第一章 何でも屋の仕事

第一話 平和な世界で

 ―聖王暦六九○年―


 人間と魔族との戦争が終わって一五年。世界はそれなりに平和になったが、魔物による被害は一向になくならず。今でもこうして時折人里近くに現れては、人や家畜に被害を出している。


「お~い、タクト! そっち行ったぞ!」


 旅人であるタクト=ノーヴェンスは、旅に資金を稼ぐため、師匠であるリン=フォーグナーと共に魔物を追っていた。


 今回相手にしているのはイノシシ型の魔物――ワイルドボアだ。大きさは人間よりもずっと大きく、四本の長い牙はそれだけで脅威である。畑を荒らすだけでなく、既に集落の人間にも被害が出ていると言うのだから、これは早急に退治せねばなるまい。とは言え。


「追い立てるだけ追い立てて、最後は俺にやらせるんだもんな~」


 これも修行の一環と言われればそれまでだが、こう毎度のことだと疑わしくもなるというもの。それでもタクトは師匠にいい所を見せたくて、ワイルドボアの前に躍り出た。


 ワイルドボアが木々を押し倒しながらタクトに迫る。ワイルドボアの巨体が繰り出す突進は、それだけで必殺の一撃になり得るのだが、タクトは一度、両の拳を打ち鳴らし、正面からワイルドボアを受け止めて見せた。牙を掴み、後方に押されながらも体勢を崩さず、そのまま勢いを殺したのだ。


 それでもワイルドボアは止まらない。顔を振り回し、何とかタクトを振り払おうとする。タクトはそれを腕力で押えきり、逆にワイルドボアを持ち上げた。


「おりゃ~っ!」


 そのまま背中を逸らし、ワイルドボアを背面から地面に叩きつける。苦痛に喘ぐワイルドボア。しかし流石は魔物と言った所か。すぐに体勢を整え、次の突進に向けガシガシと地面を蹴っている。


「次で決めるぜ~!」


 タクトは腰から小振りの短剣を抜き放ち、目の前に構えた。


 ワイルドボアが再び突進してくる。タクトはその突進の力を利用して、ワイルドボアの眉間に短剣を突き立てた。額をかち割られたワイルドボアが地面に倒れ伏す。


「ふ~。やれやれ」


 血に染まった短剣をワイルドボアの額から引き抜きながら、タクトはため息を吐いた。


 タクトは今年で一五歳。なので魔族との戦争のことを知らない。それでもこうして魔物の相手ができるのは、師であるリンが優れた指導者である証だ。


「やれやれじゃない。何だ、あの戦い方は。私の教えを少しも守っていないじゃないか」


 遅れてやってきたリンが持っていた剣の鞘でぽかりとタクトの頭を小突く。小突くと言っても、それはリンの感覚であり、タクトにとってはそれなりのダメージだった。


「痛ぇ~! 何すんだよ、師匠!」


 脳天を押えながら抗議するタクト。それでもリンはどこ吹く風。長い金髪をさっとかき上げただけだった。


「毎回言ってるだろ。腕力に頼るなって。あれじゃ身体からだを痛めかねない。ちゃんと全身に魔力を流してだな」

「わかってるよ。身体能力向上の魔法だろ?」


 体中の筋肉に魔力を流し、身体能力を向上させる付与魔法。やって出来ない事はないが、タクトにとっては使わなくて済むなら使わずに済ませたい所だった。元々身体能力が高いタクトにとっては、一々魔法を使うのは面倒なのだ。


「無駄に魔法使う必要もないじゃんか。実際、魔法なしでも倒せたんだし」

「そういうことを言ってるんじゃない。そんな戦い方をしていると、いつか死ぬぞ」

「そう簡単に死なないって、俺の頑丈さは師匠が一番よくわかってるだろ?」


 事実、タクトは他の人間と比べるとかなり頑丈に出来ていた。どういう訳かはわからないが、そういう加護を受けて生まれたとのこと。何故他人事ひとごとのように例えるかと言えば、それはタクトには両親がおらず、詳しい話を聞かされていないからだ。リンの話によれば、タクトの両親は一五年前の戦争で命を落としたらしい。赤ん坊であったタクトを拾い、育ててくれたのは、ほんの気まぐれだということも聞かされていた。


「とにかくだ。私の言い付けはきちんと守れ。でなきゃ破門だ」


 相変わらず痛い所を突いて来る。両親のいないタクトにとっては、リンは唯一肉親と呼べる存在だ。それ以外にも思う所がある。破門などされたらいろいろな意味で生きていられない。


「わかったよ。次からはちゃんとする」

「よろしい。それじゃあタクト。こいつを村まで運ぶぞ」

「運ぶぞって、どうせ俺が一人で持つんだろ?」

「よくわかってるじゃないか。それがわかってるならきりきり動け。時間は有限だぞ?」

「……はいよ、師匠」


 師匠の言う事は絶対。これがタクトとリンの間における不文律だ。


 タクトは言われるがまま、ワイルドボアの死体を持ち上げ、肩に抱えた。もちろん身体能力向上の魔法も忘れていない。強化された身体能力の前では、大型のワイルドボアも大した重さではなかった。




 ワイルドボアの討伐依頼を出した村に到着したタクトとリン。証拠としてワイルドボアの死体を見せた後は、恒例の解体の時間だ。こうした魔物であっても、その肉や皮は重要な交易品である。これだけ大きなワイルドボアならば、売れば相当な金になるのだ。


 もちろん解体を行うのはタクトの仕事。リンは先に宿屋に行って、一杯やっている。基本ぐうたらな師を持つと苦労が耐えない。


「さて、やりますか」


 村の広場を借りて、解体の作業を始める。まずは皮だ。短剣を使って、綺麗に皮を剥ぎ取っていく。少しでも破くと値段が落ちるので慎重に。とは言え何度も解体したことのあるワイルドボアだ。手際良く皮を剥ぎ終え、次は肉。各部位毎に切り分け、並べていく。これだけ大物だと流石にすごい量の肉だ。


 解体作業を進めていると、いつの間にか村の子ども達が、物珍しそうにタクトの周りに集まっていた。見ていて気持ちの良いものではないと思うのだが。


「ねぇねぇお兄ちゃん」

「ん? どうした?」

「このおっきいの、お兄ちゃんがやっつけてくれたの?」


 師匠は追い立てただけで、とどめは自分が刺したのだから、やっつけたと表現しても間違いではないだろう。タクトは子ども達に向かって頷いて見せた。


「うん、まぁ。そうかな」

「わ~、すご~い!」

「お兄ちゃん強いんだね~」


 子ども達がタクトを囲んで騒ぎ始める。タクトはどうしていいかわからず、頭をかいた。


「師匠の方がもっと強いぞ?」

「ししょう?」

「ししょうって何?」


 どうやら余計に子ども達の気を引いてしまったようだ。


「師匠っていうのは、魔法や体術、その他にもいろんな事を教えてくれる人のことだ。師匠は強いし、頭もいいし、美人だし、まさに完璧な人だよ。普段はぐうたらしてばっかだけどな」


 子どもの前だというのに熱く語ってしまった。恥ずかしくなったタクトは、肉の切り分けを再開する。


「お兄ちゃんは、そのししょうって人が好きなの?」

「はぁ!?」


 思わず手元が狂ってしまった。この部位はもう大した金にならない。


「ねぇ、好きなの?」


 純粋な子どもと言うのは怖いものだ。こういう繊細なことでもグイグイと聞いてくる。タクトはしばらく考えてから、こう答えることにした。


「ま、まぁ、俺をここまで育ててくれた恩人でもあるし? 好きだよ、それなりには……」


 それでも尻すぼみになってしまうのは、タクトくらいの年齢ならば仕方のないことであろう。いろいろと微妙なお年頃なのである。


「そうなんだ~。私もね? お父さんとお母さんが大好きなんだ~」

「そ、そうか。そいつは何よりだな」


 両親の話題を出され、タクトは思わず手を止めた。自分を産んですぐに亡くなったと言う両親。どこに住んでいたのか、どのような人達だったのか、それすらもわからない。詳しく聞こうとした事はなかったが、聞いてもまた適当にはぐらかされるのだろう。リンはそういう人物だ。自分の過去をあまり話そうとしないのも、きっと戦争で辛い目に合ったからだろうとタクトは考えていた。


「戦争……か」


 戦争を知っている世代の人間は、どこか陰のある人物が多い気がする。これまでいろんな土地を巡って来たが、どこに行っても戦争の話題を口に出そうとする人は少なかった。平和な世の中になったとは言え、一五年前の戦争は未だに人々の心に大きな傷跡を残しているのだ。


「俺もその時代に生きてたら、師匠にもっと近づけたのかな」


 答えてくれる者はいない。子ども達は既に他の事に気を取られて、方々に散ってしまっていた。


 タクトは一つため息を吐いてから、ワイルドボアの解体に戻る。この調子ならば日が暮れる前には解体し終わるだろう。そうしたら宿屋に行って師匠と合流だ。


「あんまり飲み過ぎてないといいけど……」


 酔っ払ったリンを想像して、タクトは首を横に振った。今は余計なことを考えている場合ではない。上気して色っぽいしぐさをしているリンの事など考えても仕方ないのだ。


 タクトは無心を心がけて、解体を進める。当初の見立て通り、夕暮れ前に解体は終わり、リンと合流することが出来た。その時にはリンは完全に酔っ払い、よだれを垂らしながら寝ていた訳だが、それはそれである。

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