第23話 紙一重の天才
訓練校内のシェルターへ戻ると、生徒を守る教員が人数確認をしている最中だった。
軍からの正式な任務とはいえ、ここでは一介の生徒でしかない俺とレンカは人目につかないように生徒の海へと紛れ込む。
はぐれないように手を繋ぎながら、どこかにいるであろうエルナを探す。
覚えた魔力を辿ってみると、何やら生徒へお菓子を配って歩く白衣の人影が見えた。
楽しさの押し売りをするエルナへ声をかけようか迷っていると、
「――おや。カズサちゃんとレンカ様様じゃないですか。こんな時にデートですか?」
「違います」
「……はっ、まさか青か――」
「少し黙りましょうか。ほら、死ぬのは嫌でしょう?」
何かとんでもないことを言い出しそうだったエルナの首元に手刀を寸止めで放つ。
殺気を押し殺した笑みを張り付けてのお願いに、さしものエルナも頬が引き攣っていた。
というか公共の場で何を言おうとしていたのか小一時間ほど問いただして……じゃ足りないな。
こっちが怒るばかりで、エルナは目を開けたまま寝そうだし。
どうせこれも演技。
子供の悪戯にかかったと思って受け流すに限る。
だが、
「……ところで、今エルナ先生はなんと言おうとしたのですか?」
後ろからレンカが言葉の続きが何だったのかと問いかける。
すると水を得た魚のようにエルナの目に光が宿り、脱ぎ捨てた白衣をブラインドに拮抗状態を抜け出す。
気づいた時には遅く、エルナはレンカの両手を握っていた、
「それはですねえ! 青か――ふごっ、ちょっ、息が」
間違っても年頃の少女に話すべきではない内容を熱弁し始めていたエルナ。
その白衣の襟を後ろから掴んで引っ張ると、カエルが潰れたような声を漏らして助けを求める。
だが、手を差し伸べる心優しい生徒……もとい、エルナの被害者はいない。
誰もが関わらないようにと視線を逸らしつつも飛び火しないように様子だけは
日頃の行いが透けて見えるようだ。
理解の追い付いていないレンカはぱちくりと瞬きを繰り返す。
「レンカは何も気にしなくていいよ。ちょっと待ってね。頭のネジが吹き飛んだアホをどうにかするから」
「先生に向かってアホとは何ですか!! せめて紙一重の天才とかあるでしょうっ!?」
「紙一重でいいのかよ」
「じゃあ完全無欠の天才?」
「……紙一重で」
会話にすら疲れて気分が萎え、エルナの襟を掴んでいた手を放す。
「ぐみゅ」と謎の声を発して、尻を上へ突き出したまま冷たい床に突っ伏すエルナ。
いっそナメクジにでも転生したらいいと思う。
「あ、言い忘れてましたけどようやく戻ったんですね。心配しましたよ」
「その体勢で言われても説得力皆無ですけど?」
「ボクをこんな身体にしたのはカズサたんなのに!!」
「どういうことですか。あと、変な呼び名を付けないでください」
「まさか自然に……っ!? 天性のドS調教お姉さまっ!?」
本気で驚いたような表情で叫んだエルナへシェルター内の視線がほとんど集中した。
その巻き添えで俺へも被害が来るわけで。
「……勘弁してくれ」
つい、口調を崩した呟きが漏れてしまうのは見逃してほしい。
ややあって。
興奮したままのエルナから聞いた話によると、訓練校の敷地内に出現した眷属はチセさんをはじめとする戦闘に秀でた教員が相手をしているらしい。
帰ってきていないということは、まだ戦闘が続いているのだろう。
時折響いてくる振動と鮮烈な魔力の波が報せてくれる。
ほかにも数名、行方が知れない生徒もいるらしく、担任の教員と思しき人たちがせわしなくシェルターを駆けまわっていた。
それにしても、だ。
「まさか都市の中に眷属が現れるとは思いませんでしたねー。ドッキリかと疑ったくらいですよ」
「避難訓練といわれた方が説得力がありますよね」
「実際は本当に眷属が暴れまわっているんだけど」
俺とレンカはエルナからの事情聴取……もとい、雑談のようなそれで、異常事態の情報を整理していく。
森で戦った人型の眷属……あれは奇妙の一言に尽きる。
何の予兆もなく都市内部に入り込んだ手口。
俺の魔術すら無傷で流した権能。
戦闘中に感じた知性の片鱗。
絶対に碌でもないナニカに目を付けられている。
『魔王』は異常で、異質で、人間の尺度で測れる存在でないとわかっていても。
「まあでも、なにはともあれ二人が無事でよかったですよ。カズサちゃんなんて、皇女様が一人で残ったって聞いたら森に直行しましたからね」
「大好きなんです?」とニヤニヤして聞いてくるエルナを訝しむように睨む。
……どうしてそれをエルナが知っている?
あの時、俺は誰にも告げず、気配も『魔王』へ奇襲をかけるときと同じくらい完全に消していたはず。
視線も感じなかった。
やはりわからないが……エルナは何か隠していることを言う気はないらしい。
後でそれとなく探ってみるかと心の片隅に書留める。
「……そうだったのですか。今思えば勝手な判断だったと言わざるを得ません。罰なら如何様にも」
「まさか! 結果的にボクの仕事が減ったので万々歳ですよ?」
「仮にも教員ですよね……?」
満面の笑みのエルナ。
殴り倒したい衝動をどうにか抑えて、硬く拳を握るだけに努める。
「まー、勝手な判断というのはその通りですけど。第一、どうしてボクが罰を与えるなんて面倒なことを仕事以外でしなきゃならないんですかめんどくさい」
大きな欠伸をしながらエルナは腕を上へ上げて背を伸ばす。
こいつ、一応訓練校の教員だよな。
仕事……だよな?
……考えるのはやめよう。
エルナのために時間を費やしている事実に腹が立ってくる。
そんなこんなで実に一時間ほど経過した頃。
シェルターへ近づいてくる数個の気配。
「――おや。戻ってきたみたいですね」
ふと、エルナが顔を上げて呟いたかと思えば。
閉ざされていた鋼鉄の扉が開いて――
「……ありゃりゃ。随分手酷くやられたみたいですね」
帰ってきた数名の職員のほとんどが、全身を赤く染めた満身創痍で帰還した。
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