第二話 二日酔いの師

 翌朝。


 タクトが荷物から酔い覚ましの薬草を取り出した所で、リンが目を覚ます。昨晩。宿の食堂で酔い潰れたリンをタクトが部屋まで運んでいたのだ。


「う~ん……。頭痛い」


 ボサボサの髪をかき上げながら、リンは頭を押えている。旅費のほとんどを酒につぎ込んでしまったのだから、自業自得ではあるが。


「飲み過ぎだよ、師匠」


 そう言って、タクトは酔い覚ましの薬草を水と一緒にリンに渡す。リンはその場で薬草をみ、水をあおった。


「うぇ~、苦っ」

「これくらい我慢しろ。大人だろ?」


 まだ酒を飲める年齢ではないタクトには二日酔いの辛さはわからない。なので、どうしてリンがこんな辛い思いをしてまで酒を飲もうとするのか理解できなかった。「世の中、飲まなきゃやってられない事だらけなんだよ」と言うのはリンのげんだが、少なくともタクトにとっては、世の中はそう悪いものには見えない。自分も大人になればわかるのだろうかと、考えない日はなかった。


「で、今日はどうするんだ?」

「頭痛いから無理。今日は動きたくない」

「……そうかよ」


 タクトは盛大にため息を吐く。リンがこの状態では、旅の続きという訳には行くまい。鍛錬に付き合ってくれるような状況でもないだろう。タクトは仕方なく、リンの剣を持ち出し、一人で素振りをすることにした。


 朝食前の鍛錬。これはタクトにとっての日課だ。おもりとして剣を背負って、山を駆け回り、身体が温まった所で素振りに移行する。普段タクトが持たされているのは短剣のみ。なので鍛錬の時はいつもリンの剣を借りている。今のタクトからするとやや大振りだが、それでも鍛錬に使うには丁度良い重さなのだ。


 素振りの回数は毎朝一○○○回。振った分だけ身になると言われれば、やらない訳には行かない。一回一回丁寧に、フォームを確認しながら振っていく。


「八四五、八四六、八四七」


 物心付いた頃から始めた素振り。今ではだいぶ板に付いてきたのではないかと思っている。リンに言わせればまだまだとのことだが、他に比べる相手もいないので、自分の実力がどの程度なのか今一はっきりしない。


 リンはどちらかと言うと理論よりも実践派なので、今までに何度も手合わせをしたことがあるが、未だに一本も取れていないというのが現状。リンの強さもかなりのものだとは思うものの、これで無名だと言うのだから驚きだ。殺しても死なないと言うのを素で行くのがリン=フォーグナーという人物なのである。どこかの国の英雄と言われれば信じそうなほどだ。


 美人でナイスボディー、その上強いともなれば、男なんてより取り見取りだろうと思う。それなのにこれまで男っ気の一つも見せたことがない。否。実際には言い寄ってくる男はいるのだが、その全てを一蹴しているのだ。そのくせ、酒を飲めばやれいい男がいないだのと管を巻くのである。一体何がしたいのか、全く掴めない。


「九九七、九九八、九九九、一○○○!」


 いろいろと考えながらではあったが、今日も日課の素振り一○○○回が終了した。首から下げたタオルで汗を拭きながら宿屋に戻ると、部屋ではリンが腹を出しながら寝ている。こんなにだらしない格好だというのに色気があるのだから、美人と言うものはずるい。


「こんなとこ、他の人には見せられないな」


 タクトは床に落ちている掛け布団を手に取り、リンにかけた。だらしない師を持つと苦労する。これじゃあどちらが保護者かわかったものではない。とにかくリンは今日一日こんな調子だろう。ならば自分が動くしかない。


 昨日仕留めて解体したワイルドボア。早く換金しなければ鮮度が落ちる。タクトは村の長に掛け合ったが、この村での換金は難しいとの事。ならばと近くの町を紹介してもらい、出かける事にした。


 村で借りた荷車にワイルドボアから取った素材を載せ、町へと向かう。町までは徒歩で小一時間ほど。こういう時、道が整備されているのはありがたい。荷を運ぼうと思った時に道が整備されているのといないのとでは全く効率が違う。こうして道が整備されていれば、荷車を使って大量の荷物を運ぶことができるのだ。


 村長から聞いていた通り、小一時間ほどで町に到着する。思っていたよりも大きな町だ。これならば換金するのも容易たやすいだろう。


 この手の魔物の素材は、通常商業ギルドではなく、冒険者ギルドが一手に買い取ってくれる。そのためには冒険者ギルドに登録している必要があるのだが、もちろんタクトも冒険者ギルドの登録者だ。冒険者ギルドの登録に必要な年齢は一三歳。タクトも一三歳になった時にすぐに登録した。まだまだランクは低いものの、一人でも素材の換金ができるというと言うのは大きい。早速ギルドカードを提示して、持って来た素材を棚に載せる。


「これは……。随分立派なサイズのワイルドボアですね。これはあなた一人で?」


 受付嬢さんも驚いていた。旅の中で多くのワイルドボアを狩って来たタクトから見ても、大物サイズだ。無理もないだろう。


「いえ、師匠と一緒に」


 本当はほぼ一人で倒したも同然なのだが、こういう場合はそう答えるようにリンに言われていた。


「そうですか。では鑑定しますのでしばらくお待ちください」


 今回はいくらになるだろう。肉の解体の時に少しミスをしてしまっているので、その分はマイナスになるだろうが、このサイズだ。それなりの金額になるのではないかと踏んでいる。


 強面こわもていかつい冒険者達に囲まれながら待っていると、先ほどの受付嬢さんから声がかかった。


「タクト=ノーヴェンスさん」

「はい」

「今回はワイルドボアの牙と骨、肉を合わせて、こちらになります」


 ひい、ふう、みいと数えてみれば、なるほど納得の値段である。やはり肉の解体をミスした所が響いているようだ。


「ありがとうございます」


 金を受け取って帰ろうとすると、受付嬢さんから声がかかった。


「タクトさん、これだけ大物のワイルドボアが狩れるのであれば、もっと実入りの良い依頼をご紹介することもできますけど……」


 実入りの良い依頼というのは気にかかったが、リンのいない所で判断できるものではない。


「すいません。その話は師匠がいない所ではちょっと……」

「そうですか……。次にお越しいただいた時にご紹介できるかわかりませんけど……」

「大丈夫です。師匠にお伺いを立ててからまた来ます」


 タクトは受付嬢に一礼してから、その場を後にした。




 空になった荷車を引いて村へと向かう。ギルドを出てから後ろを付いてくる気配がいくつかあるが、まさか追いはぎの類だろうか。


「おい、坊主。止まれ」


 町からそこそこ離れた所で声をかけられる。


「何でしょう?」

「さっきのワイルドボアを換金した金、置いて行きな」


 やはり追いはぎの類だったか。時々いるのだ。師匠のいない所で絡んでくる輩が。


「嫌だと言ったら?」

「ちょっと痛い目見てもらうことになるぜ?」


 下品な笑い声を上げながら、数人の男が武器を持って現れた。


「おっさん達さ。こんな子ども相手に武器なんか見せびらかして、かっこ悪いと思わないのか?」

「うるせぇ~よ、余所者が。こちとらここらを拠点にして長いんだ。勝手に稼がれちゃ商売上がったりなんだよ」

「だったら、俺らが来る前に狩れば良かったじゃないか。ワイルドボアくらい」


 タクトの物言いが気に触ったのか、男達は声を張り始める。


「あんなでかいワイルドボア、そう簡単に狩れる訳ないだろうが!」


 驚いた。ワイルドボア程度で怯む冒険者がいるのか。受付嬢がタクトに次の依頼を打診してくる訳だ。


「それで俺に難癖つけて、金を脅し取ろうって?」


 こういう大人を見るとイライラしてくる。タクトは荷車を置き、男達と対峙した。


「何でい、やろうってのか?」

「ああ。少し相手してやるよ」

「でかい口叩けるのも今の内だけだぜ!? 坊主!」


 最初に声をかけてきた男が剣を抜き、タクトに切りかかる。タクトは腰のナイフを抜き、それを正面から受け止めた。


 男は驚く。自分より二周りも小さい子どもが、自分の一撃を難なく受け止めたからだ。


「な、何だ。この力……」


 タクトには人と違う点がいくつかある。その一つが、この怪力である。


「師匠から言われてるんだ。この手の輩は下手に出たらいけないって」


 タクトはギリギリと剣を押し返して見せた。男は焦り、仲間達に声をかける。


「お、お前等! 容赦はいらねぇ! やっちまえ!」


 それを受けて、男達が声を張り上げながらそれぞれの武器をタクトに向かって振り下ろした。しかし男達の攻撃は空を切る。そこにタクトの姿はなかったのだ。


「ど、どこ行きやがった!?」


 男達に動揺が走る。


「ここだよ」


 声は男のすぐ後ろから聞こえた。首筋に冷たい刃の感触が伝わる。それはタクトが手にした短剣の刃であった。


「まだやるかい?」


 男は身体からだを硬直させながらも、首を横に振る。タクトはそんな男の尻を蹴飛ばし、短剣を鞘に収めた。


「んじゃ、おじさん達。こんな事ばっかりしてないで、しっかり働きなよ?」


 荷車に手をかけ、タクトは再び前進を開始する。そんなタクトの背中に向かって、男の呟くような声が吐き捨てられた。


「化け物め……」


 その言葉は喉に刺さった骨のように、タクトの心をチクチクと蝕んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る