第152話 胃袋的敗北

 ふかふかのベッドでぐっすり眠り。

 美味しい食事をお腹いっぱい食べ。

 毎日お風呂に入って、身体はいつも清潔で。


 ここにきて一週間。

 ハーフデーモンの少女たちは何不自由ないどころか、何とも贅沢な日々を過ごしていた。


「ああ……ここはもしかして天国なのでしょうか……」


 リリアーナの感嘆は、彼女たちほぼ全員に共通する思いだった。


「こ、こんなの絶対おかしいわ……っ! 処刑されるどころか、毎日毎日こんな生活ができるなんて、どう考えてもあり得ないっ!」


 そんな中、警鐘を鳴らしたのはノアナである。


「わ、わたしは絶対に騙されないんだからっ!」

「その台詞、おかわりしながら言ってもまるで説得力がないと思うぞ?」


 横から指摘したのはビアンザだ。

 ノアナは今日の昼食であるピザをもう一切れ食べようと、手を伸ばしたところだった。


「う……」


 と、図星を指されてノアナは継ぎ句を失う。

 辛うじてか細い声で、


「だ、だって、美味しいんだもん……」


 濃厚なチーズがたっぷり乗った焼きたてのピザは、レベカが作ってくれる料理の中でも、ノアナの大好物の一つとなっていた。


「って、ダメよ、このままじゃ! これも全部、奴らの思惑に違いないわ! このままだとわたしまで術中にハマってしまう!」


 部屋に戻ったノアナは叫んだ。

 お腹いっぱい食べて、少し腹部が膨らんでいる。


「これが本当に向こうの作戦なら、すでにあなたも十分にハマってると思いますけど……」

「わ、わたしもそう思います……」


 同部屋のリリアーナとアリスが小さくツッコんだ。


「う、うるさいわねっ! ……いいわ! あんたたちがずっとここに居たいって言うなら、一人で逃げ出してみせるわ! わたしは誰の力も借りない!」


 ノアナは宣言する。


 彼女はすでに自分一人だけが孤立していることを理解していた。

 きっと同室の三人も含めて他の連中は、もう完全に敵の罠にハマっており、説得しても無駄だろう。

 こうなったら頼れるのは自分だけだと、ノアナは気を強く持とうとする。


「別に好きにすればいいと思うが……一体どうやって脱出するつもりだ?」

「教えるわけないでしょ。あんたがチクらないとも限らないし」


 だったらわざわざ宣言することもやめておけばいいのにと、リリアーナは内心で呆れたが、黙っておいた。


 彼女たちには常に、シーナを初めとする監視役が付けられている。

 実力者ばかりで、腕輪によって力や魔法を封じられている彼女たちでは、たとえ全員でかかっても正面から突破することはできないだろう。

 しかも孤児院の窓にはすべて結界が張られているし、壁の破壊も不可能だ。


 だがシーナは見つけ出していた。

 大きな抜け道があることに。


「ただ毎日を無為に過ごしていたわけじゃないのよ」


 詳しい事情は知らないが、ちょうど今は、あのレイジという男を初めとする主要なメンバーたちが不在だった。

 逃げ出すなら今しかない。


 失敗したら今度こそ殺されるかもしれない。

 しかしこのまま何も行動を起こさないよりはマシだ。


 ノアナはそう決意して――


「皆さん、聞いて下さいっ。今日の夕食は、なんと豚カツらしいんですよ! 前にすごく美味しかったから、ぜひまた食べたいですってビアンサさんにお伝えしたら、また作ってくれるそうなんです! 今から楽しみですよねぇ」


 リリアーナの言葉によって一瞬にして揺らいだ。


 豚カツ。


 簡単に言えば豚肉を油で揚げた料理……なのだが、〝ころも〟と呼ばれるもので覆われていて、今まで見たこともない調理のされ方をしていた。

 東方のジェパールという国の料理だろうとレベカは言っていたが、どうやら彼女も調理法を知っているだけらしい。


 歯を入れると、その外側の〝ころも〟がサクサクっとした不思議な食感で楽しませてくれるし、内側はとても柔らかく、旨味成分たっぷりの肉汁が溢れ出てくる。

 これほど美味しいものを食べたことはないと、ノアナは不覚にも感動してしまったのだった。


 さ、最後にもう一度くらい、食べたっていいわよね……?


 ノアナは一日だけ延期することにした。







「帰ったぞ」


 数日後、クラン本部にレイジ一行が帰還した。


「どうだ? ここでの暮らしには慣れてきたか?」


 レイジにそう訊ねられて、


「あああああああああああああっ! 何やってんのよ、わたしぃぃぃぃぃぃっ!?」


 ノアナは絶叫を轟かせた。


 数日前にこの場所を脱出することを決意したというのに、未だにそれを決行できていなかったのだ。


 それもこれも料理が美味しいのが悪い。


 今日はお寿司? じゃあ明日に……。

 今日は天ぷら? あ、明日でいいわよね……?

 今日はステーキ? まぁ今さら一日くらい……。

 今日はお好み焼き? も、もう一日……。


 というふうに連日のように意志を挫かれ、ずるずると。

 気づけばレイジたちが帰ってきてしまったのだった。


「どうしたんだ? 様子がおかしいが、何かあったのか……?」

「い、いえ……?」


 レイジに問われ、レベカが困惑の表情を浮かべる。


「ノアナさんも毎日しっかりおかわりされてましたし……。ここでの生活に満足されているとばかり……」

「うぐっ……」


 レベカの言う通りだった。


 ――ああもうっ、わたしのバカバカバカっ! 何でそんなに食い意地が張ってんのよ!


 自責の念に捕らわれながら、ノアナは頭を抱える。


 と、そこへ。


「あら? これは随分と珍しい娘たちがいるのだわ」


 どこか自信に満ち溢れた声を響かせながら、一人の少女が姿を現す。


「なっ……」


 彼女を見て、ノアナたちは言葉を失った。


 見た目の年齢はせいぜい十代前半といった可愛らしい少女だが、しかしその頭部には二本の角が生え、背中には漆黒の翼が付いている。


 自分たちと同じハーフデーモン――いや。


 純潔の悪魔。


 なぜだか分からないが、ノアナは直感的に理解した。

 身体に半分流れている悪魔の血のせいかもしれない。


「な、なんで悪魔がここに……?」


 しかもその見た目とは裏腹に、圧倒的な強者の気配。

 ノアナたちは思わず後ずさった。

 間違いなく自分より格上の存在だと感じ取ったのだ。

 それも悪魔の血によるものかもしれなかった。


「なるほど。アーセルにそっくりなのだわ」

「っ……パパを知っているのっ?」

「魔界にいた頃、何度か城に訊ねてきたことがあるのだわ」


 やはり目の前の悪魔は只者ではなかったらしい。

 しかし一体何のために魔界から地上に来たのか、そしてこのような場所に平然といるのか、分からないことだらけだ。


 そんなノアナたちの疑問を察したのかは分からないが、少女は自ら名乗った。


「あたくしはマーラというわ。前魔王で、今は魔王レイジの妻なのだわ」

「おい、だから勝手に妻を名乗るな」

「ふふふ、こうして回りに周知させていくことで、少しずつ既成事実化されていくという作戦なのだわ」

「意外と効果ありそうだからマジでやめてくれ」


 妻……? この男の……?

 しかも、魔王……?


 困惑するハーフデーモンの少女たち。

 レイジが言った。


「魔王が地上を侵略するつもりだったみたいだからな。ちょっとこっちから乗り込んで潰すことにしたんだ。……で、倒したらなぜか懐かれた」

「……は?」

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