第128話 アンジュ、ママになる? 1

「ほ、本当にこんなメンバーで大丈夫なんですか、ギルド長!? 相手はまだ子供とは言え、危険度Sのフェンリルなんですよ!?」


 悲鳴じみた声を上げる若い冒険者に、ファースのギルド長、アマゾネスのアンジュリーネは「はっ」と鼻を鳴らした。


「大丈夫な訳ねぇだろ。子供でもフェンリルの危険度はAを下らねぇ。今ここにいるのはBランクがオレ一人、あとはCランクが五人だけだ。これで倒せりゃあ、誰も苦労しねぇよ」

「だったら……」

「うるせぇな。だからちゃんと王都のギルドから助っ人を呼んでる。もうすぐ来るはずだぜ」


 アンジュリーネの言葉に、詰め寄っていた若い冒険者は安堵の息を漏らした。それを早く言ってくださいよ……と呻きつつ。


「待たせたわね」

「おっ、来たみてぇだ――って、何でてめぇなんだよ?」


 現れた助っ人に、アンジュリーネは顔を顰めた。

 そこにいたのは自分と瓜二つの容姿をした少女。

 それもそのはず。

 王都のギルドが派遣してきた助っ人というのは、アンジュリーネの一人娘であるアンジュだったのだ。


「何よ、何か文句ある?」

「あるに決まってんだろ。オレはAランク以上の冒険者を寄こしてくれって言ったはずなんだけどな?」

「あたしはAランク冒険者よ!」


 乱暴なやり取りだが、これが昔からのこの母娘の基本スタイルだった。

 アンジュはギルド証を見せ、自分がAランクであることを証明しようとする。


「ちっ、最近はこんな精巧に偽造することもできるようになったのかよ」

「偽造じゃないわよ!?」

「このオレでさえ、Bランクに上がったのは二十五のときだ。てめぇはまだ十八だろ?」

「Bランクに上がったのなんて、もう半年以上前のことよ。今はAランク」

「半年でAランク? おいおい、冗談にしてももっと上手く言いやがれ」

「それを言ったらレイジはどうなるのよ! もうSランクなんだから!」


 母娘の言い争いに、集まっていた冒険者たちが不安そうに顔を見合わせる。


「……ほ、本当に大丈夫なんですかね?」

「あたしに任せときなさい!」


 どん、とアンジュが胸を叩くと、ぼよよよん、と豊かな乳房が揺れた。







 フェンリルがファースの街の近くの森で目撃されたという報告が上がってきたのは、つい先日のことだ。

 普段はゴブリンばかりが棲息している森で、下級冒険者たちの格好の狩り場になっているのだが、当然ながら今は誰も寄り付こうとはしない。


 今のところフェンリルによって被害は出ていないが、神話にも登場する魔物だ。

 万一、街に現れて暴れ出そうものなら、あっという間に街は壊滅してしまうことだろう。


「オレたちの今回の目的はあくまでも偵察だ。フェンリルは頭が良くて、人間と会話できる個体もいるらしいからな。交渉でどうにかなるなら、それに越したことはねぇ」


 先頭を進むアンジュリーネが前を向いたまま言う。

 その交渉を有利に進めるため、冒険者たちはフェンリルが好みそうな肉などを運んできていた。


「人もそうだけど、ゴブリンもまったく見当たらないわね」

「巣穴にでも隠れてやがるんだろう。奴らはその辺りの嗅覚は動物並だからな。だがこのことからも、確実にこの森には奴らが怖れる何かがいるってことになるな」


 鬱蒼とした森の中。

 目撃証言のあった箇所へと近付くにつれて、徐々に緊張が高まっていった。


 やがて――


「っ! いやがったぜ」

「うわ、本当にいた……」


 アンジュリーネが目つきを鋭くし、気の弱い冒険者が頬を引き攣らせる。


 森の中の、少し開けた場所。

 そこに巨大な狼が身体を伏せていた。


 全長は五メートル近くあるだろうか。

 しかし大人のフェンリルの中には三十メートル級の巨体もいることを考えると、どうやら本当にまだほんの子供のようだ。赤ん坊と言ってもいいくらいかもしれない。

 全身を覆うのは美しい蒼氷色の毛並みで、シャープな身体つきをしている。


 眠っているかと思えたが、ぴく、と耳が動いた次の瞬間、フェンリルが頭を上げた。


「グルルルルルッ!」


 こちらに気づいて威嚇するように喉を鳴らす。


「てめぇに危害を加えるつもりはねぇ」


 アンジュリーネがそう諭すが、まるで聞き入れる様子はない。


「ちっ、やっぱりか。幼すぎてまだ意思疎通が取れねぇようだな」


 食べ物を放ってはみたものの、毒でも入っていると思ったのか、かえって警戒心を強めただけだった。


「だが、これくらいの大きさなら危険度はB程度だろう。オレたちだけでも十分にやれる。可哀想だが、被害が出ちまう前にここで仕留めておくぞ」

「は、はい!」


 こちらの戦意を察したのか、フェンリルが立ち上がった。

 四肢に力が籠り、臨戦態勢を整えた。


「待って!」


 そう叫んだのはアンジュだった。


「この子、怪我をしているわ」

「怪我? 見たとこ、外傷は見当たらねぇぞ?」

「毛のせいで隠れているのよ。……たぶん、右の脇腹辺りが折れているわ」


 なぜそんなことが分かるのかと訝しげに眉根を寄せる母親を余所に、アンジュは一人、前に出た。


 直後、フェンリルが地面を蹴ってアンジュに襲い掛かる。

 子供とは言えど鋭く太い牙が彼女を喰らわんと迫った。

 思わず「危ねぇ!」と叫んだアンジュリーネだったが、次の瞬間、フェンリルの咢が空を切った。


「ッ!?」


 いきなり姿を消した相手にに目を見開くフェンリル。

 アンジュはその顎下へと身体を滑り込ませていた。

 そしてフェンリルの喉の辺りを掴むと、


「はっ!」


 巨体が宙を舞った。

 アンジュが自分より何倍も大きなフェンリルを投げ飛ばしたのだ。

 フェンリルの巨体が一回転して地面に叩きつけられる。


 信じがたい光景に、アンジュリーネを始め、冒険者たちが「なっ?」と声を漏らす。


「スラじ、拘束して」


 ぷるぷる!


 アンジュのポケットから突然、鉛色のスライムが姿を現したかと思うと、いきなり巨大化。

 起き上ろうとしていたフェンリルの四肢に巻き付いて硬化し、腹を上に向けたままの状態で取り押さえてしまった。


「ガウガウッ!!」


 逃れようと必死に暴れるフェンリルだが、叶わない。


「大人しくしてなさい。今、治してあげるから」


 そう言ってアンジュが取り出したのはポーションだった。


「何を!?」


 驚く母親たちを後目に、アンジュはそれを強引にフェンリルに飲ませる。

 さらには患部にも振りかけた。


「これでよし。かなり強力なやつだから、すぐに治ると思うわ」

「ガルルルッ! ――ガル……?」


 ポーションが効いてきたのか、フェンリルが不思議そうに喉を鳴らした。


「スラじ、もういいわ」


 スラじがフェンリルの拘束を外す。

 フェンリルはごろりと転がってすぐに身を起こしたが、しかし先ほどのように襲い掛かってくることはなかった。

 じっとアンジュのことを見詰めている。


「この近くには人間の街があるのよ。悪いけど、どこか遠くで暮らしてくれないかしら?」


 通じたのか、こくり、と頷くフェンリル。

 そして踵を返すと、ファースとは反対側の方、さらに森の奥へと去って行こうとする。


「……どうやら一件落着のようだな」


 アンジュリーネが息を吐く。


「けど、何でフェンリルほどの魔物があんな怪我を負っていたんでしょうね?」


 疑問を呈したのは冒険者の一人。

 と、そのときだった。

 突然、フェンリルが足を止めたかと思うと、顔を上げて大きな声で咆え始めた。


「ガウガウガウッ! ワオオオオンッ! ガウガウッ!」


 何かを警戒し――いや、怯えているような様子だ。

 その鳴き声に混じって、ずん、ずん、という地響きが聞こえてくる。


「な、何だ? この音は……?」

「まさか、フェンリルが怯えてる!?」


 やがて木々の向こうから、ゆっくりとそれが姿を現した。


 身の丈はゆうに六、七メートル。

 人型ではあるが横幅も異様に大きく、フェンリルをも凌駕する巨体。


「こいつは……キングトロル!?」


 危険度Aの魔物、トロルの最上位種だった。


------------------------------------------------

各話のPV数を見てて気づいたんですが、120話とおまけ3を連続で投稿しちゃったせいか、120話を読み飛ばしてる人が結構いるかも……。三章のラストの部分なんで、読み忘れてるよっていう方はぜひ戻って読んでみてください。上級悪魔を討伐した褒賞を貰う話です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る