第163話 天使

 シルステル北部に位置する小さな田舎都市ラドエリを拠点に、リゼルは冒険者として日々の糧を得ていた。


 リゼルは今年で二十歳になる若者だ。

 三か月ほど前、昇格試験に合格して、念願だった上級冒険者の仲間入りと言われるCランクに上がったばかり。


 Cランクになったことで、Cランクでは受けることができなかった条件の良い依頼も受けることができるようになった。

 当然ながら稼ぎも良くなり、数年前から付き合っていた彼女との結婚を考えることができるようになっていた。


 それもこれもすべてはあの方のお陰だと、リゼルは感謝の念を抱く。


 リゼルは現在、クラン・レイジのメンバーだった。


 半年前のことである。

 五年前に冒険者になったはいいが、なかなか思うような成果を出すことができずにずっとDランクで燻っていた彼は、ギルドの案内板でとあるチラシを発見した。


 それはクラン・レイジへの加入希望者を募集するものだった。

 その頃はまだ北部ではほとんど認知されておらず、リゼルもそこで初めて名前を知ったぐらいである。


 チラシには「王都の冒険者の半数が加入!」「新人冒険者が僅か半年で上級冒険者!」「加入者には漏れなく一流鍛冶師の武具を贈呈!」などという胡散臭い謳い文句が躍っており、リゼルは本当かよと訝しんだ。

 しかし何とか現在の状況を変えたいと思っていた彼は、半信半疑で加入試験の会場へと足を運んだのだった。


 レイジに出会ったのはそのときだ。

 自分とそう年齢の変わらない青年であることに驚いたのを良く覚えている。


 試験はボロボロだった。

 彼のパーティメンバーの一員であるという獣人の少女と戦うことになり、惨敗を喫したのだ。


 だが不思議なことに、なぜか試験は合格。

 首を傾げている間に、彼はラドエリ最初のクラン・レイジのメンバーの一人となっていた。


 謳い文句は真実だった。


 最高の性能を誇る武具を支給され、レイジから直々に貰ったアドバイス「剣より槍の方が向いている。転向したらどうだ?」に従って槍を使い始めると、見る見るうちに上達。

 たった三か月で、Cランクへの昇格を果たしたのである。


 今やラドエリの冒険者の三分の二はクラン・レイジのメンバーになっていた。


 元々この町のギルドには素行の悪い冒険者が多く、よく町の住民との間でトラブルを起こしていたのだが、それもめっきりと少なくなっていた。


 というのも、そうした冒険者がこれまで幅を利かせていたのだが、彼らの多くはクラン・レイジに加入することができず、逆にまっとうな冒険者がクランに入って以降メキメキと力を付けていったことで、完全にギルド内の雰囲気が変わってしまったからだ。


 もちろんギルドの売り上げも大きく伸びていて、かつてない好景気に沸いているのだった。


「いってらっしゃい。気をつけてね」

「ああ。行ってくる」


 その日、リゼルはいつものように同棲中の可愛い彼女に見送られ、自宅を出発した。


 しばらく取り組んでいた大型の依頼が昨日で無事に終わり、今日は新しい依頼を探してみるつもりだった。

 良い条件の依頼があればいいなーと思いながら、ギルドへと向かっていると、


「なぁ、何だ、あれは?」

「さあ、何かしら? 鳥?」


 道行く人が空を見上げ、何やら訝しげに首を傾げていた。

 それに釣られ、リゼルも彼らの視線を追って空へと目を向ける。


 北西の方角。

 雲を背後に、都市の方へと向かって近づいてくる一団があった。


 最初は鳥の群れだろうかと思った。

 だが接近してくるにつれて、次第にリゼルはそうではないと思うようになった。


「人間……? 人間に翼が生えている……?」


 冒険者である彼は普通の人よりも視力が良い。

 ゆえに空を見上げる人たちの中でも、早い段階でその正体に思い至った。


「まさか、天使……?」


 他の人たちもそれに思い至ったようだ。


「天使じゃないのか?」

「うそっ、ほんとだ!」


 純白の美しい翼を広げた集団。

 その数、二十前後。

 どこか幻想的なその光景に、人々は興奮したように見入っている。


 神々の使いとされる天使だ。

 中には拝み始めている者もいる。


 だがリゼルは、やがてその姿がはっきりと確認できるようになってきた段になって、腹の底から警戒心が湧き起こってくるのを感じた。

 なにせ、彼らは武器らしきものを手にしているのだ。


 天使たちの様子に好戦的な色を見て取ったリゼル。

 人々に警鐘を鳴らそうと口を開きかけた、そのとき。


 天使の一団が滑空し、地上にいる人たちに猛然と襲い掛かってきた。




   ◇ ◇ ◇




「天使?」

「はい。つい先日、シルステル北部にあるラドエリという都市で、天使と思われる一団が襲撃してくるという事件が起こったそうです」


 俺が訊き返すと、秘書のキエラが教えてくれた。


 天使って言ったら、神々に仕えている連中じゃないのか?

 それが人間を襲った?


「被害状況は?」

「負傷者が数名。建物などにも被害があります。ですがもっとも大きいのは、食べ物でしょう」

「食べ物?」

「市場が襲撃され、陳列されていた野菜や肉、果物などを大量に奪って空へと逃げていったそうです」


 ……お腹でも減っていたのだろうか?


「それからこれはまだ確認中ですが、何名か連れ去られた人がいるそうです」

「連れ去られた?」


 食べ物と一緒に人を?

 まさかそれも食べる……なんてことはないか。


 ちなみにラドエリと言えば、冒険者ギルドもあり、俺のクランに所属している冒険者も多い都市だ。


「はい。実は連れ去られた可能性のある人の中に、クランのメンバーがいるようでして……」






 天使と目される集団による襲撃事件は、他にも似たようなものが幾つか起こっていたことが分かった。

 いずれもシルステル北部にある町や村で、ここ最近になってからのことらしい。


 彼らが奪っていくのは、その大半がやはり食べ物だという。

 農作物を収穫直後に持ち去られた農家などもあって、深刻な問題となっている。


 すでに騎士団や冒険者ギルドが動いているそうだが、天使たちの襲撃はごく短時間で、しかも空に逃げていくため、まったく対処できていないようだ。


 もちろん放っておくわけにはいかない。

 なにせうちのクランのメンバーが攫われているのだ。

 いずれギルドからお鉢が回ってくるだろうが、その前に俺は北部各地の町や村にアバタースライムの分身たちを配置しておいた。


 それから数日後のことである。

 分身から天使の集団が現れたという情報を受けると、俺は即座に転移魔法で飛んだ。


 その時点ですぐに出動できるメンバーを連れて行ったので、俺、ファン、ルノア、刀華、スラぽん、スラいち、スラさん、それからなかなか俺から離れてくれないフェーネが一緒にくることになった。

 まぁ戦力としては十分だろう。


 転移した先は人口二千人くらいの小さな町である。


「ん。いた」

「白いつばさがあるの」

「あれが天使……初めて見たのだ」


 天使の集団は町から奪ったと思われる物資を抱え、すでに空へと飛び去ろうとしているところだった。


「急ぐぞ」

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