第十二話 少女

 リンは早々に仕事を見つけ、朝から勇んで出かけて行った。何でも食事処の給仕の仕事らしく、賄いも出るとの事。収入は魔獣退治なんかに比べれば遥かに安いが、確実に稼ぐという点で見れば、これ以上の職はない。リンのことだから、男客にさぞ人気が出るだろう。


 対するタクトは未だ職探し中。朝から一○件ほど回ったが全て断られ、広場のベンチで一休みしている所だった。


「案外ないもんだな。仕事って」


 これだけ大きな町なのだから職等いくらでもあると思っていたが、子どもが就ける職というのは思ったよりも存在しないようだ。これはいよいよどぶさらいに手を出すしかないかと考えていた所で、一人の少女が視界に入った。


 フードを目深に被っているから顔はよく見えないが、背格好から同年代くらいの少女であることがわかる。この町にしてはずいぶん粗末な格好をしているが、孤児の類だろうか。


 何となく視線で追っていると、少女は露店のパン屋の前に立った。そしてパン屋の店員が他の客の応対をしているタイミングで、パンを数個手に掴み、一目散に走り出す。窃盗だ。


 パン屋の店員がすぐに気付き後を追おうとするが、少女の足は異常に速かった。あっという間に人ごみに紛れ、見えなくなってしまう。 


「……まぁ見ちまったからには、そのままって訳には行かないよな~」


 タクトは立ち上がり、少女の後を追った。




 少女が向かったのは町の外周部の一画。そこは中心街とは打って変わり、随分寂れた様子だった。俗に言うスラムというやつである。そこにいる住人はみなやせ細り、いかにもその日食う食事にも困っているといった感じだ。


「まぁ、こういう人達も当然いるわな」


 みなが等しく裕福な国など存在しない。裕福な家庭があれば、必ず貧困に喘ぐ家庭がある。この場所は光と闇で言う闇の部分。国に見捨てられ、それでも必死に生き抜こうとしている人々の集まる場所だった。


「さて、さっきの女の子は……」


 タクトは気配を探る。リン並みにすばしっこい少女だ。気配も独特で探すのは容易である。タクトはすぐに少女の気配を探り出し、その方向へと足を向けた。


 しばらく行くと、木製の古い教会のような場所に辿り着く。どうやら探している少女はこの中にいるようだ。


「さてと、行きますか」


 傾いているドアを開け、中に入る。狭い室内には他に部屋はなく、目的の少女はすぐに発見することが出来た。


「お食事中の所悪いな。ちょっと失礼するよ」

「……誰?」


 少女の鋭い瞳がタクトを捉える。それでもタクトは臆することなく名乗って見せた。


「俺はタクト=ノーヴェンス。師匠と一緒に世界中を旅してる何でも屋だ」

「その何でも屋が、ボクに何の用?」

「そのパン、盗んだだろ? だから捕まえればパン屋の店主からお礼が貰えるかと思って」


 嘘だ。タクトには彼女を捕縛しようという意思はない。むしろ彼女の境遇に思う所があった。出来る事なら、彼女をこの状況から救い出してやりたかったのだ。


 そんなタクトの心情を知らない少女がタクトに言う。


「同じ魔族が、魔族を売るの? 随分人間社会に馴染んでいるようだね?」

「魔族? 何のことだ」

「しらばっくれなくていい。君からは同じにおいがする。君も魔族なんだろ?」


 そう言って少女はフードを取った。その額には二本の角が生えている。よくよく見れば、彼女の犬歯は異常に発達していた。これは人間ではありえないことだ。


「戦争に負けて以降。魔族のほとんどは魔大陸にこもって出て来ていない。けどボクみたいに人間社会に紛れて生きている魔族も少ないながらいるんだよ。君もそうなんだろ?」

「何を言ってるんだ。俺は人間」

「嘘だね。どうやら角は上手く隠せてるみたいだけど、感情が高ぶったりすると出て来るんじゃないかい?」


 タクトは驚きを隠せなかった。タクト以外ではリンしか知らない彼の秘密。それを見ず知らずの少女が言い当てて見せたのだ。


 確かにタクトは感情が高ぶると側頭部から二本の角が生えてくる。だからこそ普段から冷静でいるようにとリンから厳しく言いつけられていた。絶対に他人に知られてはならない秘密だ。


「その様子だと、どうやら自分が魔族だって知らされていないみたいだね。育ての親は人間かい? よくその歳まで育ててもらえたね?」


 リンは秘密の多い女性だ。自分のことも碌に話さないし、タクトの親のことも知らないという。しかしそれでも、人間と魔族との戦争を知っているであろうリンが、タクトの角を見て何も思わない訳はないはずだ。だとすれば、リンは何のためにそれを隠していたのか。タクトは急に不安に駆られた。


「俺が、魔族?」

「そうだよ。君は魔族だ。人間に敗北し、惨めに生きるしかなくなった、ね?」


 少女はタクトに手を伸ばす。


「君とボクは仲間だよ? そんなボクを、君は人間に売ろうって言うのかい?」

「いや、俺はそんなつもりじゃ……」


 タクトの思考は乱れ、感情が定まらない。こんなのは初めてだ。これまでに経験したことのないほどの強い動揺。それはタクトの角を現すには充分な感情の動きであった。


 しかし、タクトの頭から生えたそれを見て驚いたのは少女の方だ。ありえないものを見たという風に少女はその場から後退する。


「まさか……。そんな……。君は……」


 少女は持っていたパンを取り落とし、その場にしりもちをついた。そして急に態度を変え、タクトの前に平伏する。


「君は……いや、あなたは……」


 状況が飲み込めないタクトは目をぱちくりさせる。そのせいで感情が静まったからか、角はすぐに消えて見えなくなった。


「どうした?」

「い、いえ、何でもありません! 全てあなたのおっしゃる通りにします! パンを盗んだことがお気に召さないようであれば、この命で償います!」

「い、いや。そこまではしなくていいけど」

「何と慈悲深いお言葉! このアルシェリード、感服の極みでございます」


 少女――アルシェリードは、必死に額を床にこすり付けている。何が彼女をここまでさせるのだろう。角を見られてしまったのはよくなかったが、これはこれで想定外の反応だ。


「と、とりあえず顔を上げてくれ、何だか落ち着かない」

「お望みとあれば」


 アルシェリードが顔を上げる。よく見てみれば、顔立ちは整っており、ちゃんとした格好をさせればそれなりの美少女になりそうだ。胸はリンには遠く及ばないが、まだ成長途中である。今後育つこともあるかも知れない。


「アルシェリード、だっけ? とりあえずパン屋に謝りに行こう。パンの代金は俺が払うから」

「そんな! あなたに金銭を支払わせるなど!」

「だってお前、金持ってないだろ?」

「そ、それはそうですが……」


 アルシェリードはしょぼんと小さくなっている。何だかいたたまれなくなって、タクトは彼女の手を取って立ち上がらせた。


「何をそんなに畏まってるのかはよくわからないけど、俺の前では普通にしてていいぞ? 俺はまだまだ半人前だし」


 アルシェリードのフードを掴み、彼女の頭に被せてやる。


「とりあえずその角は隠しておいた方がいいだろ。見つかったら何されるかわからないからな」


 一五年経っているとは言え、かつて戦争した相手だ。そう簡単に嫌悪感は拭えないだろう。それにこうして隠れて生きているのだから、隠れる必要があるということだ。それがわからないほど、タクトもバカではない。


「ほら、行くぞ」


 タクトはアルシェリードの手を引いて、町の中央を目指した。アルシェリードは困惑気味だったが、それを気にしていては前に進めない。手を繋いだまま、二人は先のパン屋へと行き、深々と頭を下げた。とりあえず料金を支払い、アルシェリードにもう盗みはしないと約束させ、事態は収束する。


「本当に申し訳ございません。代金はこの命に代えても、必ずお返しいたしますので……」

「言うことが一々大げさなんだよ」


 と、ここに来てタクトは重要な事を思い出した。


「あ、そういや仕事探してる最中だった」

「……仕事、ですか?」


 アルシェリードに状況を説明する。自分が旅をしていること。その資金をこの町で稼ぐ必要があること。そしてなかなか仕事が見つからないこと。一通り話すと、アルシェリードは感心したように目を丸くした。


「そんな生き方があるんですね」

「そりゃ、生きるのには金が必要で、それを得るためには働かないといけないからな」


 タクトにとっては当たり前のことだが、盗みを働いてその日の糧を得るような生き方しか知らないアルシェリードにしてみれば、まさに未知の世界なのだろう。


「でも選べる仕事には限りがある。もうちょい回ってダメだったら、どぶさらいするしかないな」


 臭い、汚い、給料が安いの三拍子揃った最底辺の仕事だが、ないよりはマシである。


「あの、それボクも一緒にやっていいですか?」


 アルシェリードがそんな事を言い出した。


「どぶさらいのことか? 正直女の子に薦められる仕事じゃないぞ?」

「でも、それをやればお金を貰えるんですよね?」


 妙にやる気である。タクトはため息を吐いてから、アルシェリードの頭に手を乗せた。


「あくまでそれは最終手段だ。他にいい仕事があれば、それに越したことはないからな」


 夕方まで仕事を探し回ったが結局仕事は見つからず、この日は宿に帰ることにしたタクト。アルシェリードを連れて来てしまったが、リンは何と言うだろうか。


「本当にいいんですか? ボクが一緒にいて」

「大丈夫だろ、たぶん」


 この時、タクトは予想もしていなかった。リンがあのような反応をするなど、思ってもみなかったのだ。

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