りかかる。

 神速の踏み出し。

 音を置き去りに銀が横一線に薙いだ。


「こりないなあ」


 今度は刃が『嫉妬エンヴィー』の身体を透過して過ぎ去った。

 どうなってるんだよこれっ!?


 一時撤退の構えを取るも、『嫉妬エンヴィー』の首がこちらへ傾いて、


「「「「「「「にがさないよ」」」」」」」


 呟きと同時、刹那の間に七体に増えた『嫉妬エンヴィー』に取り囲まれた。

 拙い、と直感が告げるも身体が動かない。


 酷く緩慢に流れだした時間の中で、


「――ごめん」


 ついて出たのはそんな言葉で。


 嘘のような破裂音が過ぎ去って、視界が緋色に染まった。



 ■



 私はそれを見ていた。


 見ているしか出来なかった。


 学校を離れれば夢が変わると思っていた。

 外までくれば追ってこないと思っていた。


 なのに、カズサさんは来た。

 来てしまった。


 ――来てほしいと、無意識に願っていた。


 その結果がこれだ。


「……ぁ、ぁっ」


 漏れ出る嗚咽、震える身体を抱き寄せて膝をつく。


 こんなはずではなかった。

 こうならないように外まで来た。


 なのに、どうして。


「カズサ、さん……っ?」


 夢と同じ景色が広がっているんだろう。


 いいや、少しだけ違う。

 カズサさんの四肢が潰れて弾け、残された胴から上が後ろへ倒れていた。


 血の大輪が咲く夜の荒野。


 雲が月を覆って、次第に景色が暗く染まっていく。

 乾いた風がびゅうと抜けて、無造作に絹のように細く煌めく銀の髪を靡かせた。


「うそ、です。こんなの、こんなの」


 頭の中でなんで、どうしてと繰り返される言い訳にもならない言葉の数々。

 手遅れだと理解していて、それでもまだ死んでいないと信じたくて。


 ――虚ろに夜空を見上げる黒い瞳が、目に焼き付いて。


「……っ、ぃゃ……っ」


 少女のことも忘れて物言わぬ亡骸の傍に座り、膝にカズサさんの頭を乗せる。

 脚に感じる生暖かくぬめりを帯びた感触。

 開いたままの双眸を真正面から捉えつつ、頬を伝う雫が頬へと落ちた。


 軽い。

 冷たい。


 私がカズサさんと関わってしまったばかりに、こんなことになってしまった。


 何が友達だ、何が皇女だ。


 こうして大切な人を失うくらいなら――ギュッと硬く両手を握って、ふと気づく。


 大切な、人。


 ……ああ、そういうことですか。


 自然にそんな言葉が出るくらいには、カズサさんを好ましく思っていたのですね。


 だからこんなにも悲しくて、悔しくて、情けなくて。


「――もう遅い。全部、遅かったのです」


 あんな夢を見たのなら、逃げるのではなく戦うべきだった。

 カズサさんと他の事を天秤にかけて、傾いて仕舞うのが前者なのだとしたら。


 後悔も懺悔もする資格は私には無い。


 終わってしまったことだ。


 ならば――


「――誰が願わなくとも、私が私であるために。気が変わりました。私はここで、貴女を倒します」


 カズサさんの身を地に預け、立ち上がって宣言する。

 血に濡れた袖で涙の跡を拭い、震えが止まらない脚を叩いて直す。


 しかし、少女は冷たい笑みを浮かべ、


「そうなの? でも、むりだよ。おねーさん、よわいもん」

「知っています。だとしても、ここで黙っていられるほどお利口でもないので」

「そっか、そっか。じゃあ、あそぼっ!」


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