第二十三話 勝負

 野営地まで戻ってきたタクトは焚き火を消し、素早く荷物をまとめる。せっかく狩った鹿は惜しいが、今は逃げることを最優先にするべきだ。荷物をまとめ終える頃になって、茂みからアルシェリードが飛び出して来る。タクトは目で合図を出し、街道をクランハイト公爵領に向けて一目散に駆け出した。


「アルシェ、疲れてないか?」

「ボクは大丈夫です。それよりも、リンさんを抱えているタクト様の方が……」

「荷物持ちには慣れてる。問題ない」


 実際タクトの腕力なら、人一人抱えて走るくらいは別に難しいことではない。問題は、どこまで逃げればいいのかである。


 気配から察するに追っ手の数は一○人前後。リンに配慮しているからか攻撃はして来ないが、それでもしっかりと後を追いかけてきている。リンを抱えているとは言え、タクトの速さにしっかりとついて来ているのだから、相当な身体能力だ。


「いっそ魔法で蹴散らすか?」


 考えてから首を横に振る。どんな魔法を使うにせよ、あまり危害を加えてしまう訳にも行かない。被害を受ければ、相手はますますその気になって自分達を追い回すだろう。それでは本末転倒だ。


 一人も殺さずにこの場を納める方法。それはやはり逃げ切るしかないのだろうか。しかし、一体どこまで逃げれば彼等は諦めてくれるのだろう。山を越えたら。はたまたその先の川を越えたら。頭の中に地図を思い浮かべながら、タクトは走る。


 どのくらい走り続けただろう。日が昇り始める頃になっても、彼らの追跡は止まなかった。


「いい加減しつこいぞ。あいつ等」


 いくら身体能力が高いとは言え、長時間走り続ければ疲れもする。隣を見れば、アルシェリードもかなり疲れている様子だった。それもそうだろう。丸一日の移動の後、更に一晩寝ずに走り続けているのだから。


 タクトは選択を迫られる。このまま逃げるか、それとも逃げるのをやめて戦うか。逃げるにしても体力には限りがあるし、戦うにしても方法は限られる。どちらを選んでも上手く行くイメージが湧かない。 


 と、アルシェリードが足をもつれさせて転んでしまう。体力が限界を迎えていたのだ。


「アルシェ!?」


 咄嗟に立ち止まり、アルシェリードの元に駆けつける。見た所、大きな怪我はしていないようだが、このまま走り続ける事は出来ないだろう。


「すみません、タクト様。ご迷惑を……」

「こっちこそ、無理させ過ぎた。立てるか?」

「はい」


 アルシェリードが立ち上がる頃には、すっかり周囲を囲まれてしまっていた。あれだけ走った後だというのに、彼等は息一つ乱していない。とてつもない瞬発力と持久力である。


「ムサイの嫁。返してもらおう」


 ムサイというのはあの少年のことだろうか。タクトは呼吸を整えつつ、言い返す。


「誰が嫁だ。勝手に決めやがって。お前等がやったのは立派な人攫いだぞ? お前等の中でどういう扱いかはわからないが、立派な犯罪行為だ」

「その女は誰とも婚姻していないのであろう? 何故渡さない?」

「この人が俺の師匠だからだ」

「ならばお前も我等の村に住めばいい。そうすればその女がムサイと婚姻を結んでも師事する事は出来る」

「冗談。どこの誰とも知らない奴に、大事な師匠をやれるかよ」

「ならばどうすれば納得するのだ?」


 それはこちらが聞きたい所だ。どうすればリンを諦めてくれるのか。どうすれば穏便に事を済ませられるのか。話し合うにしても、圧倒的に情報が足りないのだ。こうして言葉は通じるのに、話が通じないのだから尚更性質たちが悪い。これならば、言葉が通じない方がまだマシである。


「とにかく、師匠は絶対に渡さない。絶対にだ」


 男がため息を吐いた所で、あの少年が追いついて来た。少年の方は若干息を切らせている。まだ大人達ほどの体力はないようだ。


「ならばお前、ムサイと勝負をしろ。勝った方がその女を自由に出来るというのはどうだ?」

「それに勝てば大人しく引いてくれるのか?」

「女は強い男のものだ。ムサイが負けたのならば、我々も引こう」


 女性をもの扱いするのには賛同しかねるが、勝負で決着が付くのならシンプルでいい。タクトはその勝負を受けることにした。


 勝負のルールはいたって単純。お互い武器なしで、相手に参ったと言わせれば勝ち。殺しさえしなければ何をやってもいいと言う。思いの外真っ当なルールだ。


 アルシェリードにリンを託し、タクトはムサイと呼ばれる少年と相対する。ムサイの方はリンを奪い返されて怒り心頭と言った具合だ。しかし、ここで負ける訳には行かない。何せリンの貞操がかかっているのだから。


「始め!」


 男の合図で戦闘が始まる。まず動いたのはムサイの方だった。ムサイは瞬発力に物を言わせ、タクトの懐に素早く潜り込む。こうなれば、タクトは受けるか引くかの二択だ。タクトは受ける方を選び、ガードを固める。ムサイの鋭い拳が、タクトの腕を叩いた。思っていたよりいい一撃だ。ノーガードであれば、それなりのダメージになっていただろう。


「結構いいパンチ持ってる、な!」


 タクトは素早いジャブをムサイの顔面に叩き込んだ。顔面への攻撃は恐怖を呷るには最適である。これで決まってくれれば楽なのだが、ムサイはその一撃を耐えて見せた。年下にしてはなかなかいい根性を持っている。


 リーチの長さを生かして戦おうとするタクトと、懐に飛び込もうと必死のムサイ。戦いはリーチで勝るタクト優勢のまま終わるかと思われた。しかし。


 痺れを切らしたムサイが、地面の土を蹴り上げる。それはちょうどタクトの顔付近に直撃し、タクトの一瞬だが視界を奪った。


 ここぞとばかりにムサイがタクトの股間を蹴り上げようとする。男であれば誰しもが持つ急所。ムサイは迷わずそれを狙ったのだ。


 だが、タクトはそれを読んでいた。殺さなければ何でもありと言う時点で、こうなることを予測していたのである。タクトは振り上がって来るムサイの足を掴み、無防備になったもう片足の膝に蹴りを入れ転ばせると、掴んでいた方の足を思い切り捻り上げた。


「痛てててて!」


 悲鳴を上げるムサイ。それでもタクトは放さない。この勝負はどちらかが負けを認めるまで決まらないのだ。ならばムサイが降参するまで続けるしかない。


「早く降参しないと折れるぞ?」

「降参なんてしない! オレは嫁が欲しいんだ!」

「そうかよ。それじゃあしばらくは寝たきり生活だな」


 タクトは躊躇わずにムサイの足を折った。ムサイはあまりの痛みに声すら出ないようで、無言の悲鳴を上げている。


「おい、おっさん。もういいだろ。これ以上は時間の無駄だ」


 勝負を持ちかけてきた男はそれでも首を横に振った。


「まだだ。まだムサイは降参していない」


 見ると、ムサイは立ち上がろうとしている。大人しく負けを認めれば、すぐにでも魔法で折れた足を直してやろうと思っていたが、これはなかなか強情な少年のようだ。


「……弱いものいじめは嫌いなんだけどな~」


 ここまでやって心が折れないとなると、途端に打てる手が少なくなる。相手は力に屈するタイプではない。とするなら、別の隙を狙わなければならないと言う事だ。


「出来れば使いたくなかったけど……」


 物理的な苦痛で負けを認めないのなら、精神的な苦痛で負けを認めてもらうことにしよう。タクトは精神干渉系の魔法を使うことにした。これもスティンバラで憶えた魔法の一つだ。


「ペイン」


 ムサイの額を指差し、唱える。するとムサイの顔色が急に悪くなり、ガタガタと震え始めた。


 ペインという魔法は、文字通り痛みを与えるものである。その者が持つあらゆる痛みの概念を増幅し追体験させることで精神にダメージを与える魔法。いかにも邪悪なイメージなので出来れば使いたくはなかったが、精神の強い者にほど効果を発揮する魔法なので、この場合に関しては丁度いいのである。


 どんなイメージを見ているかは人それぞれだが、ペインを受けてまともな精神状態でいられるのは特別な加護を持っている者だけ。ムサイもその例に漏れず、ついに降参を宣言した。


「わかった、オレの負けだ! だから助けてくれ!」


 タクトはすぐにペインを解く。相当精神を消耗したのか、ムサイはその場にばたりと倒れた。


「足折られた時点で負けを認めてれば、こんな目に遭わずに済んだのに」


 倒れたムサイに歩み寄り、癒しの魔法で折れた足を直すタクト。


「これで俺の勝ちは決まっただろ? さっさとこいつを連れて、村に帰ってくれ」


 勝負を持ちかけてきた男もこれには頷くしかなかったようで、ムサイを抱えると、仲間達と共に引き上げていった。


「やりましたね、タクト様」

「何だか俺の方が悪役みたいな感じになっちまったけどな」

「それでも、勝ちは勝ちです。これでリンさんが狙われる心配もなくなりました」


 スヤスヤと寝息を立てているリンの顔を覗きこむ。こんな騒動になっていたと言うのに、当の本人は暢気なものだ。


「とりあえず、疲れた。少し休もう」

「ですね。あ、ボク、焚き木を探してきます」

「いいのか? お前も疲れてるだろ?」

「いいんですよ。ボクにはこれくらいしか出来ませんから」


 そう言って、アルシェリードは森の中に入っていった。残されたタクトは大きくため息を吐きつつ、地図を広げる。一晩中追いかけられた事もあって、だいぶクランハイト領に近づくことはできた。このペースならば後一日もあればクランハイト領に到着するだろう。


「頼むからまた二日酔い何て事にはならないでくれよ?」


 タクトはリンの頬をつつく。謎の部族が作った酒を飲んでいたので、どんな状態になるのか想像もつかない。見た限り妙な薬は盛られていないようだが、こればかりはリンが目を覚ましてみないと何とも言えないのである。


 この時のタクトは思ってもいなかった。リンとの別離の時が間近に迫っていたという事を。

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