第十三話 家出

 アルシェリードを部屋に連れて行くと、リンは大層驚いた顔をしてから、何やらぷりぷりと怒り始めた。


「あのな~、タクト。お前もそういうことに興味があるのはわかるが、だからって師匠と一緒の部屋に女を連れ込むか~、普通」

「何怒ってんだよ」

「怒ってない。呆れてるだけだ」

「怒ってるじゃんか。いつもの貧乏揺すりが出てるぞ?」


 リンは怒っている時、大抵貧乏揺すりをするのだ。それを指摘されたリンは無理やり膝を止める。


「と、とにかくだ。お前にはまだそういうのは早い!」

「そういうのって、どういうのだよ」

「そりゃ、お前。あれだ。男と女のナニだよ」

「何言ってんだ、師匠」


 勘違いしているリンに、アルシェリードとの一件を話して聞かせた。アルシェリードが魔族であるという事を知ると、リンの表情が一気にけわしくなる。それもそうだろう。魔族との戦争の経験があるリンからすれば、魔族に嫌悪感を抱くのは当然の事だ。しかし、そうなるとわからない点が出てくる。何故、魔族であるタクトを育てたのか、ということだ。それも、タクトが魔族であるということを本人に隠してまで。


「何で俺が魔族だって黙ってたんだよ」

「……それは」


 リンはしばらく言いよどんでから、搾り出すように答えた。


「お前が魔族だって周囲にばれたらまずかったからだ。知ってるだろ? 戦争が終わったとは言え、魔族に対する風当たりは強い。お前が魔族だと知られれば確実に処刑の対象になる」


 敵を欺くならまず味方からというやつだろう。幼い頃のタクトが何の拍子に他者にその事を漏らしてしまうかわからなかったから、真実を隠していたという訳だ。


「何でわざわざ俺を育てるような真似をしたんだよ。魔族を育ててるなんて知られたら、師匠の立場だって危うくなるだろうに」

「……殺せなかったんだ」


 呟くようなリンの声。それでも静かな室内では、それで充分だった。


「戦場でお前を見かけた時、殺すべきだと思った。魔族は根絶やしにするべきだって、そう思ったんだ。けど出来なかった。生まれたばかりの小さな命を奪うなんて間違ってる。私はそんな事がしたくて戦場に赴いたんじゃない。だから私は戦場を離れ、一人でお前を育てることにしたんだ。お前が一人前になったら、全部話すつもりだった」

「……俺の両親がどうなったかは知ってるのか?」

「お前の父親は私が殺した。母親はわからない」


 つまり、タクトはずっと父親を殺した相手の下で生きていたということだ。それは少なからずタクトにショックを与えた。


 タクトは両の拳をギュッと握る。目の前にいる師は父親のかたき。その事実を受け止めるにはタクトの精神はまだ幼過ぎた。


「そんな大事なこと、ずっと黙ってたのかよ!」


 タクトの怒声が、部屋に響く。リンはただ黙ってそれを受け止めていた。


「一人前になったら話そうと思ってたって、話したらどうなるか考えなかったのかよ!」


 リンがタクトを一人前だとするのがいつなのかはわからない。それでも、一人前だと認める頃にはタクトの実力はリンに匹敵するほどになっているはずだ。そんな状態で今の話をされたら、最悪そのまま戦闘になってもおかしくない。


「タクト、私は」

「聞きたくない!」


 タクトはそのまま部屋を飛び出してしまう。リンがタクトに向かって伸ばしかけた右手は空しく空を切るだけだった。




 どこをどう走ったのかわからない。しかし、辿り着いたのはアルシェリードのいた教会だった。昼間アルシェリードが落としたパンがそのままになっている。


「……魔族の癖に行き着くのが教会って、変な感じだな」


 ふと見上げれば、朽ちかけた木像がタクトを見下ろしていた。神を模した木像だ。タクトはそれを殴り壊そうとして、やめた。


「これじゃあ、ただの八つ当たりだ」


 その場に座り込み、頭を抱える。どうしていいかわからなかった。今まで親のように思っていた人が、実は父親の仇だったのだ。しかも自分は魔族で、リンは人間。その両者の間には大きな溝がある。


「タクト様」


 すぐ後ろからアルシェリードの声がした。


「何だよ、タクト様って」

「あなたはボクより高位の魔族ですから。様付けで呼ぶのは当たり前ですよ」

「魔族にもそういう階級制度があるのか?」

「はい。と言ってもボクだって本当は結構高い位なんですよ? タクト様が抜きん出ているだけで」


 流石に魔族に関する事はリンからも然程詳しくは聞いていない。そういう意味では、アルシェリードは魔族の事を聞くにはもってこいの相手だった。


「もっと魔族の事を教えてくれよ」

「それは構いませんが、ボクも戦争当時の事は知りませんよ?」

「それでいい。今は誰か仲間と話していたい気分なんだ」


 自分は魔族であり、人間の仲間ではない。声には出してみたものの、全く実感は湧かなかった。


「……師匠、今頃何してるかな」

「気になるなら戻ればいいのでは?」

「それはダメだ。何て言うか、こう、ダメだ」


 上手く理由が言葉に出来ない。だが本当はわかっていた。リンは親の仇だが、同時にここまで育ててくれた親でもある。これまで一緒に過ごしてきた一五年間は、タクトにとって確かに大切なものだったのだ。


「すいません。こういう時どうすればいいか、ボクにはわからなくて……」

「アルシェリードが謝る必要はないって」

「ボクの事はアルシェでいいですよ。長いでしょ? アルシェリードって」


 アルシェリードが眉を八の字にしながらも笑う。こういう所は人間の女の子と何ら変わりない。魔族とは言っても、一つの知性を持った命であることに変わりはないのだ。


「……アルシェ。明日は一緒に仕事をしよう」

「はい。ボクが一緒でよろしければ」


 この先どうするにせよ、生きていくためには当面の金が必要である。この際だからどぶさらいでも何でもしよう。それで金が貰えるのなら、生きていけるのなら、それに越したことはないのだから。


「とりあえず、今日はもう寝るか」


 何も持たずに飛び出してきてしまったので毛布も何も持っていないが、一晩くらいならば何とかなるだろう。明日の事は明日になってから考えればいい。


「タクト様。これ……」


 アルシェリードがどこからともなくぼろきれを持ってきた。恐らく彼女はこれで寒さを凌いでいたのだろう。いくら魔族とは言え、この隙間風の多い建物の中でよく耐えてきたものだ。


「俺はいいよ。それはアルシェが使ってくれ」

「でも……」

「俺は男で、アルシェは女の子だろ? 男は女に優しくするものなんだ」

「……そうなんですか?」

「そうなんだよ。いいから、もう寝るぞ」


 そう言って、タクトは長椅子に横になった。ちょっと狭いが、こうして屋根があって、地面にそのままでないだけで御の字だ。それに元々劣悪な環境で寝るのには慣れている。こればかりはリンに感謝しなければならない。


 アルシェリードが別の長椅子に横になったのを確認して、タクトは目を閉じる。空腹感はあったが、我慢できないほどではない。明日起きたら何か食べ物を買いに行こう。そう決めると、タクトの意識は闇に深く沈んでいった。




 翌日。


 食事を終えたタクトとアルシェリードは地下水路にやって来ていた。ギルドの話では、最近この水路の水の水質が悪化しているらしい。その原因を調べて取り除くのが、今回の依頼の内容である。


「水質悪化か~。放置しておくと病気が流行はやったりするし、確かに放っては置けないな」


 入り組んだ水路内部には異臭が充満していた。何かが腐ったようなにおいだ。これの元を探り出し、取り除くことができれば水質も元に戻るだろう。


「……それにしても酷いにおいですね」

「やっぱり外で待ってるか?」

「いえ、タクト様一人に任せる訳には参りません。仕事ですから」


 わかっていたことだが、アルシェリードは冒険者ギルドに登録していなかったので、正式には今回の依頼は受けられない。あくまでタクトの随伴という形である。


 未成年者が冒険者登録を行う場合には保護者の同意が不可欠。アルシェリードに親はいないので、冒険者登録するには代わりになる大人が必要だ。リンがいれば頼む事も出来たかも知れないが、ないものねだりをしていても始まらない。タクトとアルシェリードは暗い水路を、ランタンの明かりを頼りに進んで行く。


「においが濃くなってきたな。近いぞ」


 水路の最奥。水が岩の隙間から湧き出している場所の付近に、それはあった。


「動物の死骸……ですね」


 見るからに食い荒らされたような犬の死骸。その死骸から流れた臓物が水路へと流れ込んでいた。


「汚染の原因はこれだな」


 後はこの惨状を作り出した元凶を見つけなければならないが、見渡してみても、それらしい影は見当たらない。


「タクト様。水の中に何かいます」


 水路を目で追っていたアルシェリードが声を上げる。すると次の瞬間、水の中から何かが飛び出して来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る