第129話 アンジュ、ママになる? 2
のっそりと姿を現したのは巨大な魔物だった。
「キングトロルだと!?」
アンジュリーネが目を剥いて叫ぶ。
キングトロルは危険度Aの中でも上位に位置づけられる。
単体では、かつてファースの街を恐怖のどん底に陥れたオークロードよりも強力だった。
太い木をあっさりと薙ぎ倒しながら、キングトロルが足音を響かせて近づいてくる。
顔に張り付けた不気味な笑みに恐怖を覚え、冒険者たちは立ち竦んだ。
先ほどのフェンリルの傷――――恐らくそれはキングトロルが付けたものだったのだろう。
「ガルルルァ!!」
フェンリルが地面を蹴ってキングトロルに躍り掛かった。
右腕に齧り付く。
伝説の魔物の鋭い牙が皮膚に食い込む。
だがキングトロルは痛がる素振りすら見せず、逆の手でフェンリルの喉首を掴んだ。
その怪力の前に成す術もなく、フェンリルは近くの巨樹に叩きつけられた。さらに首を強く締め付けられ、フェンリルが悶え苦しむ。
「ギルド長! 今のうちに逃げましょう!」
「そ、そうだな。キングトロルの意識がフェンリルに向いている隙に――」
「はああああっ!」
「――って、おい!?」
娘の蛮行に思わず悲鳴を上げるアンジュリーネ。
何とキングトロルに突っ込んでいったのだ。
彼女たちの制止の声に耳を貸さず、アンジュは地面を蹴って飛び上がった。
信じがたい跳躍力。
気づけば、こちらに背を向けていたキングトロルの頭上にまで身を躍らせている。
そしてその禿頭の後頭部に彼女は踵落しを見舞ってみせた。
ドオオオオオオンッ!!! という、凄まじい音と衝撃波が巻き起こる。
吹き飛ばされそうになりながら、アンジュリーネたちはその光景に驚愕を禁じ得なかった。
「なっ……」
「嘘、だろう……?」
キングトロルの頭蓋が凹んでいたのだ。
白目を剥いた巨体が背中から地面に倒れ込み、激しい砂埃が舞い上がった。
「い、一撃!? たった一撃でキングトロルを倒しやがったのか!?」
「これがAランク冒険者の力……っ!」
口々に驚きを叫ぶ冒険者たちを後目に、アンジュはふわりと地面に着地した。
「ま、こんなところね」
唖然とする母親の方へと振り返ると、アンジュは、ふふん、と勝ち誇るように言う。
「どう? これであたしがAランクだってこと、信じる気になったかしら?」
こんなものを見せられては、アンジュリーネも信じる以外にない。
それどころか、
「え、Aランクどころじゃ、ねぇだろ……」
「ほんとですよ! こんなこと、Sランク冒険者でもないとできませんよ!?」
――事実、すでにアンジュの実力はSランク冒険者に迫るところまできていた。
現在の彼女のレベルは76。
一方、キングトロルは60程度だ。
さらにスキルの差を考えれば、瞬殺してもおかしくはないだろう。
「分かればいいのよ、分かれば!」
そう言って、アンジュは母親譲りの大きな胸を張ったのだった。
キングトロルとの遭遇というフェンリル以上の脅威にも見舞われたが、アンジュたちは無事にファースの街へと戻ってきた。
「てめぇのお陰で助かったぜ。キングトロルを討伐し、フェンリルを追い払うことができた。申し分のない結果だ」
「フェンリルが傷ついてたのは、たぶんキングトロルの仕業だったのね。そんなことができる奴なんて、他にいないでしょうし」
ギルド長室で母娘が向かい合っている。
アンジュリーネが実年齢より遥かに若く見えるため、姉妹に間違えられてもおかしくないだろう。
「しっかし、まさかてめぇがそこまで強くなってるとはな……」
「だからそう言ったじゃないの!」
「……毎日のようにおねしょして泣いてた頃が懐かしいぜ」
「いつの話よ!? 変なこと思い出さないで!」
強さでは追い抜かれてしまったアンジュリーネだが、それが悔しいのか、
「だが、女としてはまだまだだな。あたしがてめぇの年齢の頃にはよ、もうとっくに初体験は終えていたぜ?」
「べ、べ、別にいいじゃないの!」
「おいおい、それくらいで顔を赤くしてんじゃねぇよ。初心にもほどがあるだろ」
そんな風に娘をからかうアンジュリーネだが……実は真っ赤なウソだった。
彼女の初体験は二十四のとき。
アンジュを身籠ることになるほんの一年前である。
それまでは今の娘と同じく、こうした話にはまったく耐性がなく、「ううう、うるせぇ! オレは別に、男になんて興味ねぇんだよっ!」などという可愛らしい反応をしていたのだった。
そんな己の過去など完全に棚に上げ、アンジュリーネはニヤニヤと笑いながら、
「早くあいつに抱いてもらえって。オレが教えてやろうか? アマゾネス流の男を落とす方法をよぉ? ライバルが多いかもしれねぇが、既成事実さえ作っちまえばこっちのもんだぜ?」
「ううう、うるさいわねっ! あたしは別に、あいつになんて興味ないんだからっ!」
昔の母親とまったく同じ反応をするアンジュである。
いつものことではあるが、喧嘩気味にギルド長室を後にしたアンジュ。
ファースのギルドを出たところで、さてこれからどうしようかと足を止めた。
レイジか、もしくはルノアが転移魔法で迎えに来てくれることになっている。
だが思いのほか早く終わったため、まだ時間があった。
そのときギルド前の通りを、若い夫婦と幼い娘が通りがかった。
「ぱぱー、ままー、あれなにー?」
「あれは冒険者ギルドだ」
「ぼーけんしゃー?」
「魔物と戦ったりする人たちのことよ」
「ふえー、すごーい!」
子供は両手をそれぞれ父親、母親と繋いでいて、何とも幸せそうな家族の光景だった。
「……いいわね……子供……」
ついそんな言葉が口から零れ落ちてしまう。
「って、べべべ、別にあいつの子供が欲しいとか、そういうんじゃないんだからねっ!?」
一人で慌て出すアンジュの脳裏に、先ほどの母親の言葉が過った。
『オレが教えてやろうか? アマゾネス流の男を落とす方法をよぉ?』
一応、やり方だけは聞いておけばよかったかも……いやいや、そんなの別に必要ないわよ!
と、そのときだった。
くいくい、といきなり服の袖を引かれたは。
視線を向けると、そこにいたのは五、六歳くらいの女の子だった。
じぃぃぃっ、と無言でアンジュを見上げてきている。
「ど、どうしたの?」
「……」
返事は返ってこない。
それにしても可愛らしい子だ。
髪は綺麗な蒼氷色で、瞳の色もそれに近い。
表情の乏しさはどこかファンに似ていた。
「えっと、パパかママは?」
ふるふる、と女の子は首を左右に振った。
一応、言葉は通じるらしい。
「もしかすると迷子かしら……?」
「まま」
初めて女の子が声を発した。
「もしかしてママがいたの?」
アンジュは周囲を見渡してみる。
だが近くにそれらしき女性はいない。
不思議に思って再び女の子の方に視線を戻すと、
「まま」
今度はアンジュの方を指差しながらそう言った。
どうやらアンジュがママらしい。
……いやいやいや。
「あ、あたしはママじゃないわよっ? 子供なんて作った覚えないもの!」
「……」
すると女の子は悲しげに顔を伏せる。
今にも泣き出しそうだった。
「えっ、いや、ちょ、えっと?」
慌てたアンジュだったが、いつも孤児院で子供たちを相手にしている経験もあって、すぐに混乱から立ち直ると女の子を優しく抱きあげた。
「よしよ~し。いい子だから、泣かないの。ね?」
頭を撫でてやると、女の子は嬉しそうに目を細める。そしてアンジュの首筋に顔を埋めてきた。
ぺろっ。
「舐めた!?」
ぺろぺろぺろっ、と何度も首筋、それどころか、顎や口の周りまで女の子が舐めてくる。
まるで犬だ。
相手は幼い子供とは言え、さすがのアンジュもこれには戸惑うしかない。
「アンジュ? 誰だ、その子は?」
「ひゃっ!?」
後ろから急に声をかけられ、アンジュは悲鳴を上げる。
振り返ると、いつの間にかレイジがいた。
「きゅ、急に現れないでよっ!」
「悪い悪い。それよりどうしたんだ、その子?」
「あ、あたしにも分からないんだけどっ……」
「まま」
「……ママ? アンジュ、子供がいたのか?」
「い、いる訳ないでしょうがっ!?」
思わず大声を上げてしまう。
レイジは「分かってるって」と笑いながら言ったのだった。
「だってその子、フェンリルだぞ」
「……え?」
ぺろっ、と女の子の舌がアンジュの唇を舐った。
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