第126話 父と娘 2

「はぁ、はぁ、はぁ……さすが、Sランク冒険者ね……」


 呼気を荒らげながら、フィナはグラウンドの上に大の字に寝っころがっていた。

 一方で汗一つ掻いていないのが、彼女の特訓に付き合っているサルードである。


「すげぇ……所長がまるで歯が立たないとか……」

「あれがSランク……」


 その様子を見ていた養成所の剣闘士や訓練生たちが目を丸くしていた。


「ブランクはどれくらいあるんだ?」

「三年と少し、ね」

「がっはっは! その割には動けていたと思うぞ!」

「復帰を決めてから大分頑張ったから」


 サルードには手も足も出なかったが、それでもフィナはすでに現役時代にも負けない力を取り戻しつつあった。


「だけど、この程度じゃまだまだよ。復帰戦の相手が相手だから」


 ようやく呼吸が落ち着いてきて、身体を起こすフィナ。


「強いのか?」

「あんたから見たらそうでもないでしょうけど、あたしからすればね。もちろん第一級剣闘士で、Aランク冒険者。そしてこの国の王子様よ」


 フィナの復帰戦の相手。

 それは因縁の相手とも言えるこの国の第一王子、レアーディ=バダルジャンだった。


 あの一件の後、フィナは一度も会ってはいないが、レオ王から厳しい躾けを施されたようで見違えるほど態度を改めていると聞く。

 それでも色々と遺恨のある彼が復帰戦の相手となったのは、単純に興行としての成功を重要視したからだ。


 実際、現役剣闘士でもトップクラスの実力と人気(前回の試合でかなり評判を落としてはいるが)を誇る王子と、かつて剣舞姫と呼ばれて活躍したフィナの試合ともなれば、話題にならないはずがない。


「だけどあの王子はSランクの王様直々の地獄の教育を経て、さらに強くなっているそうよ。もちろん、あたしは負ける気なんてないけれど」

「がっはっは! その気持ちがあれば問題ねぇ! まだまだ現役でやってけるし、もっと強くなれるぜ!」


 それからフィナはSランク冒険者の旦那の胸を借りて、かつての感覚を取り戻す――――否、かつてを超えていくため自分を追い込んでいった。


「そう言えば、フィナ。お前、歳の離れた妹がいたりしねぇか?」

「……妹?」


 ふとサルードから問われた質問に、フィナは怪訝な顔をする。


「つい最近、お前によく似た犬人族の女の子に会ったんだよ」

「妹、ねぇ……? あたしは元々、浮浪児だったところを、ここの養成所の前所長に拾われた身だからね。姉妹なんていたかどうかも分からないね」

「そうか。いやしかし、本当によく似てたぜ。性格は違うが、戦うときの顔つきや身のこなし方もそっくりだったぜ。まぁ、お前よりもずっと強かったけどな、がっはっは!」

「あたしより? って、それって、まさか……」


 フィナは半眼になって、さらに詳しくその女の子のことを訊き出す。

 そして確信を持った。


「それ、あんたの娘だから」

「ファッ!?」







「そういや仲間からファンって呼ばれていたなぁ、がっはっは!」

「娘の名前を忘れるってどういうことよ!?」

「いや、犬人族にはよくある名前なのかと思って。しかし、そうかもう十五歳か。大きくなったもんだなぁ……」


 サルードが最後に娘に会ったのは、まだ彼女が四歳か五歳くらいのことだった。恐らく向こうは父親の顔など覚えていないだろう。


「な~にが大きくなったもんだ、よ! 完全に子育てを放棄してこの馬鹿親が!」


 声を荒らげるフィナではあるが、しかし彼女自身、剣奴という立場だったということもあって、生まれてきた娘にそれほど手をかけることができた訳ではない。乳母に預けていた時期もあった。

 それに知らないうちに貴族へと売られてしまったこともある。


 そう考えるとあまり旦那のことを責められず、彼女は溜息を吐いて、


「あんたも見たでしょうけど、こんな酷い親たちだったのに、あの子は今、立派にやっているわ」

「……そのようだな」

「この間なんて、あたしはあの子に助けられてしまった」


 レアーディに苦しめられていた養成所だが、現在は最盛期を上回るほどの成果を上げている。

 娘のお陰だ。


「あんたの言う通り、もうあの子はあたしなんかよりずっと強いわ。……だけど、だからこそあたしは思ったのよ。まだまだ娘に負けられないってね」


 それこそが復帰の理由の一つだった。


「元々、現役への未練もあったんだけど。所長だって、やりたくてやっている訳ではなかったし」


 前所長のやり方に大きな不満を抱いていたことが、フィナが引退して所長になろうと考えた大きな要因である。

 しかしその前所長を追い出すことに成功し、必要だった改革もほぼ終えた。

 後任を任せられる人材もいる。


 そうした中で、満を持しての現役復帰だった。




    ◇ ◇ ◇




「いよいよだな」

「……ん」


 円形闘技場では先ほどから大歓声が止まらない。

 今か今かと、そのときが来るのを大勢の観客たちが待ち侘びていた。


 俺は今、バラン王都へとやってきていた。

 そして今はSランク昇格試験のため、レオ王と戦った闘技場の観客席にいる。


 これから開催されるのは、かつて〝剣舞姫〟という二つ名で第一級剣闘士として活躍したとある戦士の復帰戦だった。


 やがてフィールドへとその人物が姿を見せる。

 ファンとよく似た白銀の髪を持つ、犬人族の美女だ。

 それもそのはず。

 彼女はファンの母親のフィナだった。


「所長を辞めて現役復帰、か。……なかなかできることじゃないと思うが、何で復帰しようと思ったんだろうな? 何か聞いてるか、ファン?」

「聞いてない」


 素っ気ない様子だが、ファンなりに母親のことを心配しているのだろう。じぃっとフィールドに現れた母親を見詰めていた。

 ……対戦する相手が相手だしな。


 続いてその対戦相手が姿を現した。

 巻き起こったのは、ブーイングと歓声が入り混じった大音声。どちらかと言えばブーイングの方が大きいかもしれない。


 先日のファンとの一戦で、その腹黒い内面が暴露されたこの国の第一王子、レアーディだった。

 だが雰囲気が依然と違う。

 どこか神妙な面持ちで、フィールドの中央へと進み出てきた。

 レオ王が躾け直したらしいが、少しはまともになったのかもしれない。


「それに前より強くなってるな」

「……」

「安心しろ、ファン。お前のお母さんだって強くなってる」


 レアーディだけでなく、フィナの方も随分とレベルが上がっていた。

 恐らくこの復帰戦のため、彼女も厳しいトレーニングを積んできたのだろう。


 そして試合が始まった。


 開始早々、先に仕掛けたのはフィナの方だ。

 犬人族の高い敏捷値を活かして一気に距離を詰めると、体重を乗せた鋭い斬撃を繰り出す。


 レアーディは冷静にそれを剣で受け流した。

 すぐさまカウンターの一撃を放とうとする。


「っ!」


 しかし斬撃から流れるように繰り出されていたフィナの蹴りの方が早かった。

 咄嗟に飛び下がって回避するレアーディだが、僅かに顎を掠めたようで血が飛び散る、

 すかさず追撃するフィナ。


 いきなりの目にも止まらぬ攻防に、観客が盛大に湧く。


「行けぇぇぇっ!」

「フィ~~~ナっ!」

「フィ~~~ナっ!」

「フィ~~~ナっ!」


 ブランクをまったく感じさせない剣舞姫に、歓声は完全に彼女の味方になっていた。


 以前のレアーディであれば、この時点で少し頭に血が上っていたかもしれない。

 だが守勢になりながらも、動じず冷静に対処している。


「これはなかなかいい試合になりそうだぞ」

「ん」

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