第24話 暇、ですね



 ほどなくして避難命令が解除された東京人工都市。


 突如として都市全域に出現した眷属による人的、物的被害は、事の大きさと比べれば軽微なものであった。

 市民に死傷者を出しながらも、軍の迅速な対応によって眷属は一体残らず駆逐され、表面上は平和が戻っている。


 血だらけで帰ってきた教員に関しては二人も死者が出たほか、重傷者も多数だった。

 その上、不測の事態まで発生していた。

 眷属から受けた傷が魔術では治癒できないという致命的なもの。

 途轍もなく厄介なそれはすぐに軍部へ報告され、すぐに治癒に特化したを扱う人を軍が派遣したことで事なきを得た。


 幸いなことに魔術で治癒出来ないことは極秘情報として扱われているため、レンカの耳には入っていない。


 つまりは、癒えない傷も眷属……ひいては『魔王』の権能。

 攻撃を受け流すものも含めると、かなり危険な存在だ。

 眷属すらでしか対処できないことを考えると、戦える人手も限られてしまう。


 それにしても危ないところだった。

 こんなところにを使ったのが露見する罠があるなんて誰が考えるか。


 無事に生き残っていたエマ経由で話を聞いた時には冷や汗をかいたものだ。


 眷属の突発的な襲撃から数日。

 軍からの要請もあって授業は取りやめとなり休校の判断が下されていた。

 生徒は訓練校の敷地内で待機の指示が出されている。


 そんなわけで、寮の部屋。


「――暇、ですね」

「そうだねぇ……」


 カーテンの向こう側は曇り空。

 温かいレモンのフレーバーティーを二人で飲みながらの会話とも呼べないそれ。

 テーブルの上に解きかけの問題集を広げつつ、ぼんやりとした表情のまま時間だけが過ぎていく。


 休校となってはいるが、代わりに山のような課題が出されている。

 生徒一同は課題の山を崩そうと躍起になっていることだろう。

 自主的に取り組まなければ授業が再開したときに置いて行かれ、成績が下がる要因にもなる。


 なので当然ながら提出すればいい、というものでもない。

 きっちり理解を深めながら問題を一つ一つ解いていく必要がある。


「……というかこの課題、流石に量が多すぎませんか?」

「それは同感。内容自体が難しくないことだけが救いかな。あと、二人で解けるし」

「これを一人で解くのは心が折れますよ。なんだか、皇宮での日々を思い出しますよ……」


 なにやら遠い目になるレンカ。

 皇族としての教育は、それほどまでに厳しいものだったのか。


 レンカはぐーっと背を伸ばす。

 緩い生地の部屋着に豊満な双丘のシルエットが浮かぶ。

 既に何度と肌色のそれを目撃しているにも関わらず、意識が引き寄せられてしまうのはなぜだろう。


 魅了の魔術でもかかっているのか?


 ……なんだろう、この思考。


 そろそろ俺も疲れが出始めているな。

 一度気分転換でもした方がよさそうだ。


「……ねえ。気分転換もかねて外でない?」

「外に、ですか」

「そ。生憎の曇り空だけど」


 外を指さして訊く。

 寮から出るなと言われているわけではないのだ。

 朝の日課も続いているし、同じように鍛錬に励む生徒も見かけている。


 それに、ずっと部屋に籠っていては気が滅入ってしまう。


 レンカは少し考えるように外を見やり、


「……ですね。たまにはお散歩でもしましょうか」


 ふんわりと笑んで、頷いた。


 外に出るため軍服に着替え、レンカと鏡の前に並んで髪を整える。

 艶のある、長い絹糸のような白銀の髪。

 いつみても自分の頭に繋がっているそれをくしかし、背へ流す。


「……本当にいつみても綺麗な髪ですね。ストレートもいいですが、結んだりしないのですか?」

「うーん……あんまり結び方とかわからないし、自分じゃうまくできる気がしなくて」

「でしたら私が結びましょう!」


 何故かやる気満々のレンカ。

 早くもヘアゴムを片手に髪を手ぐしていた。

 細い指先が地肌に触れるか触れないかの微妙な部分をなぞって、それがどうして心地いい。


 上機嫌のレンカを止めるのは憚られる。

 多分止めても不機嫌にはならないだろうけど、少しは落ち込むかも。


 しゅんと気がしぼみ、目じりを下げたのを悟らせないように笑顔のまま準備を進める姿は見たくない。

 特にあんなことがあった手前だ。


「えーと、どうしましょうか。シンプルですがポニーテールも似合いそうですし、編み込んでみてもいいですね」

「……まあ、わからないのでお好きにどうぞ」

「では、お言葉に甘えてっ」


 鼻歌交じりに俺の髪が弄られていく。

 長い後髪を緩く編んでみたり、両サイドで束ねてみたり。

 しきりに可愛い可愛いとささやかれるのは少々堪えるものの、自分の髪が形を変えていくのは見ていて楽しいものだ。


 そんなこんなで時間は過ぎて。


「――できましたっ」

「おお……これは?」

「ハーフアップというものですね。ボリュームを持たせるためにふんわりと結んでみました」


 満足げにレンカが解説してくれたのは、後ろの方で結んだ髪の上からさらに髪で結んだハーフアップという髪型。

 髪にねじれを加えているため、普通に結ぶよりも立体感が出ている。


 見事な出来栄えだと嘆息しつつ鏡で確認し、


「すごいね。別人みたいに見える」

「髪型は人を判別する重要な要素ですからね。気に入っていただけたなら教えましょうか?」

「うーん……自分で覚えたほうが手ごろなんだろうけどね。レンカほどうまくできる気がしないや」

「でしたら、また私が結びましょう。カズサさんの髪は質も色も綺麗で、弄っていて飽きないので」


 ほわわ、と頬を緩ませながら俺の髪の毛先を触るレンカ。

 うっとりするほど手触りがいいのだろうか。

 ちょっとばかり気になって自分でも触ってみると、癖になる柔らかく細い髪が指をさらりと流れていく。


「……魔性の髪ですね、これ。魅了の魔術でもかかっているのでしょうか。時間を忘れそうです」


 そう呟くレンカが髪を触る手を止めたのは、実に五分は先のことであった。


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