第二十二話 攫われたリン

 少年を追って茂みに飛び込んだのはいいが、なかなか距離が縮まらない。リンを抱えていると言うのに大したスピードだ。あの少年も何らかの加護を持っていると見て間違いない。


「くっそ、何でこう次から次に厄介なのが現れるんだ」


 クランハイト公爵に続き、今度はどこぞの部族の少年。それだけリンが美しい女性であると言う証明だが、彼女を想うタクトからすればたまったものではない。


 ふと、タクトの感覚が複数の新たな気配を捉える。次いで向けられる敵意。そして次の瞬間、タクトの頬を何かが掠めた。咄嗟に判断する。これは攻撃だ。


 タクトは腰の短剣を抜き、飛来する何かを打ち落とす。見るとそれは石の矢尻のついた矢であった。次々に飛んで来る矢をタクトは順番に打ち落としていく。この暗がりの中でこの命中精度は大したものだ。的確にタクトを射貫かんと放たれている。


「あの少年の仲間か!?」


 弓矢で足止めされている間に、少年との距離はどんどんと開いていった。このままでは気配で探知できる距離を越えてしまう。


「くっそ、邪魔するな!」


 タクトは矢の飛んで来る方向に風の魔法を放った。複数の悲鳴が聞こえ、弓による攻撃が止む。殺してはいないだろうが、それ故にあまり猶予もない。タクトはすぐさま少年の気配を探る。しかし、少年の気配は既になく、冷たい風が頬を撫でるだけだった。


「そんな……」


 その場に膝をつくタクト。いくら二日酔いだったとは言え、こうもあっさりリンを攫われるとは思っていなかったのだ。


「タクト様!」


 後を追ってきたアルシェリードが、タクトの横に立つ。


「俺のせいだ。俺があんな状態の師匠を一人にしたから……」

「そんな、タクト様のせいではありません! あんな事になるなど誰にも想像なんて」

「それでも! 師匠が攫われちまったのは事実だ!」


 タクトは地面を殴った。アルシェリードは慌ててそれを止める。


「タクト様が自分を傷つけてもリンさんは戻りません!」

「じゃあどうしろって言うんだ! このままじゃ師匠が!」


 パンと乾いた音が周囲に響いた。アルシェリードがタクトの頬を叩いたのだ。


「冷静になってください! まだあの少年の仲間と思しき人物の気配が近くにあります! まだやりようはいくらでもあるはずです!」


 叩かれた側の頬を押さえながら、タクトはアルシェリードを見上げる。


「アルシェ……」

「それにあのリンさんですよ? ただ黙って捕まってる、何て事はないでしょう?」


 言われてみれば、リンは意識を失っていた訳ではない。何か痕跡の一つも残していそうなものである。


「すまないアルシェ。助かった」

「いいえ、ボクの全てはタクト様のためにあるのですから」


 そうと決まれば早速行動だ。リン奪還に向けて策を練らなければならない。


「まずはアルシェ。荷物から縄を持ってきてくれ。どこの誰かはわからないけど人攫いには違いない」

「わかりました」


 アルシェリードが持ってきた縄で倒れていた少年の仲間達を縛り上げ、逃げられないよう木に括りつける。もちろん武器になりそうなものは全て没収だ。靴などにも仕込みナイフがないかをしっかりと確認して、回収した武器は少し離れた所にまとめて放っておく。一応少年の行き先を聞いてみたが、答えてくれる訳もない。仕方なくリンが残しているであろう痕跡を探すことにする。


「あった! ありましたよ! タクト様!」


 それはパッと見では気付きそうもないほど僅かな痕跡だった。一部だけ僅かに湿った土。恐らく担がれたリンが水の魔法で作り出した水を少しずつ垂らして行ったのだろう。


「でかした、アルシェ!」


 思い切りアルシェリードの頭を撫でてから、その湿った土の跡を辿っていく。二○分ほど移動すると、突如視界が開けた。そこにあったのは小さな集落。およそ文明とは程遠い、未開の地の住人が作ったと言わんばかりの集落であった。


「こんな所に集落があったのか。一応見張り台はあるみたいだけど」


 集落の中央に建てられたやぐらには見張りと思しき人物がいる。一応火を扱うだけの文化はあるらしく、集落の周囲には何本ものかがり火が焚かれていた。下手に近づくと騒ぎになる事は明らかだ。


 木の枝や葉で作られた簡素な建物は全部で六つ。そのどれかにリンが捕らえられているのだろう。少年の言葉から察するに、リンが危害を加えられる可能性は低いと予想されるが、嫁という単語が出た以上、それに類する行為は行われるかも知れない。それだけは何とか避けたい所だ。


「俺達二人なら制圧するだけなら何とかなりそうだけど、一人も殺さないとなると……」


 リンを攫った犯人とは言え相手は人間である。殺してしまう訳にはいかない。どうにかして穏便にリンを取り戻したい所だが、なかなか良い案は思いつかなかった。


「ボクが見張りを何とかします。タクト様はその隙にリンさんを探してください」

「何んとかって、どうするつもりだよ」

「ボクがわざと見つかって、注意を引くんです。そうすれば、集落の戦力はみんなこちらに向くでしょう?」

「それだとアルシェばっかりに負担が」

「タクト様、今一番大切な事は何ですか?」

「……師匠を助ける事」

「そういう事です」


 言うなり、アルシェリードは大声を上げながら茂みから飛び出して行く。もちろんすぐに見張りに見つかり、建物から武器を持った男達が続々と現れた。


「ごめんアルシェ。少しだけ耐えてくれ」


 タクトは少し遅れて、茂みから出る。その頃にはアルシェリードは男達を引き連れて、集落の外へと消えていた。


 物陰に隠れながら、集落へと侵入するタクト。少年の話では村には女が少ないとの事だが、全くいないという事はないだろう。出くわしたら一騒ぎになって、男達が帰って来てしまうかも知れない。


 粗末な建物の壁に耳をつけ、中の様子を探る。数人の気配があるがどれも小さく、リンのものとは違う。タクトは素早く別の建物に近づき再び中を探った。


 三つ目の建物まで来た時、タクトの感覚にリンの気配が引っかかる。どうやらリンはこの建物の中にいるようだ。しかし、気配はひとつではない。ここにもまた複数人の気配がある。一つはあの少年の気配。もういくつかの気配は大きさ的に子どもではない。タクトは踏み込むか迷った。気配だけでは相手が武装しているかまではわからない。少なくとも、侵入者がいたということで周囲を警戒しているだろう。そんな中に飛び込めば、リンに危害が及ばないとも限らない。


「ええ~い。迷ってても仕方ない!」


 タクトは覚悟を決め、入り口から建物の中に侵入した。


「全員動くな! ちょっとでも動いたらこの建物を爆破……って師匠!?」


 思っていたのと異なる状況に、タクトの思考がフリーズする。攫われたはずのリンは何やら妙な被り物を付けさせられ、何やら飲み物を振舞われていたのだ。


「どういう状況だよ、これ……」


 そこにいたのは先ほどの少年と、甲斐甲斐しくリンの世話をする女性が数人。少年の方も何やら着飾っており、何かの儀式に向けた準備のように見えなくもない。


「いやな、この人達の作る酒がこれまた美味くて」

「って、また飲んでるのかよ!?」


 先ほどまで二日酔いで動けずにいた人間とは思えなかった。タクトは頭を押さえながら、リンに被せられた被り物を取り払う。


「おい、お前。邪魔をするな。婚礼の儀式の最中だぞ」


 少年が文句を言うが、それに付き合ってやる道理はない。タクトはキャンドルファイアで脅しをかける。


「あんまり俺を怒らせるなよ? 俺の手にかかれば、こんな家、簡単に燃やしちまえるんだぜ?」

「オレはこの村の次期族長だ! そんな脅しには屈しない! 嫁も渡さない!」

「いいや、師匠は返してもらう!」


 タクトはリンを抱え上げ、腰のポーチから煙幕玉を取り出し、床に叩きつけた。モクモクと上がった煙が周囲を包み、視界が利かなくなった頃を見計らってタクトは建物の外に出る。すると、騒ぎを聞きつけてやってきたのか、この村の者と思われる女性と出くわした。武器のつもりなのか、手には石でできた斧を持っている。


「悪いな。その程度じゃ俺の身体からだには傷一つ付けられないぜ」


 タクトはその場で高く跳躍した。その跳躍の高さに女性は驚き、しりもちをついているが、タクトが本気を出せばこんなものである。指笛でアルシェリードに合図を送り、タクトは一目散に元の野営地に向かって駆け出した。

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