第143話 遭遇
「なぜこの私が、こんなことをせねばならないのか……」
男爵級悪魔セルゲリスは、元より幸の薄そうな顔をさらにどんよりと曇らせながら、深々と嘆息した。
かつてないほど不名誉な役目を押し付けられたせいだ。
「幾ら何でも、この役割は酷過ぎる……。先代の頃から続く私の長年の忠誠を、魔王様は一体どのようにお考えなのか……」
長きに渡って魔界の三大公爵の一角として、広大な領土を治めてきた悪魔マストラ。
セルゲリスはその忠実な眷属として生きてきた。
マストラの死後も、その娘であるマーラに仕え続けたのは、それだけマストラに対する恩義があったからである。
そのせいで領地から出て行ってしまった配下たちも多かったが。
マーラが魔王になった今、再び舞い戻ってきた同僚たちから「お前には先見の明があったようだ」などと言われたが、とんでもない。
彼女がマストラすらも凌駕する力を持っているなど、セルゲリス自身も思ってもみなかったことであった。
あの公爵級悪魔プルゾフを破り、彼女が数百年ぶりの魔界統一を成し遂げたときは、歓喜の余り涙してしまった。
私の忠誠も報われたと、そのときはそう思った。
なのに、まさかこんな命令を下されるとは……
簡単に言うと、それは地上の調査だった。
今後、地上へと進出していくための言わば先遣隊である。
何を思ったか、魔王の座に就いたマーラは、地上を領地にしたいと言い出したのだ。
すでに魔界全土を自らの領土にしている彼女だ。
それは悪魔たちの感覚で言うならば、豪邸を所有しているというのに、卑しい犬小屋を欲しているような奇妙な思考として映っていた。
「中級、下級の悪魔ならいざ知らず、この男爵級悪魔セルゲリスを、犬小屋を手に入れる調査のために動かすなど……」
屈辱だ。
しかも地上へ通じているというダンジョンの入り口があるのは、魔界の辺境。
こんな場所にわざわざ赴かなければならないということも、彼のプライドを大いに傷つけた。
その割に、任務としては決して楽なものではない。
この辺境には悪魔たちですら苦戦する魔物も多数棲息しているからだ。
さらに、地上に繋がっているとされるダンジョンの難易度も、かなり高レベルだと言われていた。
犬小屋のためとは言っても、実際問題として爵位持ちクラスの悪魔がいなければ、果たせない任務なのである。
そのためセルゲリスは今回、腹心ばかりを連れてきている。
こんなことに私の精鋭たちを……と、それもまた彼の苦悩を加速させる一因となっているのだった。
やがてそのダンジョン入り口へと辿り着いた。
見た目は岩肌にぽっかりと空いているただの穴である。
ふと、その中から強い気配を感じた。
思わず足を止める。
「……ダンジョンの魔物か?」
嫌な予感を覚えて、セルゲリスたちは身構える。
しかし穴の奥から姿を見せたのは、
「人間……?」
◇ ◇ ◇
長いダンジョンを抜けてついに地下世界へと辿り着いた俺たちだったが、まさかこんなにすぐに悪魔に遭遇することになるとは思っていなかった。
しかも鑑定してみて分かったのだが、そのうちの一体は爵位持ちだった。
セルゲリスという名の男爵級悪魔である。
少し青白い顔をしているが、翼や尾、角が無ければ、冴えない人間の青年と見分けが付かないかもしれない。
だがレベルは98と、上級悪魔に相応しい力を持っていた。
他の五体も中級以上のようで、レベルは全員が60を軽く超えている。
「人間……?」
一方、向こうも突然現れた俺たちに驚いている様子。
どうやら待ち構えていたという訳ではないらしい。
それでも友好的とはいかなかった。
「人間ごときがこの魔界に足を踏み入れるなど……早急に排除してしまえ」
セルゲリスの命を受けて、配下の悪魔たちが一斉に動いた。
近接戦闘タイプが二体、魔法での遠距離戦闘タイプが二体、残る一体は隠密や攪乱などに長けたタイプのようだ。
真っ先に躍り掛かってきた近接戦闘タイプの悪魔二体は、アンジュと刀華が迎え撃った。
どちらの悪魔もレベル60を大きく超えており、Aランク冒険者ですら敗北必至の相手だ。
だが、今の彼女たちの敵ではなかった。
奈落を通過する過程でもさらにレベルを上げて、すでに80を超えているからな。
一体はアンジュの腹パン一撃で吹っ飛び、近くの岩壁にめり込んだ。
もう一体も刀華の峰打ちで気絶。
すでに詠唱を開始していた後衛の悪魔二体には、俺が転移魔法でスライム二体を送り込んでやる。
突如として近くに現れたスラぽんとスラいちに、あっさり体内に捕縛された。
隠密状態で不意打ちを狙っていた悪魔も、俺の〈神眼〉で場所を特定。
ファンとディアナが指示通りの方向へと遠距離攻撃を放つと、直撃。
すぐに無力化できた。
五体の中級悪魔を全滅させるのにかかった時間は、およそ三十秒。
しかもこちらは半分程度しか戦力を投入していない。
「な……?」
こんなに易々と自軍が敗北するとは、まったく予期していなかったのだろう。
男爵級悪魔は瞠目したまま固まっていた。
◇ ◇ ◇
あり得ないことが起こっていた。
セルゲリスがこの場に連れてきた配下たちは、いずれも精鋭ばかりだった。
たった一体でも、下級悪魔百体分の強さがあるはずだった。
その気配から、人間とは言えそれなりの力を有していることは察していた。
高難度とされるダンジョンを抜けて来たのだから、並の人間ではないのだろうと。
しかし同時に、所詮は人間だと高をくくっていた。
何せ人間というのは、下級悪魔ですら群れを成してようやく倒せるほど弱い種族だと聞いていたのだから。
なのに、何だこいつらは!?
自らが誇る精鋭たちが、手も足も出なかったのだ。
たった一撃で二体の悪魔がのされた。
それを成したのは二人の女だ。
爵位持ち悪魔にも迫る力が無ければ、そんな真似は不可能なはず。
さらに奴らが従えているスライムに、後衛の悪魔二体が一瞬で呑み込まれた。
いきなり背後に出現したので、転移魔法を使ったのかもしれない。
最後の一体は、隠密状態だったにもかかわらず、なぜかまともに攻撃を浴びて気絶してしまった。
結果、あろうことか、ものの三十秒で全滅させられてしまったのである。
しかも相手は戦力の半分も動かしていない。
「ば、馬鹿な……こ、こんな連中が、地上にいたなど……」
愕然と呻くセルゲリスに、青年が平然とした顔で言ってくる。
「さて。あとはあんただけだぞ」
「こ、この私を中級悪魔どもと一緒にするなっ!」
セルゲリスは地面を蹴り、その青年へと躍り掛かった。
疾駆しながら指の先端から普段は肉の奥に隠している爪を伸ばす。
この爪は、爵位持ち悪魔ですら、掠めただけでその高い自然治癒力を無視して肉体を瞬く間に壊死させていくほどの猛毒でできていた。
対して青年は二本の剣を抜き、構えた。
両者が激突する。
先手を取ったのは、青年の方だった。
二本の剣が同時に動いたのは分かったが、あまりの速さに剣筋がまったく見えなかった。
一瞬ひやりとするセルゲリスだったが、どこも斬られていない。
目測を誤ったか……?
セルゲリスは絶好のチャンスとばかりに、両手の爪を振るった。
「っ!?」
相手の肉を斬り裂いた――そう確信したセルゲリスだったが、なぜかその手応えがない。
それもそのはず。
セルゲリスの自慢の爪はその付け根部分から、綺麗に切断されていたのだ。
「まさか、さっきの斬撃で――」
その俄かには信じがたい神業に気づいた瞬間、武器を失ったセルゲリスの下顎へと、青年の足のつま先が叩き込まれていた。
「――ぶっ!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます